第20話 鋼鉄の守護神

――キンッ、コンッ! ガガガッ!!

 

 装甲板を激しく叩く、不快な金属音が戦闘室に響き渡る。

 

 ソ連軍の対戦車銃(デグチャレフ)の弾丸だ。

 

 四号戦車の正面装甲を貫く力はない。

 

 だが、外装の予備履帯を砕き、俺がさっき必死に付けた転輪を容赦なく削り取っていく。

 

「……クソッ、動け! 動いてくれ!!」

 

 オットーさんが必死にレバーを操作する。

 

 だが、ベアリングが焼き付いた左足は、泥を噛んだまま悲鳴を上げるだけだ。

 

 ハッチのスリットからは、火炎瓶を手にしたソ連兵たちが、地を這う虫のように波となって迫ってくるのが見える。

 

(……ここまでか。……デリカミニの納車待ちをしていた、あの穏やかな日々が嘘みたいだ)

 

 俺はMP40を胸に抱きしめ、狭い車内で身を縮めた。

 

 エンジンは回っている。だが、足が死んでいる。

 

 それは、戦車にとって「死」を意味していた。

 

 その時だった。

 

 ――ズズズズズズズ……。

 

 T-34のディーゼル音とは明らかに違う。

 

 もっと低く、大地そのものを、そして俺の肺腑を震わせるような、凄まじい重低音が霧の向こうから響いてきた。

 

 空気が、びりびりと震えている。

 

「……この音は……まさか」

 

 ベルント曹長が、展望塔(キューポラ)のペリスコープに食い入るように目を押し当てた。

 

 直後。

 

 ――ドォォォォォォン!!

 

 鼓膜が破れるかと思うほどの、凄まじい咆哮。

 

 俺たちの車体のすぐ脇をかすめるようにして、目に見えない巨大な「鉄の拳」が通り過ぎた。

 

 次の瞬間、俺たちのハッチに手をかけようとしていたソ連兵たちが、爆風で木の葉のように吹き飛ばされる。

 

 霧を切り裂いて現れたのは、あの四角い、圧倒的な質量感を持った鋼鉄の要塞。

 

 ティーガーI。

 

 第503重戦車大隊、キルヒャーの『三一二号車』だった。

 

 ――キィ、キィ……。

 

 複雑に重なり合った千鳥足転輪を軋ませながら、五十六トンの巨体が、動けない俺たちの前に割って入る。

 

 四号戦車(軍馬)を、その背中で庇うかのように。

 

「……待たせたな、四号の連中! 借りを返しに来たぞ!」

 

 無線機から、キルヒャーの野太い声が、ノイズ混じりに飛び込んできた。

 

 ティーガーの八十八ミリ砲が再び火を噴く。

 

 発射の衝撃波だけで、周囲の夏草が一瞬でなぎ倒された。

 

 一キロ以上先のT-34が、一撃で砲塔を吹き飛ばされ、真っ黒な煙を噴き上げて沈黙する。

 

 圧倒的だ。

 

 俺たちが必死に立ち向かっていた「数の暴力」を、彼らはその圧倒的な「個の力」で粉砕していく。

 

 それは恐怖を通り越し、神々しささえ感じる光景だった。

 

「ステファン、ボサッとするな! ティーガーが盾になっている間に、ハッチを出ろ!」

 

 ベルント曹長の怒号が飛ぶ。

 

「……左の履帯を確認しろ! 引きずってでも逃げるぞ!」

 

「了解(ヤーヴォール)!!」

 

 俺はハッチを蹴り開け、ティーガーが吐き出す濃密な排気ガスの煙の中へと飛び出した。

 

 すぐ横では、ティーガーの巨大な履帯が、泥を巻き上げながら大地を蹂躙している。

 

 八十八ミリ砲の衝撃波が、剥き出しの俺の体に突き刺さる。

 

 だが、今は不思議と怖くなかった。

 

 俺の目の前には、世界で最も頼もしい「背中」があったからだ。

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