第5話
入学式の翌朝。
俺、バルトロス・フォン・ガルガンチュアは、寮の自室で鏡の前に入念なチェックを行っていた。
「……よし、制服にシワなし。寝癖なし。鼻毛なし」
完璧だ。
昨日の決闘騒ぎで、俺は完全に目立ってしまった。
本来なら「空気のような存在」を目指していたのに、どうしてこうなったのか。
だが、やってしまったものは仕方がない。今日からは心を入れ替え、できるだけ低姿勢で、無害な一般生徒として振る舞おう。
そう決意して、俺は寮の廊下へと出た。
「ひっ……!」
廊下を歩いていた生徒が、俺を見た瞬間に短い悲鳴を上げて壁に張り付いた。
まるで幽霊でも見たかのような反応だ。
「お、おはようございます……魔王……い、いえ! バルトロス様!!」
「あ、ああ。おはよう」
俺は極力、フレンドリーな笑顔(のつもり)で挨拶を返した。
だが、生徒は青ざめた顔でガクガクと震え、脱兎のごとく走り去ってしまった。
(……なんで?)
その後も、校舎へ向かう道中で同じことが繰り返された。
俺が歩くと、半径五メートル以内の人間が蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
逃げ遅れた者は、直立不動で敬礼するか、地面にひれ伏して道を譲るかの二択だ。
モーセの十戒状態は今日も継続中らしい。
(もしかして、俺、臭いのか……?)
不安になる。昨日、アレンとの決闘で少し汗をかいたからな。
俺はこっそりと無詠唱で<生活魔法・洗浄(クリーン)>と<消臭(デオドラント)>を自分に掛けまくった。
これでフローラルな香りがするはずだ。これでも避けるなら、もう人類には俺の匂いは早すぎるということだろう。
***
Sクラスの教室。
俺がドアを開けると、教室内が水を打ったように静まり返った。
クラスメイト全員が、一斉に俺を見る。そして、サッと視線を逸らす。
俺の席は、窓際の一番後ろだった。いわゆる「主人公席」だ。
だが、様子がおかしい。
俺の席の周囲だけ、机が円状に遠ざけられているのだ。まるで、そこだけ隔離された特別席のように。
(いじめか? これ、地味ないじめなのか?)
俺は心の中で涙を流しながら、ポツンと離された席に座った。
寂しい。誰か話しかけてくれないかな。
そんな俺の願いが届いたのか、一人の女子生徒が近づいてきた。
サラサラの銀髪に、意志の強そうな碧眼。教会の象徴である聖女の証、白いロザリオを首から下げている。
メインヒロインの一人、セシリアだ。
「……バルトロス様」
彼女の声は硬い。警戒心と敵意が入り混じっている。
周囲の生徒たちが「おい、聖女様が魔王に喧嘩を売りに行ったぞ」「命知らずな……」とざわめいているのが聞こえる。やめてくれ、俺はただの元デブだ。
「なんだ、聖女殿」
俺は頬杖をつき、気だるげに応じた。内心は(かわいいなぁ、いい匂いするなぁ)とデレデレしているが、顔には出さない。
「アレンは、保健室で目を覚ましました。……全治一週間の打撲だそうです」
「そうか。それはよかった」
俺は心底安堵した。
よかった、死んでなかった。もし勇者を殺してたら、俺は退学どころか国家反逆罪で処刑されるところだった。
だが、セシリアはその安堵をどう解釈したのか、怪訝そうな顔をした。
「……なぜ、とどめを刺さなかったのですか?」
は?
とどめ?
何を言ってるんだこの聖女様は。俺は殺人鬼か何かだと思われているのか?
「昨日の決闘……あなたはアレンを殺そうと思えば、あの一撃で殺せたはずです。それなのに、なぜ手加減を?」
純粋な疑問というより、底知れない悪意を探るような目だ。
ここで「殺すわけないじゃん、犯罪怖いし」と言っても、信じてもらえないだろう。それに、悪役貴族としての沽券に関わる。
俺は少し考え、ニヒルな笑みを浮かべて答えた。
「……あんな未熟な実、潰しても味がしないだろう?」
精一杯の厨二病セリフだ。
要するに「弱すぎて相手にならなかったよ」と言いたかっただけなのだが。
セシリアの顔色が、サッと変わった。
「未熟な実……味がしない……?」
彼女の脳内で、とんでもない解釈が行われていた。
(この男……アレンの才能を見抜き、もっと成長して、美味(・・)になってから喰らうつもりなの!? なんて強欲で、傲慢で……残酷な……!)
