第2話 雪まつり

 私は一人川沿いを歩き出す。

 雪の降り方はどんどんと強くなり、視界が白くなっていく。

 見上げると雪はこんこんと、いくつも、いくつも、絶え間なく落ちてきていた。

 足の先も、頬も、耳も、凍るみたいに冷たいのに、春の便りを手渡された右の手だけが不思議と温かい。

 私は急き立てられるように歩いた。早く帰らないとお母さんに怒られる。押し入れに閉じ込められてしまう。


「おーい」


 ふと空から声がした。

 見上げると、幾人もの子どもたちが舞い降りてきた。私と同い歳くらいの子どもだ。雪みたいにひらりと軽い。


「おーい!」


 私は返事を返して手を振った。握ったままの右手はポケットに隠し、左手で。

 彼らの姿を見ると、自分がひとりぼっちではないんだとようやく思うことができる。さっきまでの焦りが消し飛び、急いで帰ろうとしていたことなんて一瞬で忘れてしまった。


「おーい!」


 私は空からやってきた子どもたちに駆け寄った。

 彼らもそそくさと私の傍らに降り立つ。彼らには顔がなかった。けれど、でも嬉しそうなのはわかる。


「何してるの?」


 一人に訊ねられ、


「帰っているところ」


 そう答える前から、私は帰りたくなくなっていた。

 姉が中学生になってから、家の中はどうにも居心地が悪かった。姉と母との喧嘩が激しくなって、父も巻き込んで空気が悪いことが多いからだろう。もともとヒステリックな母が更に激昂し、八つ当たりは私に飛んでくる。


「君も来るかい?」

  

 見抜くように誰かが言った。


「君もどうせ追い出されたんだろ?」


「子どもは風の子だからってさ」


「外で遊べと言われたんだろ?」


「子どもだけの雪祭りがあるからおいでよ」


 口々に私を誘うけれど、今日はもうだいぶ暮れかかっている。


「遅くなっちゃう」


 迷っていると、彼らの中の一人が私の左手を引っ張った。


「大丈夫」


 その子は顔のない顔でにっこり笑った。


「君は春の便りを持っているから」


 握りしめた右手がじんわりと暖かい。


「大丈夫」


 促されるままに頷くと、その子は宙へと舞い上がった。私の体もつないだ左手からからふわりと浮かんで、舞い散る雪の空へと突き進んでいく。

 空へ高く高く浮かんでいくと、歌声が聞こえた。

 もう少しも寒くなかった。

 気づくと周りの子どもたちは歌ったり、笛を吹いたり、その拍子に合わせて踊ったりしている。

 私も踊った。自然と体が動いた。

 雪の勢いは止まらない。

 辺りはこんなに白く、明るいのに、みんな笑いながら踊るのに、視界の向こうには何も見えなくて、寂しくて、不安なくせに、私たちは知らんぷりで踊った。

 踊ったこともない、聴いたこともない、習ったこともない歌を高らかに歌い踊り、胸に詰まった涙も喉から体から溢れ出ていくみたいだった。

 

 踊り疲れる頃には、ずっと近くで一緒に踊っていた幾人かの女の子が私の周りに集まって、左手を引っ張った。 

 その手は背中が震えるほど冷たい。


「あっちに雪うさぎの餅あるよ」


「一緒に食べよう」


「おいしいよお」


「一度食べたら忘れられないよぉ」


 顔のない女の子たちは私を囲んでクスクスと笑っている。彼女たちにされるがまま連れられるまま行こうとすると、


「だめだよ!」


 違う誰かが声を上げる。


「帰れなくなるよ!」


「家に帰れないなんて!」


「だめだろ!」


 みんなが叫ぶ中、私の耳元で囁き声がした。


「そうかな?」


 その声は、誰かの声に似ていた。


「帰れなくたっていいよね?」


 その一言に、一瞬私の心がチリリと焦げる。


(帰れなくても?)


 悲しい。

 家族はきっと私を探すだろう。

 でも、最初だけ。

 きっと忘れる。

 すぐに忘れる。

 私なんてそんな存在。

 雪が舞い散って、冬に優しく包み込まれ、私はうつむいた。

 その時、右手がほのかに熱を帯びた。


ーーこれは春の便りです


 ふと、郵便屋さんの声が耳元で囁いた。


ーー家に着くまで開いちゃだめですよ

ーー絶対ですよ


 優しい笑顔が蘇る。


(届けなきゃ)


 一人きりの私を心配して、ちゃんと帰れるようにとそっと右手に握らせた春の便り。何故か今、温かい。


「どうする?」


「食べる?」


 彼らが私をじっと見つめている。

 答えを待っている。


「ーー右手が」


 私は恐る恐る口を開いた。


「右手が使えないから、やめておくね」


 握った手はじんじんと温かい。


「なんだ」


「なんだ」  


「帰りたいのか」


 彼らの声も優しかった。誰も私を責めなかった。

 誰かが握ったままの右手をつかみ、また違う誰かが左手を握り、彼らは手と手を取り合って輪になった。


「じゃあ、帰ろう」 


「送っていくよ」


「帰ろう」


「一緒に帰ろう」




 

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