第22話 戦友(カマラーデン)
後方の集結地点に辿り着いた瞬間。
俺たちは糸が切れた人形のように、戦闘室の床へ崩れ落ちた。
ハッチを開けると、むせ返るような泥と硝煙の臭いが、冷たい夜気と共に流れ込んでくる。
ティーガーから外された牽引ワイヤーが、地面に落ちて「ズシン」と重い音を立てた。
その鈍い振動は、俺たちが潜り抜けてきた死線の重みそのものだった。
展望塔から飛び降りたキルヒャーが、真っ黒に煤けた顔でこちらへ歩み寄ってくる。
「おい、四号の若造! 生きてるか!」
彼が差し出してきた手は、オイルと鉄錆で汚れ、まるで彫刻のように硬かった。
俺はその手を、ちぎれるほどの力で握り返した。
「……ありがとうございました。……キルヒャーさん。本当に、死ぬかと思いました」
「礼ならベルント曹長に言え。あいつの悲鳴のような無線がなきゃ、俺たちも別の獲物を追ってたさ」
キルヒャーは白い歯を見せてニヤリと笑い、俺の肩を強く叩いた。
その手の温もりが、自分がまだ「人間」として生きていることを思い出させてくれた。
だが、安堵の時間は一瞬で過ぎ去る。
俺はすぐにレンチを掴み、ボロボロになった四号戦車の足回りへと潜り込んだ。
左の第三転輪は無惨だった。
周囲のゴムは摩擦熱で焼け落ち、ハブのボルトは強引な牽引に耐えかねて根元から断裂している。
「……ひどいな。……でも、直さないと明日は動けない」
俺は予備の転輪を肩に担ぎ、泥を掘り返してジャッキを噛ませた。
冷えた金属を触るたびに、指先の感覚が麻痺していく。
ふと顔を上げると、少し離れた場所でベルント曹長が厳しい顔で無線を聞いていた。
小型のスピーカーからは、焦燥しきった通信兵たちの怒号が、ノイズの嵐と共に溢れ出している。
「……曹長。戦況はどうなんです? 俺たちは……勝ってるんですよね?」
俺の問いに、ベルントはすぐには答えなかった。
彼は震える指で煙草に火をつけ、吐き出した紫煙を夜の闇へと溶け込ませた。
「……南方軍集団は前進している。だが、北部での攻勢が止まったそうだ」
「止まった……? あんなに大軍を注ぎ込んだのにですか?」
「ああ。ソ連軍の防御陣地は、俺たちの予想を遥かに超えていた。……それだけじゃない」
ベルントが声を潜め、周囲を警戒するように言葉を続けた。
「後方の補給線が、赤軍のパルチザンに荒らされているらしい。……俺たちの『軍馬』に、次の弾と燃料がいつ届くか、誰にも分からん状況だ」
俺は、手に持ったレンチを無意識に握りしめた。
敵は目の前のT-34だけではない。
目に見えない「飢え」と「消耗」が、俺たちの首筋に冷たい刃を突きつけていた。
平和な日本で、デリカミニのカタログを指でなぞりながら、オプションを選んでいたあの日々。
あの輝かしい時間は、もう、何万光年も先の出来事のように思えた。
俺の指先に伝わるのは、冷たくて、重たくて、どうしようもなく無慈悲な『鉄』の拒絶反応だけだった。
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