第4話
入学式後の懇親会が行われる中庭は、異様な熱気に包まれていた。
華やかな立食パーティの料理には誰も手を付けていない。全員の視線が、中央の広場に対峙する二人の男に注がれているからだ。
一人は、入学式でSランクの才能を示した平民の希望、勇者アレン。
もう一人は、測定水晶を粉砕した規格外の怪物、バルトロス。
「……本気か、アレン君」
俺はため息交じりに言った。
内心では(帰りたい、帰りたい、帰りたい!)と絶叫している。
入学式の騒ぎの後、俺はさっさと寮に逃げ込もうとしたのだ。だが、アレンがそれを許さなかった。
『逃げるのか! そのふざけた力、僕が暴いてやる!』と、公衆の面前で決闘を申し込んできたのだ。
貴族社会において、公の場での決闘申し込みを断ることは「敗北」と「不名誉」を意味する。特に、俺のような悪役貴族ポジションの人間が逃げれば、家名に泥を塗ることになる。
やるしかない。やるしかないのだ。
「ああ、本気だ。貴様のその力、何処かおかしい」
アレンが訓練用の木剣を構える。眼光は鋭く、殺気すら帯びていた。
「あの水晶を壊した黒い力……あれが邪悪な魔術でないことを証明してみせろ!」
「……やれやれ。子供の相手は骨が折れる」
俺はダルそうに首を振った。
武器は持っていない。素手だ。
木剣を持ったところで、剣術素人の俺が剣の達人であるアレンに勝てるわけがない。俺の武器は、この半年間磨き上げた<万有引力>のみ。
「ルールは単純だ。降参するか、戦闘不能になったら負け。……それでいいな?」
立会人の教師が震える声で確認する。
アレンが頷き、俺も小さく顎をしゃくった。
「始めッ!」
開始の合図と同時だった。
――ドンッ!
地面を蹴る爆音が響く。
アレンの姿がブレた。いや、消えた。
原作アレンの代名詞とも言える身体強化スキル<光速>だ。序盤のボス程度なら、反応する間もなく斬り伏せる神速の突撃。
(はっや!? 見えねぇ!!)
俺の動体視力では、アレンが消えたようにしか見えない。
死んだ。これ死んだわ。
走馬灯が見えかけた、その瞬間。
ガィィィンッ!!
俺の目の前、鼻先わずか数センチの空間で、アレンの木剣が停止していた。
何もない空中で、何かに阻まれたように。
「なっ……!?」
アレンが驚愕に目を見開く。
木剣がミシミシと軋んでいる。アレンは全力で押し込もうとしているが、剣先はピクリとも動かない。
「か、硬い……!? 障壁魔法か……!?」
違う。
それは俺が常時展開している、対物理防御用の重力場だ。
俺の体表数センチには、外側に向かって凄まじい「斥力(弾く力)」が渦巻いている。アレンの剣は、この斥力の壁に衝突し、勢いを殺されたのだ。
(あ、あっぶねぇぇぇ!! オート防御ありがとう! 愛してるぞ万有引力!)
内心で俺は腰を抜かしていた。
もしこの防御壁がなかったら、今頃俺の顔面は陥没していただろう。
だが、周囲には「反応できなかった」のではなく、「反応する必要すらなかった」ように見えているはずだ。
俺は冷や汗を隠し、ゆっくりとアレンに視線を向けた。
ポケットに手を入れたまま、微動だにしない俺。
必死の形相で剣を押し込もうとするアレン。
「……終わりか? そよ風が吹いたかと思った」
震える声を抑え込み、精一杯の挑発を口にする。
アレンの顔が屈辱に歪んだ。
「舐めるなァァァッ!!」
アレンがバックステップで距離を取り、再び加速する。
今度は正面だけではない。右、左、背後。
全方位からの連続攻撃。残像が見えるほどの速度で、無数の斬撃が俺を襲う。
ガガガガガガッ!!
しかし、その全てが俺の体に触れる直前で弾かれる。
どれだけ速くても、どれだけ鋭くても、重力の鎧は突破できない。物理攻撃である限り、質量への干渉からは逃れられないのだ。
「くそっ、くそっ! なんで当たらないんだ!」
息を切らし、焦りを露わにするアレン。
俺はただ突っ立っているだけだが、実は魔力消費が激しいのでそろそろ勘弁して欲しい。
早く終わらせよう。
俺はポケットから右手を出し、アレンに向けて人差し指を立てた。
「いい加減、目障りだ」
俺はその指先を、クイクイっと軽く下へ向けた。
魔法の発動トリガーだ。
<万有引力・局所加重(グラビティ・プレス)>。
対象、アレン・ウォーカー。
負荷、十倍。
――ズドンッ!!!!!
