第2話:結婚なんて『馬鹿』がすること。

「ふぅ……あー、死ぬ。マジで死ぬ。どいつもこいつも、結婚をなんだと思ってるんだ……」


相談所の鍵を閉め、私は千鳥足で帰路についた。


表向きは清潔感あふれるカリスマ・アドバイザー。だが、裏の顔はこれだ。


路地裏の酒屋で、冷えたエール(この世界では缶ビールに似た魔導容器に入った代物がある)を3本、そして香草で炒めたガツンとくる魔獣の肉を買い込む。


ボロいけれど、防音魔法だけは完璧に施した私のお城。異世界で32歳まで必死に働いて貯めたお金を全て投入し、中古だけど広々としたお家を購入しちゃったのだ!


玄関に入るなり、窮屈な制服を脱ぎ捨てる。


ブラジャーのホックを外した瞬間の、あの解放感。


これだよ、これ。これのために生きてる。


まずは風呂だ。


魔石を使った湯沸かし器は、独身女性の給料一ヶ月分もしたが、後悔はない。


ラベンダーに似た香りの入浴剤をドバドバと入れ、私は湯船に沈んだ。


「あ゙あ゙ぁぁ……溶ける……」


32歳の身体に、温かいお湯が染み渡る。


仕事中はキリッとした表情を作っているが、今はただの、だらしない独身女だ。


前世では処女のまま死んだし、今世でもその純潔は守り抜いている。


別に、男が嫌いなわけじゃない。ただ、私のこの完璧なルーティンに、他人が介在するスペースがないだけだ。


「あー、気持ちいい……。後で、自分にご褒美で、シてあげようかな……」


ぼんやりと、自分の白い肌を眺める。


鏡に映る私は、前世よりも少しだけ若返り、それでいて大人の色気を帯びた「いい女」に転生していた。


欲求が溜まったら、自分の指で、自分を愛でる。それで十分じゃないか。


他人の気まぐれな愛に期待して、期待外れで傷つくなんて、非効率の極みだ。


風呂から上がり、私はバスタオル一枚を胸元で巻いただけの姿で、リビングへ向かった。


髪からは雫が滴り、肩やデコルテには上気した赤みが差している。


誰も見てないのをいいことに、行儀悪くソファにドカ座りし、プシュッ、と缶を開けた。


「くぅぅぅぅ……っ!! 染みる!!」


キンキンに冷えた黄金の液体が、喉を焼きながら胃に落ちていく。


続けて、脂ぎった肉を口に放り込む。


「んんーっ! この、ニンニクの暴力的な香りとビールのハーモニー! これぞ独身貴族の特権!」


誰の目も気にせず、ほぼ半裸で酒を食らう。


誰かに「はしたない」と言われることもない。


誰かに「夕飯まだ?」と催促されることもない。


この自由。この、孤独という名の贅沢。


これを自ら手放す人間の気持ちが、私にはわからない。


私の表情は、あまりの幸福にトロトロと蕩けていた。


……が、その時だ。


「――ユキ、やはりここにいたか」


「ぶっっっ!!!!!!」


吹き出したエールが、私のバスタオルを黄金色に染めた。


慌てて視線を入口に向けると、そこには、本来なら厳重に鍵をかけていたはずのドアを、文字通り物理的というか魔力的(?)に消滅させて突っ立っている影があった。


「ま、ま、魔王ミア!?」


「いきなり押し入ってすまぬ。だが、余はどうしても我慢できなかったのだ」


ミアは、昼間のドレス姿とは一変し、漆黒の戦闘装束に身を包んでいた。


その瞳は怪しく光り、背後からは禍々しい紫色のオーラが立ち昇っている。


いや、オーラだけじゃない。


「ユキ、お前の言った通りだ。余には、普通の男では物足りぬ。ならば……余自身が、お前を征服する『王』になればいいのだと気づいた!」


ミアの魔力が膨れ上がり、彼女の股間のあたりで、ドロリとした闇の魔力が収束していく。


え、ちょっと待って。


何、その禍々しい紫色の……え? 生やすの? それ、自分に生やしちゃうの!?


「待て、待て待て待て! 魔王様! ストップ! 私は婚活アドバイザーであって、そういう対象じゃ――」


イキリ立つ紫の棒からは禍々しいオーラが溢れ出てる。


なんか脈打ってない? グロッ、おぇっ。


「問答無用! 余をこれほどまでに熱くさせた責任、取ってもらうぞ!」


魔王が、野獣のような目をして私に飛びかかってきた。


「安心しろ! 天井のシミでも数えておれ! すぐに終わる!」


いやそれ『薄い本』とかでしか聞かないやつじゃん!


