第2話

 あれから三年が過ぎた。俺は6歳になった。

 この世界で「生贄」と宣告されてから、1000日以上が経過したことになる。


 ヴォルガ家の屋敷では、俺は幽霊のような扱いを受けていた。

 死ぬことが確定している子供に、教育を施す必要はない。愛情を注ぐ必要もない。ただ、死ぬまでの時間を穏やかに(あるいは無関心に)過ごさせればいい。それが家族の総意だった。


 だが、今の俺にとってはその無関心こそが最高の環境だった。


「……ふぅ。今朝の循環(ループ)は調子がいいな」


 早朝、誰もいない自室で、俺は一つ息を吐いた。

 吐息が白い。だが寒さは感じない。体内で唸りを上げる『暴食の聖刻』が、莫大な熱量を生み出しているからだ。


 この三年間、俺は毎晩欠かさず、死ぬ気で魔力の強制循環を行ってきた。

 本来なら人を食い殺す呪いを、俺自身の意志で制御し、燃料として燃やし続ける。綱渡りなんてもんじゃない。一歩間違えれば即死するチキンレースを毎秒続けているようなものだ。


 その結果、俺の体はどうなったか。

 見た目はただの小柄な6歳児だ。色白で、少し頼りない少年に見えるだろう。

 だが、その皮膚の下には、常人の数百倍の密度で魔力が圧縮されている。血管の一つ一つが、極太の送電線に進化したような感覚だ。


 今の俺は、歩く魔力炉心だ。


「おい、邪魔だぞ生贄」


 廊下を歩いていると、ドン、と肩を突き飛ばされた。

 長男のガインだ。12歳になり、最近『剣士の聖刻』を授かったことで鼻高々になっている。

 後ろには次男のドランもいる。


「ガイン兄さん、よせよ。こいつに触ると呪いがうつるぜ」

「ちっ、違いない。どけよ、俺たちはこれから朝稽古なんだ」


 二人は嘲笑を浮かべながら、中庭へと向かっていく。

 俺は無表情で服の埃を払い、その後ろ姿を見送った。


 腹は立たない。

 象が蟻に噛まれても怒らないのと同じだ。


 俺は暇つぶしに、彼らの稽古を窓から眺めることにした。

 中庭では、騎士団長が二人に剣術を教えている。


「セイッ! ハッ!」


 ガインが木剣を振るう。

 ……遅い。

 あくびが出るほど遅い。

 重心がブレているし、踏み込みも浅い。あんな振り方では、鉄の鎧はおろか厚手の革鎧すら貫けないだろう。


「素晴らしい! さすがはガイン様、若くしてその剣速……天才ですな!」


 騎士団長が手を叩いて褒めちぎる。

 あれで天才? この辺境のレベルが低いのか、それとも俺の目が肥えすぎたのか。

 おそらく両方だ。


 俺の動体視力は、魔力循環の副作用で異常なほど向上している。彼らの動きは、コマ送りのスローモーションに見える。

 参考にならないな。

 俺はそっと窓から離れた。


 ***


 昼下がり。俺は屋敷を抜け出した。

 向かう先は裏山だ。

 本来なら子供が立ち入ってはいけない場所だが、今の俺にはちょうどいい運動場だ。屋敷の中ではフルパワーを出せないからな。


 雪を踏みしめ、人気のない森の奥へと進む。

 ピリッとした冷気が肌を刺すが、体内の熱がそれを中和する。


「さて、今日のノルマは……」


 手頃な岩を見つけ、魔力を拳に集中させるイメージを練り上げた時だった。

 

