第10話 鋼鉄の死神
パックフロントを側面から粉砕し、俺たちの四号戦車は一瞬の歓喜に沸いていた。
だが、その土煙が晴れた向こう側。
地平線の揺らぎの中から、ゆっくりと、そして不気味なほど堂々と這い出してきた「影」を見た瞬間、俺の脳内の戦史データが、かつてない激しさで警報を鳴らし始めた。
(……嘘だろ。なんで、あいつがここにいるんだ!?)
揺れるスリットの向こう。
それは、これまで戦ってきたT-34/76の軽快なシルエットではなかった。
もっと重厚で、もっと不貞腐れたような、巨大な鋳造砲塔。
そして、我が四号戦車の七十五ミリ砲よりも遥かに太く、長く、凶悪に突き出した大口径の砲身。
「……ベルント曹長、あれを見てください! T-34の新型……いや、T-34/85です!」
『何を言ってる、ステファン。八十五ミリ砲型なんて、まだソ連軍の実戦部隊には……』
ベルントが喉を鳴らし、言いかけた、その直後だった。
――ズドォォォォォォォォォン!!
大地を直接引き裂くような、腹に響く重低音。
俺たちの数百メートル左側を、猛スピードで援護に走っていた三号戦車が、一撃で火だるまになった。
一秒前まで勇ましく走り抜けていた鉄塊が、一瞬にして内部の弾薬を狂ったように噴き上げる火葬場と化す。
吹き飛んだ砲塔が、重力に従って地面に叩きつけられる鈍い音が、無線越しの爆音を突き抜けて俺の耳に届いた。
「……バカな! 三号の正面装甲を、あの距離から一撃だと!? どんなバケモノだ、あれは!」
砲手ルディの声が、プロの戦車兵としてのプライドをかなぐり捨てた恐怖に震えていた。
歴史の知識が、鋭い刃となって俺を追い詰める。
T-34/85。本来なら、来年の一九四四年、ドイツ軍の反撃を完全に食い止めるために投入されるはずの「T-34の完成形」だ。
それが、ソ連軍の試作型か、あるいはこの世界の狂った歴史の産物か、今、俺たちの目の前に立ちふさがっている。
「ルディさん、落ち着いてください! あれに正面から挑んでも、こっちの弾は弾かれます! あの分厚い防盾を避けて……砲塔リングの隙間か、防盾の下の『ショットトラップ』を狙うしかない!」
『ステファン、お前、なんでそんなことを知ってるんだ!?』
「いいから撃ってください! こっちの装甲じゃ、一発掠っただけでスクラップだ!」
オットーが狂ったように操行レバーを操り、必死の蛇行運転を繰り返して敵の照準を乱す。
だが、あちらの八十五ミリ砲は冷徹に、そして確実に、次の獲物である俺たち四号戦車を、死神の鎌で捉えていた。
平和な日本で、愛車のカタログスペックを眺めていたのとは訳が違う。
敵の装甲厚、貫通力、俯角の限界。
俺が趣味として詰め込んできた「無機質なデータの束」が、今、この狭い鉄の箱の中に閉じ込められた五人の命を救う、唯一の鍵になる。
「……ステファン、徹甲弾(Pzgr)だ! 一番尖ったやつを寄こせ!」
ルディが吠え、照準器の目盛りを狂おしいほどに調整する。
俺は汗で滑る手を服で拭い、ラックの奥から、最後の一発となった希少なタングステン芯入り徹甲弾を引き抜いた。
「装填……完了(ラーデン)ッ!!」
ガシュッ、という閉鎖機の無慈悲なロック音。
戦闘室の中には、焦げ付くような死の予感と、一縷の希望が、濃密な火薬の臭いと共に充満した。
俺たちは、自分たちよりも遥かに巨大で、遥かに強力な「死神」に向かって、震える足を蹴り出し、全速力で突っ込んでいった。
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