第6話:夜は『ひとり』で寝かせて。
「……ふぅ。ごちそうさま。本当に、死ぬほど美味しかったわ」
私はビールのジョッキを置き、大きく息を吐いた。
正直に認めよう。女剣聖フタバの「嫁力」は、私の想像を遥かに超えていた。新宿の高級店でも味わえないような、滋味深く、かつ酒飲みのツボを完璧に抑えた家庭料理の暴力。
胃袋を掴まれるということが、これほどまでに思考能力を低下させ、独身主義の城壁をガタガタに揺さぶるものだとは。
だが、幸福感に浸っていられたのはそこまでだった。
時計の針は既に深夜。私が中古で購入したこのマイホームには、当然ながら寝室は一つしかない。私が32年間、誰にも邪魔されずに「至高の一人寝」を謳歌してきた、聖域中の聖域だ。
「さて……。ご飯も食べたし、あなたたち、そろそろ自分の家に帰りなさい。私のベッドは一人用なのよ」
私が冷たく言い放つと、リビングの空気が一変した。
「ユキ殿、何を言っている。外は既に暗い。このような時間に女性を一人で帰すのは、防犯上も、そして私の『真心』の観点からも許容できぬ。私は……貴殿の隣で、料理の感想を朝まで聞きたいのだ」
フタバが耳まで赤くしながら、寝室のドアのノブをしっかりと握りしめる。
「甘いぞ剣聖! ユキの寝所を守るのは、魔界の王たる余の特権だ!」
ミアが紫の魔力を練り上げ、それを形作っていく。
「昨夜の反省を活かし、今回は『最高級のシルクよりも柔らかい抱き枕』に形状変化させておいたぞ。さあ、余を抱いて眠るが良い。そして朝になれば、余の魔力によって貴様の身体は――」
「生やすな! 変形させるな! 不潔よ!」
「お二人とも、下がってください!」
割って入ったのはリズだ。彼女は既に騎士服を脱ぎ捨て、どこに隠し持っていたのか、純白のスリップ一枚という、目のやり場に困る格好になっていた。 鍛え上げられたしなやかな肢体と、溢れんばかりの豊かな双丘。それが湯上がりの熱で上気し、甘い香りを放っている。
「主君を寝首をかく輩……あるいは、夜這いを目論む魔王から守るのが騎士の誉れ! ユキ様、今夜は私が『肉の盾』となって、貴女を包み込んで差し上げます! 私のこの胸を枕にしていただいても構いません!」
「盾じゃなくて、あんたが一番の脅威なのよ!」
私は必死に抵抗した。しかし、相手は世界を救うレベルの強者たちだ。
私が「ダメだと言ってるでしょ!」と叫ぶ間もなく、彼女たちは当然のような顔をして、私の狭い寝室へと雪溢れ込んできた。
結果。
私は、人生で最も「密度の高い」夜を過ごす羽目になった。
「……ちょ、リズ、重い! 胸が当たってるってば!」
「主君……はぁ、ユキ様……なんていい匂いがするのでしょう……。このまま、私の腕の中で一生……」
右側からは、リズの豊満な重みが押し寄せてくる。彼女の大きな胸が私の腕を挟み込み、熱い吐息が耳元を掠める。
「ユキ、動くな。余の抱き枕形態の寝心地はどうだ? ほら、この足を絡める感触……魔界の秘術による快眠を約束してやろう……」
左側からは、ミアが私の脚に自分の脚を絡ませ、少女のような柔らかな肌をこれでもかと密着させてくる。
「……私は、ここだ。貴殿の心音を確認していなければ、不安で眠れぬ」
そして正面。
フタバが私の胸元に顔を埋めるようにして、私の心臓の音を聞いている。彼女の指先が、私のパジャマのボタンに触れるか触れないかの距離で彷徨っている。
逃げ場がない。
前後左右、どこを向いても世界最強の美女たちの肌と、吐息と、香りに包まれている。
32歳の独身女。成婚率No.1のアドバイザー。
そんな肩書きは、この熱帯夜のような寝室では何の役にも立たなかった。
(私の自由は……? 私の、誰にも汚されないはずだった一人寝は……!?)
彼女たちの「重すぎる愛」が、物理的な圧力となって私を押し潰す。
しかも最悪なことに、彼女たちの肌は驚くほど滑らかで心地よく、フタバの料理の余韻も相まって、私の身体は裏切り者のように「心地よい」と感じ始めていた。
だが、私は忘れていない。
この一線を越えれば、私の「自由」は完全に終わる。
彼女たちの情熱に絆され、独身主義という名の誇りを捨てるわけにはいかないのだ。
結局、私は三方向からの「分からせ」に耐え続け、一睡もできないまま朝を迎えた。
窓から差し込む朝日が、もみくちゃにされた私と、幸せそうに私の身体を抱きしめて眠る三人の顔を照らし出す。
「……もう、限界よ」
私は決意した。 このままでは、私の精神が物理的に削り取られる。
戦術的撤退……いや、戦域の変更が必要だ。
私は彼女たちが起きる前に、リズの腕とミアの脚、そしてフタバの抱擁をパズルのように一つずつ慎重に外すと、抜け殻のようになった寝室を後にした。
「今日から、仕事のやり方を変えさせてもらうわ。……女の相手がダメなら、男の相手をしてやるわよ。あんな変態たちよりは、男の方がまだ論理的に話が通じるはずだわ」
それが、さらなる「無自覚な地獄」への入り口だとは知らずに、私はギルドへと向かった。
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