第2話 マイバッハの咆哮

「オットー! 出すぞ! 各員、喉当てマイク(ミクロフォン)を確認しろ!」

 車長のベルント曹長が、キューポラから上半身を乗り出して叫んだ。

 直後、俺の背後――戦闘室を隔てたすぐ後ろで、眠れる怪物が目を覚ました。

 ズドォォォォォン!

 爆発のような始動音と共に、鉄の箱全体が激しい痙攣(けいれん)を始めた。

 マイバッハHL120TRM、V型12気筒エンジン。

 デリカミニのエンジンが「囁き」だとしたら、これは「絶叫」だ。令和の車なら、防振ゴムや遮音材が優しく包み込んでくれる振動が、剥き出しの鉄板を通じて直接、俺の脊髄を叩きにくる。

(……うるさすぎる! 遮音なんて概念、この時代にはないのか!?)

 足元の鉄板が高速で震え、膝の皿がガタガタと音を立てる。

 鼻を突くのは、現代のガソリンスタンドよりもずっと生臭く、粘り気のある重油と焦げたオイルの臭いだ。

「ステファン! ぼさっとするな、手すりを掴め! 舌を噛むぞ!」

 隣でルディが叫ぶ。だが、その声は数センチ隣にいるにもかかわらず、全く聞き取れない。

 エンジンの爆音と、ギアが噛み合う金属音が、すべてを塗りつぶしている。

 俺は慌てて喉当てマイクのスイッチを入れた。ヘッドフォン越しに、機械的に加工されたノイズ混じりの仲間の声が届く。

『……聞こえるか、ステファン。これが「軍馬」の産声だ。しっかり踏ん張ってろよ』

 操縦手オットーの声と同時に、むち打ちになりそうな衝撃が走った。

 二十五トンの鉄塊が、不器用に、力任せに大地を蹴り出したのだ。

 ガクンッ! ガシュゥゥゥ……ッ!

 鉄と鉄が軋み、履帯が地面を噛み砕く鈍い音が車底から伝わってくる。

 デリカのスムーズな加速とは無縁の、質量と慣性の暴力。

 ハッチの隙間から、わずかに外の景色が見えた。

 戦車の列が巻き上げる猛烈な砂埃。

 その中を、自分たちの「2号車」と同じダークイエローに塗られた四号戦車たちが、巨大な虫のように地平線を目指して這っている。

(……本物の、機甲師団の行進だ。……なんて、美しくて、おぞましいんだ)

 陽光を浴びて輝く砲身、うねるように波打つ履帯の動き。

 ミリタリーオタクとしての俺を震えさせるほど壮観なその光景は、同時に、死へと続く一本道でもあった。

 

 俺が座っている場所のすぐ横、装甲板の内側には、剥げかけた塗料と油の染みがある。

 スペック表では「前方装甲80ミリ、側面30ミリ」なんて無機質な数字で書かれていたが、実際に見るそれは、敵の砲弾を防ぐにはあまりに頼りなく、薄い鉄の皮一枚にしか見えなかった。

「おい、新入り! 顔が真っ白だぞ。吐くならハッチの外へしろよ、掃除するのはお前なんだからな!」

 無線越しにオットーの笑い声が響く。

 俺は必死に手すりを白くなるまで握りしめ、胃からせり上がってくる吐き気と、歴史を知っているがゆえの底冷えする恐怖を、無理やり飲み込んだ。

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