第21話 鋼鉄の絆
ハッチの外に飛び出した瞬間。
俺の感覚は真っ白な轟音に塗りつぶされた。
ティーガーが至近距離で放つ八十八ミリ砲の衝撃波は、もはや「音」ではない。
物理的な巨大な鉄槌となって、俺の肺の中の空気を強引に絞り出していく。
一歩踏み出すたびに、膝まである泥が俺の足を掴んで離さない。
俺は必死に呼吸を整え、目の前で唸りを上げるティーガーへと這い寄った。
巨大なエンジンデッキの後方。そこが俺たちの命綱だった。
「ステファン! これを受け取れッ!!」
ティーガーの天蓋から身を乗り出した戦車兵が、太い鉄の束を投げ落とした。
牽引ワイヤーだ。
ズシンッ、という重たい衝撃と共に泥を跳ね上げて落ちた。
それは、まるで冷徹な鋼鉄の大蛇のようだった。
俺は手袋越しに、その無機質な重量感を掴み取った。
一歩、また一歩と、動けなくなった俺たちの四号戦車へと引きずっていく。
頭上をソ連軍の機銃弾が、鋭い風切音と共に通り過ぎる。
ティーガーの分厚い垂直装甲に跳ね返った弾丸が、闇に火花を散らして踊った。
(……今、この瞬間に狙撃兵に撃ち抜かれれば終わりだ)
平和な日本で、愛車のデリカミニに牽引ロープをかけるシチュエーション。
それは、せいぜい雨の河原でスタックした時くらいだろう。
だが今は、この一本のワイヤーが。
鉄の箱に閉じ込められた俺たち五人の命を繋ぐ、唯一の希望だった。
「……おらぁッ! 掛かったぞ!!」
俺は泥まみれで感覚のなくなった指先を使い、必死にシャックルを固定した。
そして、顔を上げてティーガーの背中に向かって、ちぎれるほどに大きく腕を振った。
直後。
ティーガーの積むマイバッハ・エンジンが、獲物を仕留める野獣のような咆哮を上げた。
――ギュルルルルッ!!
五十六トンの怪力が、八百馬力の暴力となって履帯に伝わる。
広大な履帯が激しく空転し、戦場の泥を高く、空へと跳ね上げた。
ピン、と凄まじい緊張感で張り詰める鋼鉄のワイヤー。
ミシミシ、メキメキと、四号戦車の車体が、限界寸前の悲鳴を上げる。
「動け……動けよ、俺たちの軍馬ッ!!」
俺は車体のフェンダーを掴んで飛び乗り、ハッチから中へと転がり込んだ。
次の瞬間、ガクンッ、という脳を揺さぶるような激しい衝撃。
ティーガーの圧倒的な質量が、泥の底に沈みかけていた俺たちの車体を。
強引に、引き摺り出したのだ。
「……よし、動いたぞ! キルヒャーに続け!」
ベルント曹長の叫びと同時に、俺たちはティーガーの巨大な背中に隠れた。
そのまま、全力で後退を開始する。
引きずられる衝撃のたびに、焼き付いた左の三番転輪が火花を散らす。
断末魔のような金属音を立てて砕け散っていく。
足がもがれるような激痛が、車体を通じて伝わってくるようだった。
それでも、俺たちは確実に死地を脱していた。
ティーガーが吐き出す、煤けた真っ黒な排気ガスの臭い。
普段なら喉を焼くその悪臭が、今はどんな高級な芳香よりも頼もしく。
命の匂いとして、俺の鼻腔を満たしていた。
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