第3話

 宿に戻ったのは、日が完全に落ちてからだった。


 港町の夜は賑やかで、酒場の灯りと人の声が途切れない。昼間の廃区画で見た荒れた光景とは、まるで別世界だ。俺は一番安いとは言えない、だが汚くもない宿の部屋を取った。探索者として一年。それなりに稼げるようになってきた証拠でもある。


 部屋に入るなり、ベッドに腰を下ろす。


「……ふう」


 ようやく一息ついた、という感覚だった。


「今日はよく動いたね」


 何でもない調子で、ノルンが言う。

 いつの間にか、部屋の椅子に腰掛けていた。


「そうですね。正直、想定より派手でした」


「君基準でそれなら、十分すぎるよ」


 からかうような口調だが、視線はどこか満足げだ。


「さて。依頼は無事完了だ」


 ノルンは足を組み直し、こちらを見る。


「報酬の話をしようか」


「……報酬?」


 依頼主が神様である以上、金貨袋を渡されるとは思っていなかった。むしろ、報酬なんて形だけのものだと考えていたくらいだ。


「うん。ちゃんと用意してある」


 ノルンは指を鳴らした。


 次の瞬間、部屋の中央に何かが現れた。


 人影だ。


 俺よりかなり小さい背丈。

 白髪蒼眼。

 外見は――ノルンそのもの。


 ただし、表情が違う。

 今そこにいるノルンのような尊大さも、気配もない。


「……?」


 思わず立ち上がる。


「それは?」


「私の器だよ」


 さらっと言う。


「正確には、私を基準に作った自律人形だ」


 人形。

 そう言われてみれば、呼吸の気配がない。

 視線も定まらず、ただそこに立っているだけの感じがする。


「擬似人格は入っている。会話も出来るし、命令も聞く」

「生活補助、家事全般、雑務……ああ、性処理も可能だ」


「……え?」


 聞き返す前に、ノルンは続けた。


「この器は君の理想を基準に作ってあるからね。性能は折り紙付きだ」


 何をどう突っ込めばいいのか分からない。


「好きに使っていい。君へのご褒美だ」


 一拍置いて、ノルンは人差し指を立てた。


「ただし」


 声の温度が、一段下がる。


「それをに向けたら、即座に殺す」

「その場合、行き先は天国じゃない。地獄だ」


 にっこり笑っているが、冗談ではないのが分かる。


「……分かりました」


 反射的に頷いた。


「よろしい」


 満足そうに、ノルンは手を下ろす。


「安心したまえ。線引きさえ守れば、問題は起きない」

「君は真面目だからね」


 評価なのか、観測結果なのか。

 どちらとも取れる言い方だった。


「それと――」


 ノルンは少しだけ間を置いた。


「先述したように、君にはこれから英雄としての道を歩んでもらう。

 私が直接関わるのは、ここまでだ」


「……もう、直接の仕事は?」


「当分はない。成長を見守る段階だ」


 淡々とした口調だ。


「ある人に、君を見せたいと思っていてね」

「そのためには、もう少しが要る」


 ある人。


 名前は出ない。

 理由も説明されない。


「気にする必要はないよ」

「君は君の道を進めばいい」


 そう言って、ノルンは立ち上がった。


「次に会う時、今より強くなっていることを期待している」


 それだけ残し、気配ごと消える。


 部屋には、俺と、人形だけが残った。


 しばらく、何も考えずに立ち尽くす。


「……とんでもないな」


 呟いてから、苦笑した。


 天国だの、死後の保証だの。

 正直、ここ一年は完全に忘れていた。


 生きるので精一杯で、そんな余裕はなかったからだ。


 だが今回、神様は「報いは確かにある」と、はっきり示してきた。

 それも、かなり具体的な形で。


 悪くない。

 むしろ、やる気が出た。


 英雄になれれば、最高の形の先がある。

 なら、やることは一つだ。


 今は考えすぎない。

 強くなる。

 実績を積む。

 生き延びる。


 俺はベッドに倒れ込み、天井を見上げた。


「……よし」


 短く言って、目を閉じる。


 英雄への道は、まだ始まったばかりだ。






 …………………その後?