(今殺すのは簡単すぎる。絶望と希望を与え、育ててから刈り取る……それが「魔王」の愉悦だと言うの……?)
セシリアは身震いした。
恐怖。だが、それだけではない。
教会の教えにある「絶対悪」とは違う、人間離れしたスケールの大きさに、聖職者としての本能が揺さぶられたのだ。
「……あなたは、恐ろしい方ですね」
「よく言われる」
俺は肩をすくめた。
セシリアは複雑な表情で一礼し、自分の席へと戻っていった。
とりあえず会話は成立したらしい。よかった、友達第一号になれるかもしれない。
***
昼休み。
俺は一人で学食へ向かった。
学食に入った瞬間、またもやモーセ現象が発生し、一番景色の良いテラス席が自然と空いた。
みんな気を使わなくていいのに。相席でもいいのに。
カウンターへ向かう。
今日のメニューは、Aランチがステーキ、Bランチがパスタ、Cランチがサラダセットだ。
今の俺はダイエット中だ。当然、Cランチ一択である。
「おばちゃん、Cランチを……」
「ひっ、は、はいぃぃぃッ!!」
配膳係のおばちゃんが、俺の顔を見るなり悲鳴を上げた。
そして震える手で、厨房の奥から巨大な皿を持ってきた。
「ど、どうぞ……! バルトロス様のために、最高級のお肉を、特盛りにしておきました……! サ、サービスですぅ!」
ドンッ!
目の前に置かれたのは、皿からはみ出さんばかりの巨大なステーキ(脂身多め)と、山盛りのライスだった。
肉汁と脂がキラキラと輝いている。半年前の俺なら狂喜乱舞していただろう。
(い、いじめか……!?)
今の俺の胃袋は、野菜とササミに最適化されている。こんなどっしりした脂を摂取したら、午後はお腹を下してトイレに引きこもることになる。
だが、おばちゃんは涙目で俺を見ている。「どうか怒らないでください、殺さないでください」と顔に書いてある。
断れない。
断ったら、おばちゃんがショック死するかもしれない。
「……感謝する」
俺は引きつった笑みを浮かべ、盆を受け取った。
席につき、ナイフとフォークを手に取る。
周囲の生徒たちが、固唾を呑んで見守っている。
一口、食べる。
うっ、重い。脂が重い。美味しいけど、体が拒否反応を示している。
俺は眉間に深いしわを寄せ、苦悶の表情を浮かべながら咀嚼した。
(胃薬……誰か胃薬を……)
その様子を見ていた生徒たちが、ヒソヒソと囁き合う。
「おい見ろ、あの表情……」
「料理が気に入らないのか? 料理長、消されるんじゃ……」
「いや、違うぞ。聞いたか? バルトロス様は自分に猛毒を盛り、耐性を付ける訓練をしているらしい」
「な、なんだって……!?」
「あの苦悶の表情……致死量の毒が盛られたステーキを、顔色一つ変えずに(変えてるけど)平らげているんだ……!」
「すげぇ……やはり化け物だ……」
変な噂が広まっている気がするが、訂正する気力もない。
俺は必死にステーキを完食し、冷や水を一気飲みした。
ふぅ、と息をついた時だった。
「おい、新入生」
頭上から、ドスの効いた声が降ってきた。
見上げると、そこには三人の男子生徒が立っていた。
着崩した制服、高そうな装飾品。いかにも「俺たち上級生だぞ」という雰囲気を醸し出している、不良貴族グループだ。
「一人で優雅に食事たぁ、随分と余裕じゃねえか。あぁん?」
リーダー格らしき男が、俺のテーブルに足を乗せた。
テンプレだ。あまりにもテンプレな「絡み」だ。
今の俺は胃もたれで気分が悪い。正直、関わりたくない。
(うわ、めんどくさいの来た。無視しよ)
俺はナプキンで口を拭い、彼らの存在を完全にスルーして立ち上がった。
視界にすら入れない。だって、吐き気を抑えるので精一杯だから。
「……ごちそうさま」
俺はテーブルの上の食器を片付けようとする。
その「完全無視」が、不良たちのプライドを逆撫でしたらしい。
「てめぇ……! 俺たち『黒竜会』を無視する気かコラァ!!」
男が俺の肩を掴もうと手を伸ばす。
ああ、またか。
俺はため息をつきたくなった。
俺の体には、常時展開の<万有引力・斥力場>がある。
触れようとすればどうなるか、昨日の勇者アレンを見ていなかったのだろうか。
学園生活二日目。
平穏な日常は、やはり今日も遠そうだった。
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