第2話「参考書は嘘をつかない」


ページをめくる指が、わずかに震えていた。


恐怖じゃない。

条件が揃ったときにだけ出る、あの震えだ。


本棚から取り出した一冊。

『魔力回路の基礎I:電流に似たもの』


中身は、驚くほど無機質な「教科書」だった。


――魔力とは、大気中のポテンシャルエネルギーである。

――体内に取り込む際は「抵抗」が生じ、変換効率は個人の「回路」に依存する。


抽象的な精神論は一行もない。

あるのは定義と、法則と、式と、手順。


僕は貪るように読む。


知らないはずの概念なのに、文章が“説明”として成立している。

だから、理解できる。


数学の難問を解くときと同じだ。

分からないのは能力じゃなくて、手順が欠けているだけ。


「……魔力の流れは、電圧と電流の関係に近似できる、か」


僕は掌を開いた。


意識するのは指先から“何か”を出すことじゃない。

その前――体内でどう流すか。どこで落ちるか。


血液みたいな曖昧なイメージは捨てる。

数値を入力するみたいに、条件を決める。


「出力制限……一パーセント」


回路を繋ぐ。


――瞬間。


頭の奥が、熱で裏返るみたいに痛んだ。


「……っ」


視界が一度、白くなる。

胃が持ち上がる。

“処理領域”を、力づくで持っていかれる感覚。


これが反動か。


読むだけなら平気だった。

でも“やる”と代償が発生する。


それでも。


パチッ。


指先に、青白い火花が弾けた。


魔法と呼ぶには小さい。

静電気みたいなノイズだ。


でも――僕が意図した通りに、意図した出力で起きた現象だった。


「……はは」


鼻の奥が熱い。垂れてきた赤を手の甲で拭う。

頭は痛い。気分も悪い。


それでも、笑いが止まらなかった。


再現できた。


才能でも、神の気まぐれでもない。

法則通りに入力すれば、同じ答えが返ってくる。


参考書は嘘をつかない。

この世界で、いま一番信用できるのはこれだ。


僕はページの余白に、次の検証項目を書き足した。

抵抗の変動係数。反動の閾値。安全な上限。



翌朝の教室は、相変わらず浮ついていた。


「俺、炎魔法の適性あったわ! 詠唱これだけでいいんだぜ」

「すげー! やっぱセンスあるやつは違うな!」


飛び交うのは「センス」「才能」「適性」という言葉ばかり。


ブラックボックスのスイッチを押して、光った、燃えたと騒いでいる。

それ自体を否定する気はない。


ただ、僕は知りたい。


なぜ燃える。

燃えなくなったら、どうする。


僕はノートにペンを走らせた。


昨夜の現象を、式と手順に落とし直す。

抵抗の変動係数がまだ曖昧だ。ここが特定できれば、反動を減らしつつ出力を上げられる。


「……見ろよ、一ノ瀬」

「まだ勉強してんの?」

「昨日、測定不能(エラー)だったくせに」


笑い声。


彼らは、僕を“落ちこぼれ”に分類したいだけだ。

理由は何でもいい。


僕の心は、驚くほど凪いでいた。


(構造を知らない力は、応用が利かない)


僕は淡々と式変形を続ける。

感覚で遊ぶのは、その後でもできる。


まずは、再現性。



放課後。


検証のため訓練室へ向かおうとした廊下で、行く手を塞がれた。


「よう、ガリ勉」


神宮寺レンだ。

取り巻きを連れて、壁に手をつき、僕の進路を狭める。無駄に近い距離。


「どこ行く気だ? まさか訓練室か?」


「……そうだけど」


「はっ。やめとけって。昨日の測定不能(エラー)野郎が何しに行くんだよ。的になるだけだ」


取り巻きが下卑た笑いを漏らす。


レンは僕の胸を軽く小突いた。

力は弱い。けれど意図は分かりやすい。見下しと、支配。


僕は一度だけ息を吐いた。


「どいてくれないか」


「あ?」


「検証したいだけなんだ。君と話してる時間はない」


レンの眉がピクリと跳ねた。


「……テメェ、測定不能のくせに粋がってんじゃねえぞ」


低い声。恫喝。


でも僕の視線はもう、訓練室の扉に向いていた。

昨日の式を、現実で試したい。

仮説が当たっているか、確かめたい。


僕の無関心さが、レンの癇に障ったらしい。

拳を握りかけたその時、廊下の向こうから教師の足音が近づく。


レンは舌打ちをして手を引いた。


「……チッ。まあいい。どうせすぐ分かる」

「机上の空論が役に立たねえってことはな」


わざとらしく肩をぶつけ、レンは去っていった。


廊下に残ったのは静寂だけ。


現場じゃ死ぬ、か。

そうかもしれない。今のままなら。


だから実験が必要なんだ。

理論を、現象として定着させるための手順が。



夜。


自室に戻ると、本棚はそこにあった。

相変わらず静かで、存在感だけがやけに重い。


一段目。


昨日の『魔力回路の基礎I』の隣に――見覚えのない背表紙が増えていた。


僕は指先で金文字をなぞる。


明日の問題。


『模擬戦の必勝法:最短経路と運動方程式』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る