第二章 読む手と書く手


「これが連絡のプリントで、こっちが休んでた間の宿題」


「……ありがとう」


 その日、私は蔵本君の家に来ていた。

 住宅街の外れにある、どこか寂れた一軒家。


 彼は数日前から熱を出して学校を休んでいたけど、溜まってきた配布物を届ける役を誰も引き受けなかった。

 仕方なく、私が行く事になった。


「宿題、ちゃんとやってよ。じゃないと私が届けなかったことになるから」


「わかってるって」


「じゃ、私はこれで」


「あ、ちょっと上がっていきなよ。熱は下がったし、お茶くらい出すから」


「……」


「ダメ、かな?」


「いいけど」


 お邪魔しますと靴を脱いで上がったけど、人の気配がしない。


「家の人、誰もいないの?」


「まあ、そんな感じ」


 廊下を歩いていると、大量の本が置かれているのに気がついた。

 壁に沿って、床の上に、いたるところに。


 彼の家族は、よほどの本好きなのかな、そう思っていた。


 不意に廊下の途中にある扉が開いて、本が廊下まであふれ出した。


 私は足を止めた。

 部屋の中を見ると、さらにたくさんの本が積まれてあった。


 いけないことだと思いながらも、つい部屋に入った。

 片隅の机に、借りたモモやナルニアが置いてある。

 その隣に、大好きな映画の原作小説があるのを見つけた。


 十三歳になった魔女が別の町で暮らす話。

 手にとってページをめくってみると、あの『黄色い水仙の栞』が出てきた。


「ここは、父さんの部屋だったんだ」



「栞は母さんが父さんにあげたもの」


 蔵本君が後ろから声をかけてきた。

 びっくりした私は、「ごめんなさい」と言って本を戻そうとした。


「それ、今読んでた所だけど貸してあげるよ」


「お父さんとお母さんの持ち物だけど、いいの?」


「いいよ。父さんはきっと喜んでる」



「あの、もしかしてお父様は──」


「僕が小学校に入る頃に、病気で」


「……」


「この部屋の本はみんな、僕がもらった父さんの形見なんだ。栞もそう」


 グスッと、彼は鼻を鳴らした。


「ここの本があるから、僕の人生は豊かなんだ」


「それも、お父様の受け売り?」


「うん、そうだよ。よくわかってるじゃん」


 目が、赤かった。

 それは風邪のせいではないのだろう。


 彼がいつも冗談を言ったり、物語を読んだり書いたりするのは——きっと、寂しさを紛らわせるためだったのだ。


 私の口から、思わぬ言葉が出ていた。


「蔵本君。時々、ここの本読みに来てもいい?」


「……」


「べ、別に可哀想とか思ってない。読みたい本がたくさんあるから……だよ」


「──うん、いいよ」


 それから休日になると、私はこの部屋で本を読むようになった。

 もちろん、蔵本君も隣にいた。


    ◆ ◆ ◆


「今週は天気いいけど、来週は雨が多くなるらしいよ」


「そうだね……突然どうしたの」


「今週末は晴れなんだ。だから……その……写生に行かないか」


「蔵本君、絵を描くの?」


「いや。絵じゃなくて、文章」


 彼は最近、景色の良い場所を見つけるとノートを取り出し、よく風景を文章にしていた。

 小説が上手くなりたくて、表現に凝っているらしい。



 その日曜、私と彼は県の中心部にある日本三大名園の一つに行った。


 行ったのだけど……。


「……」


 彼は、池のほとりに咲く花(花菖蒲はなしょうぶと言うらしい)をじーっと見つめて、一心不乱に文章を書いていた。


 いつもは私に話しかけてばかりなのに。

 集中が続くのはすごいけど、少しくらいは私の相手をして欲しい。


 そう思ったのが顔に出ていたからなのか、彼は急にこちらを向いた。


「そういえばさ。修学旅行の自由散策、どこへ行くのか決まった?」


「え、あ、うーん……」


「決まってないんだ」


「……うん。私の班は異人館街へ行くことになっているけど、どこかまでは誰も考えてなくって」


