あしひきの 山きへなりて 遠からなくに
どうやら俺は死んだらしい。そう自覚したのは目の前に明らかに死んでいる様子が見て取れる「俺の身体」があったから。高校からの吹奏楽仲間である日坂と大学卒業後の進路も決まったのだから遊びに行こうと海に訪れた。実際は俺らが音楽から離れられるはずもなく海辺で小さな演奏会をすることになったのだが
――
満月の下で1人トランペットを構える。幽霊であるらしい俺が吹くこの音を聴くやつなんていない。音の丁寧さを意識したロングトーンを始めとする基礎練を一緒にやった同じパートの同期も。毎公演できるだけ音を安定させろ、アレンジを加えるなと文句を言いつつ合わせてくれる他パートの相棒も、2年の時のアンサンブルで組んだ控えめだけど包み込むような暖かい音を出すアイツもいない。
中学時代のあの感じ、虚無感とか言ったか。が蘇った気がする。そんな時、ずっと動いていなかったスマホがひとつの通知を知らせた。
ー月読の 光に来ませ
あしひきの 山きへなりて 遠からなくにー
行かないと、と漠然と思った。呼ばれているのだと、来いと言われているのだと、そう思った。死んだ後の身体というのは便利なもので、壁をすり抜けられない癖に疲れないものだから移動が早い。思ったよりもずっと早く目的の場所に着いた。そっとインターホンに触れる。物を触ることができないはずの俺の手はしっかりとそのボタンを押した。少しして、ガチャりとドアが空いた。そこには珍しく呆けた表情の男がいた。
「は、
「あ?お前が会いたいから来いって言ったんだろうが。」
「ちょ、え?はぁ?!お前、あれの意味がわかったわけ?!」
「???アレ……?わかんねーけど、そんな気がしたから」
「……バカ、ほんっと、バカ。これだから単細胞は……」
なんで馬鹿にされているのかは分からなかったけど月許は俺を部屋の中に入れた。あぁ、懐かしいな。そう思うほどには最後にここに訪れてから時間が経っているらしい。
…そういえば、茶菓子を買ってくるの、忘れたな。また文句、言われるか……?
「紅茶でいい?」
「あ?なんでもいい。」
「そ。」
冷たく返事をした月許がキッチンに立つ。茶器が揺れて起こすカチャカチャという音も久しぶりに聞いた。彼が――月許が紅茶を入れる様子は儀式に似ていると思う。代河が練習終わりにハンドクリームで手の手入れをするような、そんな様子に似ていると思う。一つ一つの工程を丁寧に丁寧にこなしていく作業。その様子を眺めているのが代河は思いの外好きであった。
「砂糖とミルク、使うなら勝手に。」
「いや、月許が入れるのは美味いからこれでいい。」
コトリと置かれた紅茶は素人目ながらに美味しそうだと思う。綺麗な色をしているし、何の匂いかは分からないけどいい香りがする。月許の家に行くといつも紅茶を淹れてくれるが、その違いがわかった試しはない。でも、彼が入れてくれた紅茶は不思議と口に馴染んだ。月許は甘いものも喜んで食べるということもあって砂糖とミルクを入れた物を好むようだけれど、代河はそのまま飲むのがお気に入りであった。そっと手を伸ばせばやっぱり普段は特定のもの以外に触れないはずの手にカップが当たる。温かさが手のひらに伝わった。何でだろう、と少し不思議には思ったけれど、別に考え込む気もなく、そのまま飲んだ。いつもと違うけど、まぁ、そういうものなのだろう。温かさと少し口に残る渋さが身に染みる。
「……最近、どうだ?」
「???普通だけど。」
普通に話しかけたつもりだったけれどどうやら唐突過ぎたらしい。月許の困惑したような表情で悟った。返事を聞いても特に言うべき言葉は見つからず、そのまま無音の時が過ぎた。静けさが、この空気感が心地よかった。自分は存外、「人と共有する時間」というものに飢えていたのだと知る。久しぶりに人と過ごすこの時間が無言でも居心地が良いと思ってしまうくらいには。気がつけば窓の外は白み始めていた。
――帰らなければ。唐突にそう思った。帰らなければ行けないのだと、誰に言われた訳でもないはずなのにそう考えて「帰る」と口にした瞬間に言いたいことが色々思い浮かんだ。でも、
「あのさ、月許。お前ならもっと上のレベル高い楽団も目指せるぞ。」
言えたのはその一言だけだった。呆然としている彼を置いて外に出る。これは事実だった。だってアイツ、オブリガートもハモリも上手いし、冷静だし。ソロで活動するにはちょっと華がないけどずっとサックスを吹いているだけあって慣れがある。ただ自己評価が低い所があるだけで十分実力がある奏者なのだ。そうでなければ高校一年生の時のアンサンブルコンクールのメンバーに先輩に混じって選ばれたりなどしないに決まっている。
「なんだっけ、月に照らされた輝かしいものになる……みたいなやつ。」
高校時代、月許に教わった和歌。アイツも和歌を送ってきたのだから俺も送ったところで問題は無いだろう。
ー形見には 我が面影を 追わずとも
君進むよに 月は輝く
やっとの事で思い出した和歌を彼に送る。赤点回避の為に無理を言って勉強を教えて貰っていたあの頃が懐かしい。これも彼が教えてくれたものの1つだったはずだ。あってるか間違ってるかは分からないけどきっと月許ならわかるはずだ。だって頭いいからな、あいつ。月は輝くってこの和歌でも言ってんだ。きっと月許も大いに活躍してくれるに違いない。そう満足してスマホの画面を切った俺の頭上には白くなった月が浮かんでいた。
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