第8話:選択

ギルドの掲示板の前に、ひときわ重苦しい空気が漂っていた。


貼り出されたばかりの羊皮紙は、周囲の依頼書とは一線を画す銀縁の装飾が施されている。

『高難度指定依頼:霧の谷の双頭大蛇(オルトロス・バイパー)の討伐』。


その文字が目に飛び込んできた瞬間、レオンの背筋にゾクリとした戦慄が走った。湿ったインクの匂いが、死の香りのように鼻腔をくすぐる。


「……おい、レオン。正気かよ」


隣でカイルが声を震わせた。カイルの手は、無意識に腰の剣の柄を強く握りしめている。


「これはB級冒険者が数人がかりで挑む案件だぞ。俺たちみたいな新人が手を出していい領域じゃない。成功すれば一気に名が売れるが……失敗すれば、骨も残らねえ」


レオンは無言で、その銀縁の依頼書を見つめ続けた。

脳裏を掠めるのは、あの分厚い戦歴録に記された父ガルドの背中だ。

父なら、この依頼書を前にした俺に何と言うだろうか。


『まだ早い。基礎もできていない分不相応な野心が、仲間を死に追いやる。家に帰って木剣を振っていろ』


その幻聴が、あまりにも鮮明に聞こえて、レオンは自嘲気味に口角を上げた。

ああ、全くだ。これまでの俺なら、プライドだけで突っ込んで、最初の毒液で溶かされて終わっていただろう。


「……確かに、まだ早いのかもしれないな」


レオンの呟きに、ミーナが驚いたように顔を上げた。


「……レオン? なら、止めるの?」


「いや。……判断するのはオヤジじゃない。俺だ」


レオンは一歩踏み出し、迷いのない手つきでその依頼書を引き剥がした。バリリ、という乾いた音が、静まり返ったギルドに響き渡る。


「カイル、ミーナ。俺はこの依頼を受ける。……怖気づいたなら置いていく。これは、俺の我儘だ」


「は、はぁ!? 置いていくわけねえだろ! 俺だって、いつまでも雑用係で終わりたくねえしよ……。でも、勝算はあるのか?」


「勝算は作るんだよ」


レオンは依頼書を握りしめ、かつてないほど冷静に、二人の仲間の目を見据えた。

手のひらには、特訓で固くなったタコの感触がある。数日前の風邪で味わった死の淵、初めて自力で稼いだ銀貨の重み、そしてシェリーへの罪悪感。

それらすべてが、今のレオンの血となり肉となっていた。


「オヤジなら『まだ早い』と言うだろう。あいつの物差しじゃ、俺はいつまでも、守られるだけの子供だからな。……でも、俺の足はもう、あいつの屋敷の絨毯の上にはない」


レオンはギルドの窓から差し込む、夕焼けの鋭い光を浴びた。

空気中に舞う埃が、黄金の粒子のように輝いている。


「俺は、俺の判断で行く。死ぬかもしれない。でも、自分の限界をオヤジに決めさせたままでいるのは……もう、死ぬより真っ平なんだ」


「……わかったわ」


ミーナが、静かに杖を握り直した。その瞳には、レオンの覚悟に対する深い信頼が宿っていた。


「レオンの判断を信じる。……準備をしましょう。最高の準備を」


「ああ。毒消しの草、予備の研石、それから……死ぬ気で生き残るための根性だ」


レオンは、ギルドの奥でこちらを凝視しているバルガス教官の視線に気づいた。義眼が、品定めするようにギラリと光っている。

レオンは背を向けず、不敵な笑みを返した。


(見てろよ、クソオヤジ。あんたが『まだ早い』と言ったその先へ、俺は自分の足で踏み込んでやる)


腰の短剣の鞘を強く叩く。

腹の底から、震えるような武者震いと、烈しい昂揚感がせり上がってきた。

守られた温室の扉は、もう完全に閉ざされた。

目の前に広がるのは、冷たい霧と、自分たちの手で掴み取るべき「神話」の入り口だ。


「行くぞ。……明日、世界に俺たちの名前を刻んでやる」


17歳の決断。

それは、父という巨大な山の麓から、未踏の崖へと自ら飛び出す、孤独で勇敢な跳躍だった。


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**次回、第9話:覚悟**

霧の谷に響く、双頭大蛇の咆哮。圧倒的な力の差を前に、レオンたちは「仲間を守る」ための真の強さを試されます。

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