「異人館街なら、近くに見晴らしの良いスポットを調べたんだ。一緒に行かないか」


「私と蔵本君、班が別だよ」


「抜ければいいさ。僕も君も、どうせ数合わせで入れられただけなんだから」


 確かに、私たちはどちらも余り者だ。

 それはそう、なんだけど。


「ちょっと考えさせて」


「わかった」


 そう言うと、彼はまた目の前の景色に集中し始めた。

 と思ったらまたこっちを向いた。


「もう一つあるんだ。7月に入ってすぐのお祭りなんだけど──」

 

    ◆ ◆ ◆


 誰かと一緒に祭りに行くのが楽しいなんて、私は知らなかった。


 父に友達と祭りへ行くという話をしたら、なぜか泣いて喜んで、いつもより多くお小遣いをくれた。


 母は浴衣を買ってくれた。栞のことを話していたせいか、紺色に白い水仙の花があしらわれていた。



「……なんだか、いつもと違う」


「それだけ?」


「と、とても綺麗です。──これで満足?」


「ん。満足」


 ちょっと気を良くした私は、出店を片っ端から回った。


「六島さん、ちょっとこれやりすぎじゃない?」


 くじを引いたり、面白そうなのを買ったり、ヨーヨー釣りをしていたら……。

 蔵本君には天使の羽と星のカチューシャが付いて、右手には玩具の剣を、左手にはヨーヨーを持っていた。


「まるっきりキメラだこれ」


 彼は、笑っていた。


「んーん?」


 私はりんご飴をかじりながら、変な格好になった蔵本くんを笑った。

 笑いながら私の手は、彼の腕をつまんででいた。


「六島さん、どこつまんでるの?」


 そう言いながらも、彼は嫌がる素振りを見せなかった。


「んーんー」


「なにそれ、よくわからないぞ?」


 そんな感じで祭り堪能していると……。




「……ボッチ同士のくせに……」




 笑いを堪えるような、ヒソヒソと囁く声が聞こえた気がした。


「あ!」


 言いながら、私は反射的に手をひっこめた。


「どうしたの?」


「さっき同じクラスの子とすれ違った気がする」


 りんご飴の棒を持つ手に力が入り、ぎしっと音がした。


「気のせいじゃないか?」


 蔵本君は首を傾げたまま、右手の玩具の剣を持ち直した。

 気づいていないようだ。


「……気のせい、かも」


 私はその時、全く気にしていなかった。

 彼は友達だったから。

 大切な友達。


「なら、いいんだけどさ」



 楽しい時間はあっという間に過ぎた。

 親に言われていた門限が近づいていた。


「ありがとう、蔵本君。今日、とても楽しかった」


「どういたしまして。──あ、そうだ」


 別れ際、彼は私に数枚の原稿用紙を渡してきた。


「六島さん、これを……帰ったら読んでくれないか」


 薄明かりの下、見てみると手書きの小説のようだった。


「返事は今度でいいから」



 家に帰って私はその小説を読んだけど、中身が全く頭に入らなかった。


 どこかに一緒に行く、手を繋ぐ、好きと伝える。


 今思えば、それは恋愛小説だった。

 でも当時の私には、意味がわからなかった。


 いや——意味は解るのに、わからなかった。

 困惑していたのだと思う。



 翌日からクラスメイトの間で、私と彼の事が噂されるようになった。


「ボッチ同士、デキてるんだって」

「女の子の方が背が高いカップルなんて、ありえないよね」


 その言葉が何度も耳に残り、心に小さな棘を刺した。

 一つの棘は小さくても、数が多ければ暴力となる。


 なるべく気にしないことにしていたが、いつしか心に無数の傷がついていた。

 私は少しづつ、彼を避けるようになった。


 夏休み中も、彼に全く会わなかった。




(第三章「差し出された手と払う手」に続く)


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