第7話:真実の断片
ギルドの資料室は、夜になると昼間の喧騒が嘘のように冷え込み、古い羊皮紙が放つカビ臭い乾燥した匂いだけが立ち込めていた。
レオンは、かつての父ガルドの戦歴録を、穴が開くほど見つめていた。その隅に挟まっていた、一枚のセピア色の写真。そこには、若き日の父と、見覚えのある銀髪の女性が、肩を並べて笑っている姿があった。
「……シェリー?」
あの日、家を追い出されるきっかけになった「オヤジの愛人」。レオンが「引退した片足の冒険者」と嘲笑った、あの女性だ。
「なんだ、まだそんなもんを見てんのか」
背後から、酒の匂いと煙草の煙を纏ったバルガスが近づいてきた。彼はレオンが持っている写真を覗き込むと、義眼を細めて寂しげに笑った。
「その女……シェリーさんの噂なら、ギルドの古株に聞いてみな。誰も彼女のことを『愛人』なんて呼びゃしない」
「……どういうことだよ。オヤジの横で、いつも甲斐甲斐しく世話を焼いて……」
「世話を焼かなきゃならんのは、ガルドの方だったんだよ」
バルガスの言葉に、レオンの指が震えた。
「10年前の『黒死の沼』遠征だ。ガルドは魔獣の不意打ちを受け、心臓まであと数センチという深手を負った。それを、自分の脚を魔獣の顎(あぎと)に食い込ませてまで、魔法の盾で守り通したのが……そのシェリーさんだ」
バルガスは窓の外の闇を見据え、語り続ける。
「彼女はその代償に右脚を失った。ガルドにとっては、命の恩人であり、共に死線を潜り抜けた唯一無二の戦友なんだよ。あいつが家で彼女を支えていたのは、色恋なんかじゃない。一生をかけても返しきれない恩義と、親友への敬意だ」
レオンの心臓が、早鐘を打つように脈打った。
あの日――。
シェリーが大切そうに抱えていた魔導書を、レオンはわざと小突いて落とした。その中から零れ落ちた、押し花の栞。あれは、父の命を救った戦場に咲いていた花だったのではないか。
『おいおい、引退した片足の冒険者は足元だけじゃなくて手元もお留守か?』
自分の放った言葉が、鋭い刃となって自分の胸を突き刺す。
「……俺、なんてことを」
「あの日、ガルドが本気でお前を殴った理由が分かるか? 自分の名誉を汚されたからじゃない。命をかけてお前を育ててくれた、亡き母の親友であり、自分の命の守り手である女性を……お前が踏みにじったからだ」
レオンの視界が、急激に歪んだ。
喉の奥が焼けつくように熱い。
あの時の父の怒り。あれは、理不尽な追放などではなかった。一人の人間として、道を踏み外した息子への、魂の叫びだったのだ。
「……俺、何も知らなかった。あいつがどんな思いでオヤジの傍にいたのかも、オヤジがあの女にどれだけ救われていたのかも……」
レオンは写真を握りしめた。
自分は、父が守ってきた「誇り」の結晶のような場所で、ただ甘えていただけだった。父の沈黙を「不器用」だと馬鹿にし、シェリーの微笑みを「厚かましい」と決めつけて。
「俺は、一人で大きくなったつもりで……一番見なきゃいけないものを、何も見てなかったんだ」
資料室の冷たい床に、ぽたぽたと涙が落ちた。
思い出されるのは、家を出る間際、シェリーが見せた一瞬の悲しげな瞳。彼女はレオンに罵倒されても、怒るどころか、どこか申し訳なさそうな顔をしていた。
「あいつ……あの人は、俺に謝らせたくなかったんだ。俺が傷つくのを知ってたから」
「ガルドもお前を憎んで追い出したわけじゃない。……あのままじゃ、お前は一生、人の痛みが分からん無能な『英雄の息子』で終わると確信したんだろうよ」
バルガスはレオンの肩を強く一度だけ叩き、去っていった。
静寂が戻った資料室で、レオンは震える声で何度も繰り返した。
「……ごめんなさい……シェリーさん……。ごめん、オヤジ……」
暗闇の中で、レオンは自分の無知と傲慢さを、一晩中噛み締めた。
父を超える。その決意は今、復讐という浅はかな炎から、一人の男としての「償い」と「再定義」へと形を変えようとしていた。
何も知らなかった。
けれど、ここからは知る努力をしなければならない。
父が守りたかった世界を、自分もまた守れる男になるために。
レオンは写真を胸に抱き、夜明けの光が差し込むまで、その場所を動かなかった。
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**次回、第8話:選択**
高難度依頼のチャンス。成功すれば一人前として認められるが、リスクはあまりに高い。父の教えを胸に、レオンは「自分の足」で運命を切り拓く選択をする。
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