 グルルルル……。


 低い唸り声とともに、茂みがガサガサと揺れた。

 強烈な獣臭が漂ってくる。

 現れたのは、身の丈2メートルはある巨体。緑色の皮膚に、汚れた腰布、そして巨大な棍棒を持った豚面の怪物。


 オークだ。

 しかも、ただのオークじゃない。肌の色が濃く、筋肉が異常に発達している。変異種(ハイ・オーク)に近い個体かもしれない。

 大人の兵士でも、小隊規模で囲んでようやく倒せるレベルの魔獣だ。


「ブモォォォォッ!!」


 オークが俺を見つけ、涎(よだれ)を垂らして突進してきた。

 6歳の子供など、彼らにとっては極上の柔らかい肉でしかない。


 俺は一瞬、逃げるふりをした。

 周囲を見渡す。

 騎士団の巡回ルートからは外れている。誰もいない。目撃者はゼロ。


 ――よし。


 俺は走るのをやめ、くるりと踵(きびす)を返した。


「ブモッ!?」


 急に獲物が立ち止まったことで、オークが不審そうに足を止める。

 俺は首をコキリと鳴らし、オークを見上げた。


「ちょうどいい、実験台だ」


 俺は右足に意識を集中させた。

 背中の『暴食』が唸る。心臓から送り出される膨大な魔力を、血管を通じて脚の筋肉繊維一本一本へと浸透させる。

 『身体強化(フィジカルブースト)』。

 それも、ただの強化じゃない。魔力で筋肉そのものを鋼鉄以上の硬度とバネに変える、過剰積載(オーバーロード)仕様だ。


「死ぬ気で耐えてくれよ?」


 俺は地面を蹴った。

 ドンッ!!

 爆発音とともに、踏み込んだ地面がクレーター状に陥没する。

 次の瞬間、俺の体は砲弾となってオークの懐に飛び込んでいた。


「ブッ……!?」


 オークの目が驚愕に見開かれる。

 遅い。

 お前が反応する頃には、俺の拳はもう届いている。


 俺は跳躍の勢いを乗せ、小さな右拳をオークの鳩尾(みぞおち)へ叩き込んだ。


 ドォォォォォォォンッ!!


 鈍い音ではない。岩盤を破砕機で砕いたような、轟音が響き渡った。

 魔法の炎も、雷も使っていない。

 ただの「突き」だ。だが、圧縮された魔力が衝撃波となって体内を駆け巡る。


「ガ、ア゛ッ……」


 オークの背中が、内側から弾けるように大きく隆起した。

 衝撃が体を突き抜けたのだ。

 2メートルの巨体が、まるでボールのように空中へ吹き飛ぶ。回転しながら数本の木をへし折り、最後は岩壁に激突してズズズと崩れ落ちた。


 ピクリとも動かない。

 即死だ。


「……やりすぎたか」


 俺は自分の拳を見つめた。擦り傷ひとつない。

 やはり、俺の魔力制御は『魔法使い』のそれよりも、『格闘家』や『戦士』の方向に特化しているらしい。

 魔法を放つよりも、体の中で爆発させて殴るほうが手っ取り早いし、威力が出る。

 これが、この世界の機動兵器『鉄騎』を素手で殴り壊すための第一歩だ。


 俺は死体を検分した。

 外傷は少ないが、内臓は衝撃波でグチャグチャになっているだろう。

 これを持って帰るわけにはいかない。


「燃やすか」


 俺は指先から魔力の残り火を出し、オークの死体に放った。証拠隠滅だ。多少痕跡が残っても、他の魔獣同士の争いか何かだと思われるだろう。


 俺は服についた雪を払い、何事もなかったかのように屋敷へと歩き出した。


 ***


 その日の夕食。

 食卓の空気はいつも以上に重かったが、少しだけ騒がしかった。


「ご報告します。先ほど、裏山の巡回班より連絡がありまして」


 騎士の一人が、スープを啜る親父に耳打ちしている。

 俺の聴覚はそれを鮮明に拾った。


「大型のオークの死骸が発見されました。……その、死因が不可解でして」

「不可解とは?」

「外傷はほとんどないのですが、全身の骨と内臓が粉砕されておりまして……まるで、巨人のハンマーか何かで殴られたような……」

「馬鹿な。この辺りに巨人族(ギガント)などおらんぞ」


 親父がスプーンを止めて眉をひそめる。

 ガインとドランも不安そうに顔を見合わせている。


「強力な新種の魔獣かもしれません。念のため、明日から警備を強化します」

「うむ。頼むぞ」


 深刻な顔で頷き合う大人たち。

 俺は黒パンをスープに浸しながら、必死で笑いを噛み殺していた。

 

 まさか、その「新種の魔獣」が目の前でパンをかじっている6歳児だとは、夢にも思うまい。

 

 (ま、バレなきゃいいさ)


 俺は心の中で小さく舌を出した。

 力は手に入れた。だが、まだ足りない。

 16歳の破滅を回避し、この家を出て独立するためには、もっと圧倒的な――そう、国家一つを相手取れるくらいの「暴力」が必要だ。


 俺の修練はまだ始まったばかりだ。

 口元についたスープを拭いながら、俺は明日のトレーニングメニューを組み立て始めていた。

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