第2話 近づく世界

 馬車は、辺境を離れた。


 草原は次第に途切れ、道は均され、人の往来が増えていく。

 見慣れた荒野の色は薄れ、代わりに石と緑の景色が広がった。


 ララは、揺れる窓の外を眺めていた。


 ――近づいてる。


 はっきりした根拠はない。

 けれど、空気の密度が変わっていくのを、肌で感じていた。


「王都までは、あと半日ほどです」


 向かいに座る侍女が、穏やかに告げる。

 辺境伯家に長く仕えてきた女性で、今回の旅の付き人だった。


「思ったより、遠くないんだね」


 ララが呟くと、侍女は小さく笑った。


「道が整っていますから。人も、物も、集まる場所です」


 人も、物も。


 ララは、胸の奥が少しだけ浮き立つのを感じた。


◇◇◇


 昼過ぎ。


 道の両脇に、露店や店構えが増え始めた。

 布の色、看板の文字、人々の服装――どれも、辺境では見慣れない。


 その中で。


「あれ、なに?」


 ララの視線が、一点に留まった。


 石造りの店の前。

 籠に盛られた焼き菓子が、通りすがりの人々に配られている。


「……お菓子、でしょうか」


「配ってる……?」


 馬車は、自然と速度を落としていた。


「止めてもらって、いい……?」


 侍女は一瞬だけ迷い、うなずいた。


「少しだけ、ですよ」


 馬車を降りると、甘い香りがはっきりと鼻をくすぐった。


 差し出されたのは、小さな焼き菓子。

 薄く、軽く、見た目も整っている。


「無料ですので。どうぞ」


 店の者は、にこやかだった。


 ララは、恐る恐る一口かじる。


 ――ぱり。


 次の瞬間、ほろりと崩れ、甘さが広がった。


「……!」


 思わず、目を見開く。


「なに、これ……」


 外は軽く、中は驚くほど繊細だった。

 辺境で食べてきた菓子とは、まるで別物。


「半分、どう?」


 ララは、残りを侍女に差し出した。


「……これは」


 侍女も、言葉を失う。


「王都って……すごいですね」


 高価そうな菓子を、惜しげもなく配る。

 それだけで、この街の豊かさが伝わってくる。


 ふと、紙包みに視線が落ちた。

 内側には、細い文字が並んでいる。


「あ……これ」


 見慣れない、異国の文字。

 けれど、物語の形式だと、すぐに分かった。


「……霧の中には、魔王。

辺境の勇者と、白き……騎士たち……」


 たどたどしく、声に出して読む。


 胸の奥が、ひくりと動いた。


 ――この話。


 先月、父が砦から戻ったとき、

 酒の席でぽつりと語っていた話に、よく似ている。


 ――似ている。


 けれど、父の話には、続きがあった。


 この紙に書かれている物語は、

 その“先”を、わざと省いているように見えた。


◇◇◇


 再び馬車に乗り、進む。


 やがて、王宮の外郭が見えてきた。

 高く、白い石壁。整えられた庭園。


 その一角。


 ララは、ふと、視線を引き寄せられた。


 王宮の敷地から、わずかに離れた場所。

 周囲の風景から浮き上がる、石造りの建物。


 ――その周囲に。


 うっすらと、“何か”がかかっているように見えた。


(……え?)


 霧のような。

 布のような。

 

 周囲の建物は、はっきりと陽光を受けているのに、そこだけは、光が届くのをためらっているようだった。


「あれ、なに?」


「……?」


 侍女は、同じ方向を見て首をかしげた。


「光の加減では?私には、特に何も」


 ララは、もう一度だけ目を凝らす。


 けれど、その“何か”は、

 見ようとした途端に、輪郭を失った。


「……そっか」


 そう言って、視線を戻す。


 理由は分からない。

 ただ、胸の奥に、小さな棘が残った。


◇◇◇


 王宮の門は、静かに開かれた。


 石畳を進む馬車。

 その先に待つのは、新しい役目と、新しい日々。


 侍女は、柔らかく釘を刺す。


「王妃さまや、他の侍女の前で、本ばかり読んでいてはなりませんよ」


「……うん。気をつける」


 本当に気をつけられるかは、分からない。

 けれど、今はただ、目に映るすべてが新しかった。


 王都。

 王宮。


 そして、あの、名前も知らない建物。


 ララは、静かに前を向いた。


 まだ知らない。

 この街に、自分の夢が、手の届かないほど近づいていることを。


 その夢が、誰かの不都合になるということを。

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