「先っぽだけ! 先っぽだけ!」


それ絶対嘘じゃん。前世でクズ男が言ってそうなセリフNo.1のやつじゃん!


バスタオル一枚の私は、文字通り、まな板の上の鯉……いや、酒のつまみの魔獣肉状態。


絶体絶命。


私の「自由な独身生活」が、物理的な暴力と紫色の棒によって終わろうとしていた。


「そこまでだ、魔王!」


凄まじい衝撃音と共に、我が家の壁がもう一枚おさらばした。


爆風と共に現れたのは、これまた本日相談に来ていた女剣聖、フタバ。


彼女は刀を抜き放ち、私を背中に庇うようにして立った。


「フタバ様!? なんで私の家を知ってるんですか!?」


「フン、貴殿のような賢女の居場所、最強の追跡スキルを持つ私に分からぬはずなかろう。それより魔王、貴様……ユキ殿に何をしようとしていた?」


フタバの視線が、魔王ミアの股間にそびえ立つ「禍々しい紫の突起(魔力製)」に注がれる。


フタバの頬が、一瞬で朱に染まった。


「なっ……! 貴様、不潔だぞ! そんな野蛮な……そんな、自分に生やすなどという破廉恥な手段で、ユキ殿の純潔を奪おうなどと!」


「ふん、剣聖か。邪魔をするな。これは余の愛の形だ。ユキを、余の『妃』として迎え入れるための準備に過ぎん!」


「笑わせるな! ユキ殿は、私に『忍耐強い男を探せ』と教えてくれた恩人だ。だが、私は気づいた。私の心を掴めるのは、男ではない。私の心をこれほどまでに乱した、ユキ殿、あなただけだと!」


……ちょっと待て。話が、斜め上の方向にフルスロットルで加速している。


「ええい、どいつもこいつも、ユキ様を独り占めしようなどと、不敬ですよ!」


今度は窓から、近衛騎士団長のリズが、ワイヤーを伝ってエントリーしてきた。


彼女の手には、なぜか大量の「百合の花束」と「婚姻届(王国公式)」が握られている。


「姫様との恋は諦めました! 今の私は、ユキ様に仕え、ユキ様を守り、ユキ様と生涯を共にする……いえ、ユキ様に踏まれるための盾になりたいのです!」


「……もう、嫌だ、この世界」


私は、空になったエールの缶を握りしめ、天を仰いだ。


目の前では、魔王が紫の棒を振り回し、剣聖が顔を真っ赤にして刀を構え、騎士団長が変態的な独白を垂れ流している。


カオスだ。


前世の、あの「条件にうるさい相談者」たちの方が、まだ人間味があった。


こいつら、スペックが高すぎて、拗らせ方も次元が違う。


「……静かにしなさい!!!」


私の怒号が、魔法の爆発音をかき消した。


三人がピタリと動きを止める。


私は、バスタオルがずり落ちないよう必死に抑えながら、仁王立ちした。


「魔王! その紫の不潔なものを今すぐ消して! 剣聖! 刀をしまえ、ここは私の家だ! 騎士団長! その婚姻届は…………食え!」


「「「ひっ……!」」」


「いいですか。私は、自由を愛する女です。誰にも縛られず、風呂上がりのビールと、つまみの肉と、一人の時間を楽しむために生きてるんです! あなたたちが私を好きだろうが、そんなの関係ない。私の許可なく、私の『聖域』に踏み込む奴は、顧客だろうがなんだろうが、成婚率0%にしてやる!!」


私の気迫に、世界最強の女たちが一歩後ずさった。


だが。


「……素敵」


「ああ、その怒った顔……たまらん」


「ユキ、やはりお前は余に相応しい女だ……」


逆効果だった。こいつら、全員Mっ気があるのか!?


結局、その夜は私の家で、謎の四人飲み会が開催される羽目になった。


魔王は「紫の棒」を消したものの、私の隣を死守し、剣聖はせっせと私のために肉を焼き(上手いのが悔しい)、騎士団長は私の足をマッサージしようと隙を伺っている。


私の自由は、どこへ行った? 私の、誰にも邪魔されない至福の時間は?


「……はぁ。明日、相談所の看板に『女性専用(※ただし私を口説く奴はお断り)』って書き加えておこう……」


私の戦いは、まだ始まったばかりだ。異世界での「至高の独身生活」を守るための、地獄のような日常が。



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