第3話

 時が経つのは早いもので、俺は12歳になった。

 鏡に映る自分は、相変わらず色が白く、線が細い。近所のオバサン連中からは「深窓の美少年」なんて言われているらしいが、冗談じゃない。

 この服の下にあるのは、6年間の地獄のような魔力循環(ループ)で鍛え上げられた、鋼鉄のワイヤーごとき筋肉と、溶鉱炉のごとき魔力回路だ。


 今の俺なら、素手で岩を砕くくらいは造作もない。

 だが、この力は相変わらず秘密だ。家族の中での俺は、「いつ死ぬかわからない可哀想な生贄」のままだからな。


 そんなある日、ヴォルガ家の領地全体に、けたたましい警鐘が鳴り響いた。


 カン、カン、カン、カン!!


 敵襲ではない。もっと悪い知らせだ。

 北の山脈から、魔物の大群が雪崩れ込んでくる災害現象――『魔獣大移動(スタンピード)』の発生だった。


 ***


「総員、第一防衛ラインへ急げ! 女子供は地下壕へ避難させろ!」


 屋敷の前庭は怒号と足音でごった返していた。

 親父がフルプレートメイルに身を包み、声を張り上げている。だが、その顔には隠せない焦燥が滲んでいた。

 無理もない。今回のスタンピードは規模がでかい。偵察によれば、アイスウルフの群れが三百、さらに大型のオークやオーガも混じっているらしい。対して、うちの騎士団は五十人もいない。


「ガイン、ドラン! お前たちも来い! 初陣だ、遅れをとるな!」

「は、はいっ!」

「う、嘘だろ……なんで俺たちが……」


 兄貴たちが青い顔で馬に跨っている。

 長男のガインは剣の柄を握る手が小刻みに震えているし、次男のドランに至っては、今にも泣き出しそうだ。

 普段は俺をいじめるくせに、いざ本番となるとこれかよ。


 俺はため息をつきつつ、親父に声をかけた。


「父上、俺も手伝います。何かできることは――」

「馬鹿者が!」


 親父が一喝した。


「お前のようなひ弱な『生贄』が戦場に来て何になる! 足手まといだ、部屋で震えていろ!」

「……」

「行くぞ! 門を閉ざせ!」


 親父たちは砂煙を上げて去っていった。

 残されたのは、静まり返った屋敷と、地下へ逃げる使用人たち。


「……足手まとい、か」


 俺は鼻を鳴らした。

 確かに、表向きの俺ならそうだろう。

 だが、今の戦力差で勝てると思っているのか? 全滅とは言わないが、半壊は免れないぞ。


 家族に愛情はない。

 だが、この領地が壊滅して、俺の生活基盤が失われるのは困る。

 それに何より――俺を「無能」と見下した連中が、俺の力で助けられる様を見るのは、最高の「ざまぁ」じゃないか?


「さて、行くか」


 俺は自室に戻ると、使い古した外套(マント)を羽織り、顔が見えないようにフードを目深に被った。

 武器はいらない。俺の体そのものが凶器だ。

 窓を開け、冷たい風の中に身を躍らせる。

 12歳の非公式な初陣。

 そろそろ、この世界の戦場ってやつを教えてやろう。


 ***


 領地の北、第一防衛ラインである峡谷は、地獄絵図と化していた。


「ひ、怯むな! 槍を構えろ! 隙間を通すな!」


 騎士団長の絶叫が響く。

 だが、その声は獣の咆哮にかき消された。


「グルルルルッ!」

「アオオオオオオンッ!」


 雪原を埋め尽くす白銀の毛皮。アイスウルフの群れだ。

 一匹一匹が牛ほどの大きさがあり、その牙は鉄の鎧さえ噛み砕く。それが波のように押し寄せている。

 防衛用の柵はすでに破壊され、乱戦状態になっていた。


「ぎゃああああ!」

「助け、うぐっ……!」


 騎士たちが次々と餌食になっていく。

 魔法使い部隊が炎の矢を放つが、数が多すぎて止まらない。


「くそっ、キリがないぞ! ガイン、ドラン、私の背中を守れ!」


 親父が剣を振るい、飛びかかってきたウルフを斬り伏せる。さすがは騎士爵、腐っても実力はある。

 だが、兄貴たちは完全に呑まれていた。


「い、いやだ……来ないでくれぇッ!」

「あ、足が、動かない……」


 ガインは剣を滅茶苦茶に振り回すだけで、ドランは腰を抜かして座り込んでいる。

 そこへ、群れの中でも一際巨大な、ボス格のウルフが目をつけた。


「グルッ!」


 ボスウルフが低い姿勢を取り、ドランに向かって跳躍する。

 死の軌道。

 親父は別の敵と交戦中で間に合わない。


「ドランッ!!」


 親父の悲痛な叫び。

 ドランは迫りくる巨大な牙を見上げ、絶望に顔を歪めた。

 終わった。誰もがそう思った。


 ――ヒュンッ。


 風を切る、鋭い音が戦場を切り裂いた。


 ドォォォンッ!!


 次の瞬間。

 ドランの鼻先まで迫っていたボスウルフの頭部が、まるで熟した果実のように弾け飛んだ。

 飛び散る血肉と脳漿。

 首から上を失った巨体は、勢いのままドランの頭上を飛び越え、雪原にズザザザッと滑り込んで沈黙した。


「……え?」


 ドランが間の抜けた声を上げる。

 親父も、ガインも、周囲の騎士たちも、何が起きたのか理解できずに動きを止めた。

 魔法? いや、詠唱も発光もなかった。

 矢? にしては、破壊力が異常すぎる。頭部が消滅したのだぞ?


 戦場が一瞬だけ静寂に包まれる。

 その静寂の中、ザッ、ザッ、ザッ……と、雪を踏む足音が近づいてきた。


 峡谷の崖の上。

 逆光を背負い、ボロボロのローブを纏った小柄な人影が立っていた。

 顔は見えない。だが、その手には、どこにでも落ちているような「石ころ」が握られていた。


 まさか。

 今の砲撃のような一撃は、ただの投石だというのか?


「……ったく、世話が焼けるな」


 フードの下で、少年のような声が呟くのを、風魔法使いの耳だけが拾った。


 人影――アルスは、手の中の石を軽く放り投げ、再びキャッチする。

 そして、眼下に広がる三百の魔獣の群れを、まるでゴミでも見るような冷淡な視線で見下ろした。


「おい、犬っころども」


 戦場の空気が変わる。

 魔獣たちの本能が、目の前の「小さな存在」に対して、最大級の警報を鳴らし始めたのだ。


「散歩の時間(タイムリミット)は終わりだ。ハウスしろ」


 アルスが右腕を掲げる。

 その腕に、どす黒い赤色の魔力が、血管のように浮かび上がった。


 12歳の怪物が、ついにその牙を剥く。

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