第2話 怪物のエマ

「誰か……誰か」


 その声で、エマはハッと目を覚ました。


 そして震える自分の手を、じっと見る。


 青い鱗の生えた、おぞましい体。


 足を見る。そこにも凶暴な黒い鉤爪が──


「ギャー!!」


 エマは思わず叫んだ。


(え?何これ!?どういうこと?)


 背中からは、どっしりと重たい翼が生えている。恐る恐る動かすと、バサッと音を立てて翼が開いた。


「アンギャー!」


 そこまで言って、エマは気づいた。


(どうしよう!私、竜になっちゃった!!)


 声帯がおかしい。言葉を出そうと思っても、口から出て来ないのだ。


(私、どんな姿をしてるんだろう……?)


 何か全体像を見られるものはないかと周囲を見渡し、エマは我に返った。


(あれ?ここ……どこ?)


 先程までいたはずの、夜の商店街の景色はもうない。


 その代わりに広がっていた景色は、鬱蒼とした森。


 そして目の前には──ひとりの青年が倒れていた。


 黒い髪に、青い瞳。そしてまるで魚の鱗のような青い虹色をした、不思議な甲冑を身に着けていた。


 彼の腕からは、赤い血がだらだらと流れている。


 エマは恐る恐る近づいて行って、青年の顔を眺めた。その顔は苦悶に歪んでいる。


(大変!怪我をしているんだわ)


 エマが一歩近づくと、青年は驚いて片腕匍匐で後退する。エマは自分の姿が怪物であることを思い知らされた。


(うう……そうだ。何だかよく分からないけど、人間からするとこのシチュエーションって明らかに化け物に食べられちゃう、って感じよね)


 けれどエマはどうにかして、この怪我人を助けたい。考えをめぐらせていると、先ほど見た夢を思い出した。


(そうだ。確か、癒しの力を授けるとか何とか……そんなお告げを聞いたような気がする)


 エマはじっと新しい体を観察する。どこに癒しの要素があるのだろうか。


(うーん。竜と言えば、ブレス。……口から何か吐けるかなぁ)


 エマは試しに口を大きく開けると、喉からぶわっとブレスを吐いた。


 しかし、口からは何も出て来なかった。何だか清々しい風が吹いたぐらいだ。


(あらら、何も出なかった……困ったなぁ)


 すると、青年は片腕を支えにゆっくり半身を起こす。


(あ!動けるみたい。よかったあ)


 彼はひどく出血しているものの、自力で立てるぐらいには無事のようだ。


(〝危害は加えないよ〟って伝えなきゃ)


 エマは地面に寝そべると、目を閉じて青年が動き出すのを待った。ここは大人しく寝たと見せかけて、逃げて貰った方が得策だろう。


 すると──


「おい、そこの竜」


 青年が声をかけて来た。エマは驚いて目を開け、顔を上げる。


 彼はごそごそと袖をまくると、その腕を見せて来た。


「今のは……俺の傷を治したのか?」


 エマはきょとんとした。先ほどの風のようなブレスは、どうやら癒しのブレスだったようだ。


(あの夢の中の声は、本当だったみたい……?)


 エマは化け物になってしまったが、一応人の役に立つ方の化け物だったようだ。


(でも、なんで竜?)


 青年は近づいて来ると、エマの頭をそっと撫でた。


「ありがとう。お前はすごい竜だな!」


 エマはその青年を間近にすると、息を呑んだ。


(わわ。近くで見ると、めっちゃかっこいい。ハリウッド映画の俳優さんみたい。衣装も凝ってる!)


 衣装もあいまって、どことなく神々しく見える。


 青年は優し気に微笑むと、何かを取り出してぐるんとエマの口に巻きつけた。


「!?」

「一体、捕獲!」


 その号令と共に、体中にひも状のものが引っかかる。網だ。


(えっ!?何?何?)


