第2話:ギルドの洗礼

ギルドの重い扉を押し開けた瞬間、押し寄せてきたのは、むせ返るような「生活」の匂いだった。


酒の、汗の、使い込まれた武具の油の、そして傷口を消毒する強い薬草の匂い。屋敷の洗練された香水や蜜蝋とは対極にある、生々しい獣じみた熱気だ。


「……なんだよ、ここ」


レオンは無意識に鼻を衝く刺激を避けようと顔をしかめたが、すぐに表情を「不敵な少年」へと作り直した。カウンターの奥では、不機嫌そうな受付嬢が書類にペンを走らせている。


「登録したい。冒険者にだ」


「はいはい。そこに名前と年齢、使える武器を。登録料は銀貨1枚」


「……金は、後払いでいいか? すぐに稼いでくるからよ」


受付嬢が顔を上げ、冷ややかな視線でレオンを上から下まで眺めた。その目は、彼が着ている仕立ての良いが、泥に汚れた上着を見逃さない。


「うちは慈善事業じゃないの。……まあいいわ。隣の『初心者相談窓口』に行きなさい。あそこのバルガス教官が許可を出せば、ツケで登録させてあげる」


レオンは舌打ちしながら指された方へ向かった。そこには、背負った大剣が小さく見えるほどの巨漢、バルガスがいた。


「ガキか。武器は?」


「これだ。……安物だが、オヤジの稽古では負けなしだった」


レオンが腰の短剣を抜こうとすると、バルガスの義眼が不気味に光った。


「抜くな。死ぬぞ」


あまりに低い、地を這うような声。レオンは反射的に指を止めた。心臓が跳ね、指先に嫌な汗が滲む。


「……ふん、脅しかよ」


強がって見せたが、周囲の喧騒がふと耳に入ってきた。


「おい、あいつ見ろよ。14歳でウルフを3頭仕留めたんだってさ」

「こっちの少女もすごいぞ。魔導学院を飛び級して、もうD級だってよ」


レオンの視界に、自分よりずっと幼い少年が、血の付いた毛皮を堂々と換金所に差し出す姿が映った。少女は涼しい顔で杖を磨き、その腰にはレオンが一生かかっても届かないような高額の報酬袋が揺れている。


プライドが、音を立てて軋んだ。

『オヤジの息子』という看板がなければ、自分はただの「無力な17歳」に過ぎない。その事実が、冷たい水のように背筋を伝い落ちる。


「……バルガスさんよ。一番手っ取り早く稼げる依頼をくれ。証明してやるよ、俺がそこのガキ共より上だってことをな」


「……なら、裏山の『ホーンラビット』の角を3本取ってこい。あそこなら今の時期、バカでも死なねえ」


バルガスが放り投げた依頼書をひったくり、レオンは逃げるようにギルドを飛び出した。


---


裏山の森は、不気味なほど静かだった。

足元で折れる小枝の音。草むらから聞こえるカサカサという微かな音。屋敷の庭とは違う、手加減のない自然の気配に、レオンの喉はいつの間にかカラカラに乾いていた。


「……いた」


茂みの向こう、可愛らしい外見とは裏腹に、額から鋭い角を生やしたウサギがいた。ホーンラビット。ギルドの教本では「初心者の登竜門」とされる雑魚だ。


「あんなの、突っ込めば終わりだろ」


レオンは重心を低くし、一気に飛び出した。オヤジから教わった剣技の足運び。頭の中では、鮮やかに角を切り落とす自分の姿が出来上がっていた。


だが。


「なっ……!?」


ウサギは信じられない速度で跳躍した。レオンの短剣は空を切り、勢い余って地面に突っ込む。


「このっ……ちょこまかと!」


焦りが視界を狭くした。振り回す刃は雑になり、息が上がる。

すると、ウサギが鋭い鳴き声を上げた。それに応じるように、周囲の草むらから二匹、三匹と、ホーンラビットが姿を現す。


「群れかよ!? 冗談だろ!」


一体が放った体当たりが、レオンの脇腹を抉った。角が皮膚をかすめ、焼けるような痛みが走る。

「ぐあぁっ!」

倒れ込んだレオンの顔面を、もう一体のウサギが蹴りつけた。


視界が火花を散らす。土と枯れ葉の匂いが口の中に入り込み、鉄の味が混ざる。

かつて木剣で打ち合った時、父ガルドはいつも言っていた。

『敵を舐めるな。足元を見ろ。呼吸を乱すな』


「うるせえ……うるせえんだよ!」


無様に地面をのたうち回りながら、レオンはがむしゃらに短剣を振った。運良く一匹の足を切り裂いたが、残りの群れはなおも包囲を狭めてくる。

死ぬ。こんな、ウサギなんかに殺されるのか?


その時、頭上を巨大な影が通り過ぎた。


**ドォォン!**


凄まじい風圧とともに、ホーンラビットたちが一瞬で肉塊に変わった。

レオンが顔を上げると、そこには見覚えのある大剣を担いだバルガスが立っていた。


「……ひどいもんだな」


バルガスは蔑むようにレオンを見下ろした。

レオンの全身は泥と返り血にまみれ、震える膝は立つことさえ拒んでいた。

自尊心は、無様に引き裂かれたシャツよりも無残な形になっていた。


「……助けなんて、頼んでねえ……」


「頼まれなくても、ギルドの財産(登録者)を無駄死にさせるわけにはいかんでな。だが、忠告しておいてやる」


バルガスは一歩近づき、その圧倒的な威圧感でレオンを沈黙させた。


「剣筋は綺麗だが、中身が空っぽだ。お前の剣には、自分の命を賭ける覚悟も、敵を殺すための泥臭さもねえ」


バルガスは鼻で笑い、レオンの頬についた泥を乱暴に拭った。


「親の庇護の下、綺麗な剣だけを振ってきた……守られて育った『坊ちゃん』だな、お前は」


坊ちゃん。

その言葉が、どんな凶器よりも深く、レオンの胸に突き刺さった。


バルガスが去った後の静寂の中で、レオンは拳を血が滲むほど握りしめた。

森の冷たい風が、涙で濡れた頬を容赦なく冷やしていく。


「……ガキ扱い、すんなよ……クソッ……!」


震える手で、泥にまみれた短剣を拾い上げる。

オヤジを「ざまぁ」させる。その道のりが、思っていたよりも遥かに泥臭く、果てしないものであることを、17歳の少年は初めて身を以て知った。


---


**次回、第3話:鍛え直し**

プライドをへし折られたレオン。バルガスの過酷な訓練が始まる。

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