第15話 消耗の平原
一九四三年、七月六日。
整備を終えたマイバッハHL120TRMエンジンの鼓動は、戦闘室の鋼鉄の床を通じて、俺の背中に頼もしい、それでいてどこか猛々しい振動を伝えていた。
車内に充満しているのは、昨日までの硝煙の残りと、熱せられたガソリン、そして焼けた潤滑油(オイル)が混ざり合った、鼻を突くような独特の臭いだ。
昨夜、泥を撥ね上げて駆けつけた三トントラックが置いていった弾薬箱。その蓋をバールでこじ開けると、防錆グリスの匂いと共に、鈍い銀光を放つ薬莢が姿を現した。
スタンプされた文字は『7.5\text{cm KwK 40}』。
43口径のこのG型も、いずれ戦場を支配するであろう48口径の新型も、同じ 75 \times 495\text{mm} Rという規格の弾薬を食らって咆哮する。
俺は、ずっしりと重い**約九キロの徹甲弾(Pzgr\ 39)**を一本ずつラックに滑り込ませながら、その冷たい鋼鉄の感触を指に刻んだ。
(……砲身が短くたって関係ない。俺たちがこいつの「性能」を限界まで引き出してやる)
だが、ハッチのスリットから覗く外の世界は、昨日よりもさらに暗澹としていた。
地平線の彼方から立ち上る無数の黒煙。それは、昨日までの激戦で「鉄の残骸」へと変わり果てた、両軍の成れの果てだ。
「……来るぞ。各車、距離一二〇〇。徹甲弾、用意!」
ベルント曹長の落ち着いた声が、無線機を通じて脳内に響く。
霧の向こうから這い出してきたのは、見覚えのある、そして最も忌々しい「数の暴力」――T-34/76の群れだった。
「装填(ラーデン)……完了!」
ガシュッ、という重厚な閉鎖音。
――ドォォォォォン!!
ルディが放った一撃が、一二〇〇メートル先のT-34の正面装甲を捉えた。
43口径の長砲身から放たれた鉄塊は、敵の装甲を確実に食い破り、内部に灼熱の破片を撒き散らしたはずだ。
「次だ、ステファン! どんどん来い!」
「了解(ヤーヴォール)!!」
俺は、ただの「装填機械」と化した。
空になった熱い薬莢を足元に蹴り飛ばし、ガソリンと硝煙の熱気に歪む空気の中で次の弾を掴む。
一発、また一発。九キロの鉄塊を休むことなく送り込む。
時折、敵の砲弾が車体に当たり、巨大な鐘の中に閉じ込められたような凄まじい衝撃音が轟く。
そのたびに、装甲板の内側にあるボルトが衝撃で弾け飛び、車内を飛び交う凶器となって俺たちの神経を削っていく。
戦闘が小康状態に入った一瞬、操縦手のオットーが顔を歪めて叫んだ。
『……ステファン! 左側の引きずりがひどい! サスペンションか転輪に何か噛んだか、あるいは……』
「見てきます!」
俺は装填手ハッチのロックを外し、身を乗り出して車体左側の足回りを覗き込んだ。
吹き付ける熱風と砂塵の中、俺の目に飛び込んできたのは、昨夜あれほど入念に点検した三番転輪のゴムタイアが、激しい急旋回と敵の至近弾による破片を浴び、無残に裂け、今にもハブから剥がれ落ちそうになっている姿だった。
「オットーさん! 左三番、ゴムが剥離(セパレーション)してる! これ以上の急旋回はハブを砕くぞ!」
『分かってる! ……だが、止まったら標的(マト)だ! ステファン、こいつ(軍馬)のリーフスプリングを信じろ!』
悲鳴を上げる足回り。底をつき始める体力。
派手な新型との決闘なんてない。
ただ、広大なロシアの原野が、じわじわと俺たちの鋼鉄の肉体を、そして魂を食いつぶしていく。
夕刻。
ようやく敵の第一波が退いた時、俺の手は、砲弾の縁を握りすぎたせいで、自分の意思では指一本動かすことさえできなくなっていた。
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