第5話

 スタンピードから数日が経過したが、ヴォルガ家の屋敷はいまだ興奮の熱が冷めやらずにいた。

 話題の中心は、もちろん「謎の英雄」についてだ。


「あれは絶対に山の神の化身だ!」

「いや、王都から派遣された秘密部隊のエースに違いない」


 使用人や騎士たちは、ありもしない伝説を勝手に作り上げている。

 俺はそれを、自室のベッドで読書をしながら、BGMのように聞き流していた。


 平和だ。

 正体がバレることもなく、また「病弱で可哀想な生贄の三男」としての日常が戻ってきた。


 ……と、思っていたのだが。


 コンコン。

 控えめなノックの音がした。


「アルス様、失礼いたします。魔法部隊長のガランドでございます」


 入ってきたのは、初老の魔法使いガランドだった。

 我が家で一番の切れ者であり、鋭い観察眼を持つ古株だ。俺は少しだけ警戒レベルを引き上げた。


「……何かな、ガランド」

「お加減はいかがですか? 先日あのような騒ぎがありましたので、心配しておりました」


 ガランドは穏やかな笑みを浮かべているが、その目は笑っていない。

 獲物を探る鷲の目だ。


「失礼ですが、アルス様。あの日――魔獣たちが襲来した時、どちらにいらっしゃいましたか?」

「え?」


 俺はきょとんとした顔を作り、少し怯えたように視線を泳がせた。


「へ、部屋にいたよ。父上が『出てくるな』って言ったから……怖くて、ずっとベッドの下で震えてたんだ」

「ほう、ベッドの下ですか。……それは奇妙ですね」

「何が?」

「あの日、私は屋敷の結界維持のために微弱な探知魔法を展開しておりました。ですが、この部屋からは人の気配が完全に消失していたような気がしまして」


 カマをかけてきやがった。

 あの混乱の中で、そんな細かい探知をしている余裕なんてあるわけがない。

 だが、動揺を見せれば負けだ。


「……怖くて気を失ってたのかも。よく覚えてないんだ」

「そうですか。……いえ、変なことをお聞きして申し訳ありません。ただ、戦場に残された魔力の痕跡が、どうにもこの屋敷の『誰か』のものと似ている気がしましてね」


 ガランドは俺の目をじっと見つめたまま、数秒間沈黙した。

 張り詰める緊張感。

 俺の心拍数は一定だ。表情筋も完璧に制御している。


「……私の考えすぎでしょう。失礼いたしました」


 ガランドは深く一礼し、部屋を出て行った。

 ドアが閉まった瞬間、俺は小さく息を吐いた。


「……食えない爺さんだ」


 確証はないはずだ。だが、完全にシロだとも思われていない。

 この家での活動も、そろそろ限界かもしれないな。


 ***


 さらに面倒な来客は続いた。

 今度は次男のドランだ。


「……おい」

「ドラン兄さん? 珍しいね、僕の部屋に来るなんて」


 ドランは部屋に入ってくるなり、俺の顔をまじまじと見つめた。

 以前のような、蔑むような目ではない。

 困惑と、恐怖と、微かな期待がない交ぜになったような複雑な目だ。


「お前……あの日、本当に部屋にいたのか?」

「ガランドにも同じことを聞かれたよ。いたってば」

「……そうか」


 ドランは視線を逸らした。

 彼はあの日、俺の後ろ姿を一番近くで見ていた。

 身長、体格、そして纏っていた雰囲気。

 無意識のうちに、あの「英雄」と、目の前の「弟」を重ね合わせているのだろう。


 だが、彼のプライドがそれを否定する。

 『こいつは生贄だ。俺より弱い穀潰しだ。あんな凄い奴が、こいつであるはずがない』と。


「……いや、いい。変なことを聞いた。忘れてくれ」


 ドランは逃げるように部屋を出て行った。

 残された俺は苦笑するしかない。

 まあ、いい薬にはなっただろう。これで少しは大人しくなってくれればいいんだが。


 ***


 そんなある日、事態を一変させる急報が届いた。

 王都からの早馬だ。


 食堂に呼び出された俺たちの前で、親父が渋い顔で羊皮紙を広げた。


「……王命だ」

「王命!? 一体なに事ですか、あなた」


 母が色めき立つ。

 親父は重々しく口を開いた。


「王立騎士アカデミーより、本年度の入学者選抜への召集がかかった。対象は12歳以上の貴族の子息……つまり、ガランド、ドラン、そしてアルスだ」


 騎士アカデミー。

 王都にある、貴族のエリート養成機関だ。

 だが、タイミングがおかしい。通常、召集がかかるのはもっと早い時期のはずだ。


「なぜ今頃……?」

「おそらく、先日のスタンピードの一件だ」


 親父が声を潜める。


「我が領地が、騎士団の損耗ほぼゼロで魔獣の大群を撃退したという報告が、王都に届いたらしい。『辺境に未知の戦力があるのではないか』と勘ぐられている。これは、その確認と……場合によっては人質確保のための召集だろう」


 なるほど。

 俺が派手にやりすぎたせいで、王都の中枢が目を光らせたわけか。

 藪蛇(やぶへび)だったな。


「ガインとドランはいい。だが、アルスは……」


 親父が俺を見た。


「お前のような『生贄』を王都に出すなど、ヴォルガ家の恥さらしだ。それに、お前の体はいつまで持つかわからん」

「……」

「断る口実を探そう。病気ということにして――」

「行きます」


 俺は親父の言葉を遮った。


「なんだと?」

「行かせてください、父上。王命に背けば、この家が取り潰しになるかもしれません。それに……」


 俺は少し俯き、殊勝な演技をした。


「どうせ短い命です。最期くらい、広い世界を見てみたいのです。……死に場所を探しに」


 母が息を呑んだ。親父も言葉を詰まらせる。

 しんみりとした空気が流れる。

 チョロいもんだ。


 内心で、俺は舌を出して笑っていた。

 

 (好都合だ。このまま田舎にいても、得られる知識には限界がある)

 

 王都には、国内最大の図書館がある。

 そこになら、聖刻に関する古代の文献や、より効率的な魔力運用の研究資料があるかもしれない。

 俺が16歳を超えて生き延びるためのヒントが、そこにあるはずだ。


「……わかった。許可しよう」


 親父は重く頷いた。


「ただし、ヴォルガ家の名を汚すなよ。大人しく、目立たず過ごせ」

「はい、肝に銘じます」


 嘘だけどな。


 ***


 数日後。

 俺はガイン、ドランと共に馬車に揺られていた。

 窓の外、生まれ育った辺境の雪景色が遠ざかっていく。


 6歳で怪物を殴り殺し、12歳で軍隊を壊滅させたこの土地とも、しばしのお別れだ。


 隣では兄貴たちが、王都の華やかな生活への期待と、厳しい訓練への不安を語り合っている。

 俺は頬杖をつきながら、地平線の彼方を見つめた。


 王都。権謀術数が渦巻く貴族社会。

 そこには、辺境の魔獣よりもタチの悪い「人間」という怪物がたくさんいるらしい。


「さて、王都の連中は俺を楽しませてくれるかな?」


 俺の呟きは、馬車の車輪の音にかき消された。

 だが、その口元には、獲物を見つけた猛獣のような笑みが浮かんでいた。


 余命残り4年。

 生贄少年の、世界を巻き込む快進撃(セカンドステージ)が幕を開ける。

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