第三章 差し出された手と払う手
修学旅行の時に、それは起きた。
最終日の自由行動、私は班の子に置いていかれた。
元々数合わせだったから、仕方なかった。
風見鶏が有名な家の前にあるベンチに座って途方に暮れていると、蔵本君がやって来た。
「僕も置いてかれた」
彼は、手を差し出してきた。
「『みはらし台』一緒に行こうよ。絶景らしいんだ」
だけどその手を見た瞬間、心の傷が一気に裂けて開いた。
気がつくと、私は彼の手をばっ、と払っていた。
「私に関わらないで」
思ってもいないことを口走った。
自分を止めようとしたけど、ダメだった。
「あなたの書く物なんて、面白くない。必要ない」
「えっ……」
その時蔵本君がした顔——私は一生忘れない。
「こんな事したって、無駄なんだから!」
とても、悲しそうな顔をしていた。
「ちょっと、気分が悪くて」
苦し紛れに言った私に、蔵本君は
「先生を呼んでくる」
と言って走り去った。
その背中を見ながら、私は自分がひどく嫌になった。
自分の出した声が、憎くなった。
こんな声、出なければいいのに。
その後、担任の先生が来て隣に座ってくれた。
何か慰めてくれたようだけど、全く覚えていない。
あの手を取れば、きっと彼のことを好きになっていただろう。
それが嫌だった?
いいえ。それでもよかった。
何故蔵本君を拒絶したのだろう。
今でもわからない。
自身の心が変わってしまう事が、怖かったのかもしれない。
その日以来、蔵本君は全く私に話しかけなくなった。
教室の隅で小さく丸まり、本を読む彼は、まるで石の下のダンゴムシのようだった。
第4章 消えた手と求める手
三学期になって、彼の姿が消えた。
「あの……蔵本君って子を……覚えて……いませんか」
その頃から、私は言葉が詰まってうまく出なくなっていた。
それでもクラスメイトに聞いて回った。
「さあ、知らないわ。あなたの方が知っているんじゃない」
誰も、彼の行方を知らなかった。
「そんな奴、いたっけ?」
「最初っからいないんじゃない?」
それどころか、彼を覚えている子の方が少なかった。
まるで、存在ごと消えてしまったみたいに。
「そんなわけ……ないのに」
私は手の中にある栞を見つめた。
黄色い水仙の栞。
彼が確かに存在した、唯一の証拠。
そうこうしている間にも月日が流れ、三月二十三日の卒業式。
「六島杏奈さん」
「は……い……」
蔵本君の名前は、呼ばれなかった。
それどころか、名簿やアルバムにも載っていなかった。
式の後も、私は蔵本君を探した。
一緒に行った図書室、二人で本を読んだ空き教室。
どこにも、彼はいなかった。
「六島さん。名残惜しいのはわかりますが、そろそろお帰りなさい」
「あ、あの……先生……」
途方に暮れて歩いていると、担任の先生に出会った。
「く、蔵本君を……」
言葉が詰まってしまって、遂に何も言えなくなった。
私はペンとメモを取り出した。
もし彼に会えたら連絡先を交換しよう──そう思って持っていたもの。
声の代わりに手を動かして、書いた。
『蔵本君を知りませんか』
「あなた、式の後ずっと探していたの?」
『はい』
先生は少し困った顔をしてため息をついた。
「本当は、誰にも言わないでってお願いされているのだけど」
そう言って先生はしゃがみこみ、やさしく私の目を見た。
「あなたにだけは、伝えるわ」
先生はゆっくりと話し始める。
私は思わず、息を呑んだ。
「蔵本君は、三学期に入る前に引っ越したのよ」
え?
私は何を言われているのか、理解できなかった。
「何も残っていないのは、彼とお母様の希望なのです」
「そ……ん……な……」
さよならさえ、彼は言ってくれなかった。
私は彼にさよならを言えなかった。
私が彼を拒んだせいで……消えた。
「わ……た……」
「大丈夫、ゆっくりでいいのよ」
私は、喉につっかえて出すことの出来ない感情を、手で書き記す。
文字が震えていた。手も、震えている。
『私のせい?』
「引っ越しは家庭の事情でしたから、あまり自分を責めないで。蔵本君はあなたのことを気にかけていましたよ」
先生は立ち上がり、行こうとした。
このままでは最後の糸さえ切れてしまう。
私は手で必死に手を動かした。
『一言だけでも謝りたい。引っ越し先を教えてください』
住所さえわかれば、押しかけてでも謝るつもりだった。
だけど──
「個人情報だからお教えする事は出来ないの。この話だって、知られたら……だから、ごめんなさい」
そう言うと先生は行ってしまった。
「か、はっ……」
口の中に苦いものが込み上げる。
胸が、痛い。
謝ることさえ、できなくなった。
その後私はどこをどうやって家に帰ったのか、全く覚えていない。
ただ、自分の手を見つめていた。
彼の手を取らなかった、私の手を。
◆ ◆ ◆
卒業式以来、私は人前で声をほとんど出せなくなっていた。
お医者様は体に異常はないから、時間が解決してくれると言ってくれたけれど。
『私は、六島杏奈(むしまあんな)です』
「六島は声を出しづらいから、みんなちゃんと配慮してやってくれ」
「「「はーい」」」
中学に入って、私は筆談で意思を伝えるようになった。
妙に高くて人に意識させる声より、文字のほうが気楽だった。
先生の力添えもあって、人付き合いはうまくいった。
「六島さんって、いつも何をしてるの」
『趣味は本を読むことと、小説を書くこと。あなたは?』
「アタシはこんな本を読むんだけど、六島さん興味ある?」
彼から教えてもらった『読むこと』で、クラスメイトの数人と仲良くなった。
そして、書くことも始めた。
「今日は、どんな話を書いてくれるの?」
「この間書いてくれた『彼と彼』の続き、書いてよ!」
原稿用紙を広げ、ボールペンを握る。
仲良くなった子たちに頼まれて、よく小説を書くようになった。
BLが好評で、よく書くようになった。新しい発見だった。
いつか彼に読ませたい、そう思った。
書きながら考えた。
小学校で周りから避けられていたのは、何だったのだろう。
声という違いが消えて、背の高さも周りと変わらなくなった。
個性が薄くなった私は、私なのだろうか。
わからなくなって、一人になると笑った。
声なく、笑った。
今、私の周りには人がいる。
でも心のなかでは一人だった。
心の孤独は、彼と出会う前から慣れていた。
雫が、机の上に落ちたけど。
うん──割と、平気……。
(終章「取られた手と、変わってゆく手」に続く)
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