 ………………



 ………………



 ……………………



 そりゃ…………



 使うよ……男だし…


 性癖どストライクだし……








 ――その日に寝たのは明け方だった。




 ◇ ◇ ◇




 昼過ぎ。


 …起床直後。腰が痛いとか言ってる場合でも無く、俺は直ぐに拠点としているギルドまで戻った。散々お世話になった人形は、ボタン一つでカプセルに収納されるらしい。人形の外観は名門貴族、ハーディス家のご令嬢本人のものでもある。本来その辺の探索者が連れ回して良い存在では無いので、神様ノルンの細やかな配慮が身に染みる。



 ギルド拠点に戻った瞬間、空気が違うのが分かった。


 昼時で、人の出入りは多い。

 いつもなら騒がしいはずの受付前が、今日は妙に静かだった。


 ……いや、正確には、視線が集まっている。


 俺が扉をくぐった途端、何人かが露骨に動きを止めた。


「……おい」

「本人か?」

「間違いねえだろ」


 小声だが、はっきり聞こえる。


(何だ……?)


 首を傾げながら歩いていると、正面からローウェンが現れた。


「……戻ったか」


 一瞬、言葉に詰まったような顔。

 それから、ゆっくり息を吐いた。


「無事そうだな」

「はい。問題なく終わりました」


 そう答えた途端、周囲のざわめきが一段大きくなる。


「問題なく、だと……?」

「英傑級混じってたって話だぞ」

「外じゃあり得ねえ数だろ」


 ローウェンが片手を上げ、周囲を制した。


「静かにしろ」


 一声で、場が落ち着く。


「……噂は、もう回ってる」

 ローウェンは低く言った。

「廃区画で、魔物の群れが突然湧いた」

「しかも、熟練どころか英傑級が複数」

「それを――」


 視線が、俺に向く。


「一人で、正面から押し潰したってな」


「え?」


 思わず素で声が出た。


「そんな言い方されてるんですか?」

「されてる」


 即答だった。


『千切っては投げて、叩き潰した』

『壁も地面も関係なく蹴散らした』

『途中から空中を歩いてた』


 大体事実だけど……少し盛られてないか?


「証言者が多すぎる」

 ローウェンは肩を竦める。

「否定しようがない」


 周囲の探索者たちは、半信半疑と警戒が入り混じった顔だ。

 中には、明らかに距離を取る者もいる。


(いや近くにいたのは神様ノルンだけだから目撃者多数は絶対にあり得ないんだけど……)


「それでだ」


 ローウェンは話を切り替えた。


「依頼元から、正式な報奨と書状が届いている」


「書状?」


「ハーディス家名義だ」


 その一言で、空気が完全に変わった。


 ざわ、と音がした気がする。


「……は?」


「ハーディス家……?」

「冗談だろ……」


 ローウェンは封を切っていない書状を掲げた。


「正式な謝意…今回の件に対する功績認定。

 そして――」


 一瞬、間を置く。


「今後、ハーディス家が後援に付く旨の通達」


 完全に静まり返った。


「……それ、すごいんですか?」


 俺が聞くと、ローウェンは一瞬だけ言葉を失った。


「……ああ。控えめに言って、破格だ」


「探索者二年目の若輩に出る類の話じゃない。

 というか、普通は一生縁がない」


 周囲の視線が、さっきより明確に変わる。


 羨望に、少しの警戒。

 そして――納得。


「ああ、だからか」

「だから一人で行かせたのか」

「最初から格が違ったってわけだ」


 勝手に理解されている。


(まあ……間違ってはいないけど)


「報酬も、金だけじゃない」


 ローウェンは続ける。


「聖遺物装備の優先購入権」

「特定地域への立ち入り許可」

「一部依頼の優先開示」


 どれも、英雄への道を進む者に必要なものだ。


「小国の場末のギルドでそう見ないものだらけだ」


 ローウェンは俺を真っ直ぐ見る。


「調子に乗るなよ。

 だが、遠慮もしなくていい」


 短く、はっきりした言葉だった。


「……分かりました」


 そう答えると、ローウェンは小さく笑った。


「変わらねえなお前は、まっそこが救いか!」


 その日のギルドは、妙に居心地が悪かった。


 話しかけてくる者。

 距離を置く者。

 視線だけ送ってくる者。


 だが、悪い気分ではない。


(英雄か……)


 まだ実感はない。

 けれど、確かに道は開いた。


 ノルンの言葉が、頭をよぎる。


 ――箔が要る。


 なるほど…こういうことか。


 俺は軽く息を吐き、受付へ向かった。


 次の依頼を受けるために。


 英雄への道は、確実に動き出していた。

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