次の瞬間、アレンの姿が地面に消えた。
いや、消えたのではない。
見えない巨人の拳で叩き潰されたかのように、一瞬で地面にへばりついたのだ。
「が、はッ……!? あ、が……ぁ……!」
中庭の石畳が蜘蛛の巣状に砕け散り、アレンの体を中心にクレーターが出来ている。
アレンは白目を剥きかけながら、四つん這いになろうともがいていた。
だが、動けない。指一本動かせない。
彼の背中には今、彼自身の体重の十倍――およそ600kg以上の負荷がかかっているのだから当然だ。
「う、おおおおお……ッ!」
それでも、アレンは膝を立てようとする。
流石は勇者だ。常人なら内臓が破裂して即死レベルの重圧の中で、まだ意識を保っている。
だが、それがいけない。無理をすれば、体が壊れてしまう。
俺は慌ててアレンに近づき、横にしゃがみ込んだ。
(おいおい、大丈夫か? やりすぎたか? 骨とか折れてないよな?)
心配になって顔を覗き込む。
アレンが、血走った目で俺を睨み返してきた。
「ま、だ……僕は、負け……て……」
「……軽いな」
俺は思わず呟いた。
もっと魔力抵抗してくるかと思ったが、意外とあっさり術にかかったという意味での「(手応えが)軽い」だ。あるいは、「(怪我が軽そうで)よかった」という意味も含んでいた。
だが、アレンはその言葉を聞いて、絶望的な表情を浮かべた。
「か、るい……だと……?」
俺の全力の攻撃も、魂を削るような決意も。
この男にとっては、「軽い」程度の重みでしかなかったというのか。
俺は続ける。
「その程度の『重み』で、僕の前に立ったのか?」
これは純粋な疑問だ。「覚悟(重み)」が足りないまま挑んできたのか、という意味ではない。「体重(重み)が軽すぎて重力魔法が効きすぎたかな、もっと飯食って鍛えた方がいいぞ」というアドバイスのつもりだった。
しかし、アレンの心は、この一言で完全にへし折られた。
「あ……ああ……」
力の差。格の差。そして、覚悟の差。
全てにおいて、自分はこの男の足元にも及ばない。
指一本。
たった指一本動かされただけで、自分は地面を舐めている。
「……僕の、負けだ……」
アレンが搾り出すように告げると同時に、意識を手放した。
気絶だ。
勝負あり。
俺はすぐに重力魔法を解除した。
フゥ、と安堵の息を吐きたいところだが、観衆の手前、それは許されない。
俺はゆっくりと立ち上がり、埃ひとつついていない制服の裾を払った。
シーン……。
中庭は、入学式の時以上の静寂に包まれていた。
誰も言葉を発せない。
Sランクの勇者が、一歩も動けないまま、赤子のように捻り潰されたのだ。その衝撃は計り知れない。
「ば、化け物だ……」
「指先一つで、勇者を……?」
「あいつ、一歩も動かなかったぞ……」
教師たちが顔を見合わせ、真っ青になっている。
俺は内心で泣きそうだった。
(みんな引いてるじゃん! 絶対友達できないじゃん! これ明日からどうやって学校生活送ればいいの!?)
だが、もう後戻りはできない。
俺は気絶したアレンを一瞥し、周囲の生徒たちに冷ややかな視線を一巡させた。
「……興が削がれた。帰るぞ」
それだけを言い残し、俺は寮へと続く道を歩き出した。
生徒たちが、慌てて道を開ける。
まるで、魔王の行進を迎えるかのように。
背中で感じる視線は、もはや「豚」を見るものでも、「美形」を見るものでもない。
絶対的な「支配者」を見る、畏怖の眼差しだった。
こうして、俺の学園生活初日は終了した。
結果として、俺は「学園最強」の称号と、「魔王」という不名誉なあだ名を同時に手に入れることになったのだった。
(部屋に帰ったら、絶対に甘いもの食べてやる……)
最強の魔王の背中は、どこか哀愁を帯びていたが、それに気づく者は誰もいなかった。
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