第3話 春の便り

 気づくと、私は川沿いの道に戻っていた。

 すっかり雪は止んでいて、幻想的な白い世界は消え、残されたのは所々ぬかるんでいる砂利道だけ。 


(帰ってきてしまった)


 遠くまで歩いたはずなのに、立っていたのは家の近い場所だった。

 私は上着の胸をきゅっと掴む。急に現実に引き戻された寂しさにしばらく動くことができなかった。

 もう五分だけ。

 一人でいたい。

 そう思っていたけれど、叶わないらしい。道の向こうから早歩きの父の姿が見えたのだ。


「ああ、いた」


 父が駆け寄ってきた。私を見るなり小さくため息をつく。


「もう少し早めに帰りなさい」


 父は静かに怒っていた。くるりと背を向け、黙って歩き出す。私はその後を追う他ない。

 それでも、迎え来たのが父で少しホッとしていた。

 私の手は寒さで真っ赤になっていた。当然のようにあかぎれができていた。母は怒るかもしれない。手袋もしないで出かけたことを咎めるかもしれない。


ーー帰れなくたっていいよね?


 あの時の声が母に似ている気がしてきて、私はうつむくしかなかった。

 

(もし、あの時……)


 考えても答えは出ない。私は帰ることを選んだのだから。

 家の前に着くと、私は父の後ろで右手をゆっくりと開く。中には何も入っていなかった。

 でも、私にもわかった。

 春の便りはちゃんと入っていた。


「あれ?」


 父が振り返る。


「花の匂いがするね」


 私は素直に頷いた。


「懐かしい匂い……これは沈丁花だ。どこかで咲き始めたのかな。お父さんの実家の玄関にあったんだよ、沈丁花。そろそろ春だね」


 父の顔は綻んでいた。それなのに、少し寂しそうだった。父の実家の沈丁花はもうないのかもしれない。不思議とそんな気がした。

 私は空を見上げる。

 空っぽの手のひらから漂う沈丁花の香りは、郵便屋さんからもらった春の便り。こんなに寒いのに春はすぐそばいる。


(ちゃんと届けたよ)


 沈丁花は私の手のひらで香って、父に春の便りを確かに届けた。

 郵便屋さんはどこかで見ているだろうか。


(ちゃんと家に帰ったよ)


 私はまた川沿いで『遊ぶ』と思う。だって、心配性な郵便屋さんにもう一度会いたいから。ありがとうを言いたいから。それに、彼らともまた踊りたいから。

 春になっても、大人になるまでの秘密の時間が終わるまで、私はきっと遊び続けるんだ。

 


 

 

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【現代ファンタジー】右手に春の便り 花田(ハナダ) @212244

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