第5話

夢の記録をつけ始めたのは、その翌日だった。

PCを立ち上げ、メモ帳に、日付と時間を書く。

入眠時刻。

目覚めた時刻。

夢に入るまでの感情。

成功したか、失敗したか。

明晰夢は、偶然に見えるが、完全なランダムではない。

疲労が強すぎると失敗する。

感情が荒れていると不安定になる。

逆に、無音の環境と、一定の眠気がそろうと成功率が高い。

――少なくとも、今まではそうだった。

そして、夢の見方も変わった。

今までは、欲望まみれだったが、調査という意識が芽生えた。

12日目の夜。

みひろとの夢を見れたのは4回。

そして、ノートには、同じ言葉が並び始めていた。

・場所:ホテルの廊下

・時刻:夜

・彼女の服装:変化なし

・会話:成立しない

異常なのは、その「変化のなさ」だった。

夢なのに、更新されない。

普通、夢は曖昧になる。

記憶も、場所も、少しずつ変質する。

なのに、あの空間だけは違った。

同じ絨毯。

同じ照明。

まるで、保存されたデータみたいに。

その夜も、俺は境界を越えた。

身体が沈み、音が遠のき、意識だけが浮かび上がる。

気づいた瞬間、足元に柔らかな感触。

廊下だった。

「……また、ここか」

夢だと自覚した瞬間、景色は安定する。

廊下の奥へ進む。

いつもの部屋。

ドアを開けると、みひろはベッドの端に座っていた。

同じ姿勢。

同じ距離。

まるで、前回の続きから再生されたみたいだった。

「……なあ」

声をかける。

返事はない。

それでも今夜は、違った。

彼女の視線が、俺ではなく――

少しだけ、背後を見ていた。

「? 」

振り返る。

そこには何もない。

再び彼女を見ると、ゆっくりと視線が戻ってきた。

そして彼女が、口を開いた。

「……まだ、いるんだ」

一瞬、意味が理解できなかった。

「え?」

はっきりとした言葉だった。

声も、抑揚も、現実の彼女と同じだった。

「今……何か言った? 」

問いかける。

彼女は、困ったように眉を寄せた。

「……かずしさん、それ、前にも言ったよね」

背中に、冷たいものが走った。

「前にも……?」

そんな会話は、記録にない。

夢の中で、彼女が言葉を発したこと自体、初めてだ。

「ここ、長いよ」

淡々とした声だった。

責めるでもなく、誘うでもない。

事実を述べるだけの口調。

「何が……」

俺は息が浅くなる。

「この部屋。ずっと同じ」

胸がざわつく。

「それ、分かってるのか?」

「うん」

彼女は、少しだけ視線を伏せた。

「起きると、忘れるけど。でも……ここに来ると、思い出す」

頭が追いつかない。

夢の中の登場人物が、

「忘れる」という概念を持っているはずがない。

「……みひろ。ここが夢だって、分かってるのか?」

彼女はすぐには答えなかった。

しばらく沈黙したあと、こう言った。

「夢かどうかは、分からない」

そして、静かに続けた。

「でも、あなたは“外”に帰れる」

心臓が、強く脈打つ。

「……何の話だよ」

彼女は、俺のほうを見た。

その目は、あの潤んだ視線とは違っていた。

はっきりとした、意識のある目だった。

「私は、ここから先に行けない」

その瞬間。

照明が、ぶつりと消えた。

闇。

足元の感覚が崩れる。

まずい――と思ったときには遅かった。

世界が強制的に引き剥がされる。

耳鳴り。

落下感。

目を開けると、自分の部屋だった。

汗で、背中が濡れている。

心臓が痛いほど鳴っていた。

「……今のは、何だ」

ただの夢じゃない。

俺の想像でもない。

だって――

起き上がり、PCを急いで立ち上げメモ帳を開いた。

そこには、昨日の自分の走り書きが残っていた。


・最近、夢の中のみひろが

「まだ、いるんだ」と言いそうな気がする


文字を見た瞬間、血の気が引いた。

“言いそう”じゃない。

彼女は、まったく同じ言葉を口にした。

偶然にしては、出来すぎている。

夢にしては、整合性がありすぎる。

俺はノートを閉じ、暗い部屋で天井を見つめた。

もしかして――

あの場所は、俺が作っている夢じゃない。

俺は、ただそこへ「入っている」だけなんじゃないのか。

眠るたび、同じ時間に戻る部屋。

進まない夜。

外に出られるのは、俺だけ。

そして、そこに残されている彼女。

明晰夢だと思っていたものが、

別の名前を持つ何かに変わり始めていた。

確かめなければならない。

あの部屋が、何なのか。

彼女が、誰なのか。

そして――

なぜ、俺だけが出入りできるのかを。

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