第3話:鍛え直し

ギルドの訓練場は、早朝から熱気と鉄の匂いに包まれていた。


立ち込める土埃、男たちの荒い呼吸、そして鈍く響く木剣の打撃音。レオンにとって、そこは洗練された屋敷の稽古場とは似ても似つかない、剥き出しの戦場だった。


「おい、坊ちゃん。いつまで寝ぼけた顔をしてやがる。立て」


昨日のバルガスの言葉が、まだ耳の奥で嫌な残響を残している。レオンの前に立ちはだかったのは、ギルドの訓練教官――元軍人のケインだった。顔を横断する深い傷跡、太い腕に浮き出た血管。彼が動くたびに、古びた革のプロテクターがギチリと鳴る。


「……やってやるよ。あんたも俺を『坊ちゃん』扱いするのか?」


レオンは吐き捨てるように言い、地面に転がっていた練習用の木剣をひったくった。手垢で黒ずんだ柄は、屋敷で使っていた最高級の樫の木とは違い、ザラついていて重い。


「ほう。威勢だけは一人前だな。なら、その薄っぺらいプライドごと叩き潰してやる。来い」


ケインが構える。それは構えと呼ぶにはあまりに無造作で、隙だらけに見えた。レオンは一気に距離を詰め、父ガルドから叩き込まれた基本に忠実な一撃を繰り出した。


「はぁっ!」


鋭い踏み込み。空気を切り裂く風音。屋敷なら「見事」と喝采を浴びたはずの筋のいい縦一閃。

だが。


「……遅い」


ケインの姿が掻き消えた。

次の瞬間、レオンの視界が真横に流れた。

脇腹に強烈な衝撃。肺の中の空気が一気に絞り出され、地面の硬い感触が背中を打つ。


「カハッ、げほっ……!」


「どうした。ガルド・バロウの息子が、ただの横蹴り一本で這い蹲るのか?」


「……っ、ふざけんな!」


レオンは泥を噛みながら立ち上がった。屈辱で頭がどうにかなりそうだった。

何度も、何度も挑んだ。

突進、フェイント、全力の連撃。だが、レオンの木剣がケインの体に触れることは一度もなかった。


ケインの動きは洗練とは程遠かった。目潰しに近い砂かけ、体重を乗せただけの泥臭い体当たり、木剣の鍔で手首を砕くような嫌らしい打撃。そのたびにレオンは泥を舐め、痣を増やし、体中の関節が悲鳴を上げた。


一時間後。レオンはもはや立ち上がることもできず、訓練場の隅で荒い息を吐きながら、土の上に大の字になっていた。

空は憎たらしいほど青く、太陽がじりじりと肌を焼く。


「……なんで……当たらない……。俺の型は、完璧なはずだ……オヤジだって、そう言ったのに……」


ケインが影となってレオンを見下ろした。

彼は汗一つかいていない涼しい顔で、持っていた木剣を地面に突き立てた。


「完璧? ああ、そうだな。お前の型は美しい。鏡の前で踊るなら満点だ。だがな、レオン。ここにあるのは、敵を殺すか、自分が生き残るかの現実だけだ」


ケインは、レオンが握りしめていた木剣を足先で軽く蹴った。


「お前は『力』の出し方を知っている。だが、『力』の使い方を知らん。型に嵌まっただけの動きは、実戦じゃただの『予測しやすい標的』だ」


「……使い方……?」


「そうだ。いいか、坊ちゃん。強さってのはな……『使える力』のことだ」


ケインはしゃがみ込み、レオンの胸元を指で突いた。


「綺麗な剣筋、豊富な魔力、立派な血筋。そんなもんはただの素材だ。泥にまみれ、視界を塞がれ、指の骨が折れた状態でも、敵の喉笛を掻き切れる。それが『使える力』を持った冒険者だ。お前にあるのは、温室で育てられた『飾り物の力』なんだよ」


使える力。

その言葉が、レオンの胸の奥深くにある、頑なな殻を粉砕した。

自分は今まで、父に与えられた「教科書」をなぞっていただけだった。その教科書を奪われ、放り出された今、自分には何も残っていない。


「……オヤジに、ザマァしたいんだ」


「あ?」


「あいつが……あのオヤジが間違ってたって、証明してやりたいんだ。だから……教えてくれ。どうすれば、その『使える力』ってやつが手に入る」


レオンは這いずりながら、ケインのブーツに手をかけた。

泥だらけの顔。腫れ上がった瞼。そこにはもう、屋敷にいた頃の生意気なガキの面影はなかった。あるのは、飢えた獣のような眼光だけだ。


ケインは一瞬だけ、かつての戦友であるガルドの面影をレオンに重ね、短く鼻を鳴らした。


「……なら、まずはその腐ったエリート意識を捨てろ。死ぬ気で土を舐める覚悟があるなら、鍛え直してやる」


ケインは再び木剣を構えた。


「立て。稽古はまだ始まったばかりだ」


レオンは、震える脚を叩いて立ち上がった。

全身を突き抜ける激痛。だが、不思議と心は晴れやかだった。

守られていた自分を捨て、自分の力で立ち上がる。

オヤジへの復讐――その第一歩は、この泥塗れの訓練場から始まるのだ。


「ああ……来いよ。次は、一太刀くらい掠らせてやる」


太陽が中天に差し掛かり、訓練場に再び、鈍い打撃音と少年の叫びが響き渡った。


---


**次回、第4話:孤独**

厳しい訓練の後、一人で戻る寮の部屋。静寂の中で、レオンは初めて「一人で生きる」ことの本当の意味を知る。

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