第5話:初勝利
病み上がりの体はまだ少し重かったが、肺に吸い込む空気は驚くほど澄んでいた。
レオンはギルドの掲示板の前に立っていた。選んだのは、かつて無様に敗走したあの依頼だ。
「『ホーンラビットの討伐と角の納品』……。今の俺なら、もっとマシにやれるはずだ」
だが今回は、一人ではない。
「おい、レオン! もたもたするなよ、置いてくぞ!」
声をかけてきたのは、同じ寮に住む新人冒険者のカイルと、物静かな魔術師の少女・ミーナだった。以前のレオンなら「足手まといだ」と切り捨てていただろう。だが、今の彼は知っている。一人の限界を、そして「使える力」の本当の意味を。
「……分かってる。ミーナ、風の向きはどうだ?」
「……北西から。私たちの匂いは、あそこの茂みには届かないわ」
森の中。以前のレオンは獲物を見つけるなり突っ込んだ。だが今は、湿った土を這うように移動し、獲物の呼吸に耳を澄ませる。草の擦れる音、微かな獣の匂い。五感が研ぎ澄まされ、ケインから叩き込まれた「戦場のリアリティ」が脳内を駆け巡る。
「カイル、右から追い込め。俺が正面で受ける。ミーナ、逃げ道に足止めの魔術を」
「了解!」
「……ええ」
短い指示。かつて父の屋敷で聞いたような華やかな作戦ではない。だが、それは泥臭く、確実な網だった。
「キィィィッ!」
ホーンラビットが茂みから飛び出した。以前は恐怖を感じたあの鋭い角が、今は不思議とスローモーションに見える。レオンは冷静に一歩引き、相手の突進の勢いを利用して、短剣を斜め下から振り上げた。
「……今だ!」
ドスッ、という重い手応え。剣から伝わる肉の感触。それは、かつての「綺麗な型」では得られなかった、命を奪うための冷徹な感触だった。
同時にカイルが横から仕留め、ミーナの風が逃げようとした最後の一匹を地面に縫い付けた。
「……やったか?」
カイルが顔を輝かせる。
足元には、三本の角。無傷。完勝だった。
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ギルドへ戻り、カウンターに角を差し出す。
受付嬢は驚いたように眉を上げ、「……あら、見事な納品ね。傷一つないわ」と呟いた。
「これ、今回の報酬よ。銀貨3枚」
手渡された革袋は、驚くほど軽かった。
かつてのレオンなら、「たったこれだけかよ、服代にもなりゃしねえ」と吐き捨てていただろう。だが、受け取った銀貨の冷たさと、指先に残るずっしりとした重みは、どんな金貨よりも熱く感じられた。
「……サンキュ」
短く礼を言い、レオンはカイルたちと報酬を分けた。
「お疲れ! 次も組もうぜ、レオン!」
仲間に背中を叩かれ、レオンは曖昧に頷いて寮へと戻った。
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夜、窓のない狭い部屋。
安物のランプがチリチリと音を立て、影を壁に映し出している。
レオンはベッドに腰掛け、自分の分け前である銀貨1枚を、じっと手のひらで見つめていた。
指先は傷だらけだ。爪の間には取れない泥が入り込み、手のひらは剣のタコで硬くなっている。
かつての滑らかな「坊ちゃんの手」は、もうどこにもなかった。
「……ふっ」
ふいに、込み上げてくるものがあった。
それは、あんなに憎んでいた父を超えたという実感ではない。
ただ、自分の力で、自分の判断で、今日を生き抜くための糧を手に入れたという、静かで烈しい自尊心だった。
「……やれるじゃん、俺」
暗い部屋に、ポツリと独り言が落ちた。
鏡を見るまでもない。今の自分は、きっと酷い面構えをしているだろう。泥に汚れ、汗臭く、銀貨1枚で喜んでいる無様な冒険者だ。
「……見てろよ、オヤジ。俺は、あんたが作った温室をぶっ壊して、自分の足で立ってるぞ」
レオンは銀貨を握りしめ、そのままベッドに倒れ込んだ。
筋肉の痛みは相変わらずだが、今夜は不思議と、カビ臭い毛布が温かく感じられた。
「ざまぁ……みやがれ……」
眠りに落ちる直前、レオンの口元には、かつて一度も見せたことのない、幼くも誇らしげな微笑が浮かんでいた。
それは、彼が本当の意味で「人生のハンドル」を握った、最初の夜だった。
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**次回、第6話:父の影**
少しずつ実績を積み始めたレオン。しかし、ギルドの古参たちが語る「ガルド・バロウ」の名は、レオンの想像を絶する巨大なものだった。
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