 エマが驚いてじたばたしていると、


「行くぞ!」


 男たちの野太い声がする。


(えっ!?なになに?私……ほ、捕獲されてる……?)


 状況を整理しようとすればするほど、わけが分からなくなる。


 左右を見ると、草むらから鉄の甲冑を付けた兵士の集団が現れた。


「網を引けー!」


 その声と共に、エマの体は空中に舞い上がった。


「ギャアアアアアアアッ!!」


 エマの体は、大きな樹の上に宙吊りになった。


(痛い痛い!えーん!)


 ずりりり……ずりりり……


 慎重に、頭上へ網が巻き上げられて行く。男たちは笑顔を覗かせると、ひと仕事終えたようにこちらの様子を見上げている。


 エマはきょとんとした。


(何でみんな、私を見て笑ってるの……?)


 宙に釣り上げられ、最後は木の上に引っ張り上げられる格好となった。


「おー、みんなお疲れ~」

「青竜を一体捕獲!」

「よっしゃー!!」


 エマはじたばたしたが、縄のせいで動けなかった。


(何よう。みんなして、私をいじめて……)


 兵士のひとりがやって来て青年に言った。


「ユリウス様、遅くなって申し訳ありません!お怪我は大丈夫ですか?」

「ああ、大丈夫だ。竜を採る罠を仕掛けている最中、魔物にやられた。でも怪我はこの通り……こいつに治してもらったんだ。この血は、ついてるだけ」

「?」

「まあいい。魔物も最近は競って移動用の竜を生け捕りにしているようだからな。罠を持って移動している俺をつけ狙って、横取りでもしようとしていたんだろう。どうにか追い払ったが、このざまだ」

「物騒になりましたね」

「魔物を取り逃がしてしまった……もう、ここで竜を獲るのは危険かな」


 青年はエマを見上げた。


「……こいつは多分、新種だよ。この竜はすごい力を持ってる」

「そうですか?素材にしましょうよ。最近は鎧の素材が不足しているんですよ、ユリウス様」

「素材向きかどうかを決めるのは早計だぞ──ちょっとあいつを調べたいんだ。革にするのは待ってくれ」


 そこまで聞いて、エマは愕然とした。


(何ですって?素材!?)


 一瞬忘れかけていたが、エマはなぜか今、鱗の生えた怪物なのだ。


(私……皮をはがされて、牛革とかワニ革みたいにされちゃうってこと!?)


 頭の中に思い浮かんだのは──エル○スのバッグである。


(うう……私、まだ生きられると思ったのに、あんなバッグとかにされちゃうんだ……)


 宙づりにされたエマは、ゆっくりと再び地面に戻された。


 青年ユリウスは怪物の前にしゃがみこむと、その悲し気な鼻先を愛おしそうに撫でる。


「こいつを今から私の牧場ファームに送る。何を吐いていたのか確認するぞ」

「はいっ」


 エマは男性の大きな手に撫でられると、少しほっとした。


(よかった~、ここで屠殺されるわけじゃないみたい)


 と、そこまで考えて再び我に返った。


(牧場……? 私、もう人間扱いされないんだ……!家畜にされちゃったんだ!!)


 災難から逃れたと思ったら、また災難である。


 がっくりと項垂れると、その様子を見てユリウスが言った。


「こいつ、大人しいな。普通の竜はもっと暴れるものだが……」


 消沈したエマは馬車の荷台に乗せられると、ロープで固定され、ガラガラと獣道を引かれて行った。


 騎士ユリウスはエマを見守るように、馬に乗って並走する。


 エマは彼を目で追ってまじまじと観察した。


(この人はユリウス……っていう人なのね。牧場の経営者にしては、ずいぶん騎士っぽい格好をしているわね)


 すると──彼と目が合う。


 エマはどきりとしたが、ユリウスはなぜかこちらに微笑みかけて来た。


(んー。悪い人ではなさそう、かな)


 その瞳が優しいことだけが、怪物エマにとって救いだった。

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