第3話

 王立魔法学園。

 この国の将来を担う魔導師や騎士を育成する、最高峰の教育機関。

 そして――俺、バルトロス・フォン・ガルガンチュアが、勇者アレンの手によって社会的に、あるいは物理的に抹殺される予定の「処刑場」でもある。


 公爵家の紋章が刻まれた豪奢な馬車が、正門をくぐり抜けて校舎の前で停車した。

 窓の外には、既に多くの新入生たちが集まっているのが見える。


(……人、多いな)


 俺は胃がキリキリと痛むのを感じた。

 ここに来るまでの馬車の中、俺はずっと<万有引力>の微調整を行っていた。

 現在の設定は、自分への重力負荷四倍。

 そして、周囲への「斥力(人を遠ざける力)」を、半径五十センチで薄く展開している。これは満員電車に乗るのが嫌いだった前世の記憶から来る、俺なりのパーソナルスペース確保術だ。


「バルトロス様、到着いたしました」


 御者がドアを開ける。

 覚悟を決める時だ。

 俺は深く息を吸い込み、冷徹な「悪役貴族」の仮面を被る。背筋を伸ばし、顎を少し上げ、他者をゴミと見るような眼差しを作る。

 よし、完璧だ。


 俺は馬車から降り立ち、石畳の大地を踏みしめた。


 ザッ、と革靴の音が響く。

 その瞬間、周囲の喧騒がふっと止んだ。


「……え、誰?」

「凄い……どこの貴公子だ?」

「見たことない顔だけど、あの紋章……公爵家?」

「なんて冷たい目……ゾクゾクするわ」


 あちこちから、ひそひそ話が聞こえてくる。

 当然だ。半年前まで肉の塊だった俺が、こんなスリムな美男子(自画自賛ではない、客観的な事実だ)になっているなど、誰も想像できまい。

 だが、その視線の多さに、俺の「ビビリ・スキル」が発動してしまう。


(なんだ? なんでこんなに見るんだ? 制服のボタン掛け違えてるか? それとも寝癖?)


 不安だ。怖い。

 何か変なところがあるなら誰か指摘してくれ。

 心拍数が上がり、防衛本能が働く。

 無意識のうちに、俺は展開していた「斥力」の出力を上げてしまった。


 ――ズゥゥン……。


 空間が軋むような重低音が響く。

 俺を中心とした半径三メートルの空気が、物理的な壁となって外側へと押し出された。


「う、わっ!?」

「きゃあ!?」

「な、なんだ今の風圧は……!?」


 俺が歩き出そうとした瞬間、前方にいた生徒たちが、見えない手で払いのけられたように左右へと道を開けた。

 まるで、海を割った神話の英雄のように。

 人垣が割れ、講堂へと続く一本道が綺麗に出来上がる。


(うわ、やっちゃった……!)


 俺は内心で頭を抱えた。

 違うんだ。どいて欲しかったわけじゃないんだ。ただ「近寄らないで」と念じたら、重力が過剰反応しただけなんだ。

 だが、周囲の解釈は違った。


「す、すごい……歩くだけで人が吹き飛んだぞ……」

「『道を空けろ』ってことか……?」

「あの方の前に立つことすら許されないのか……」


 恐怖と畏敬の眼差し。

 俺は冷や汗をかきながらも、表情筋を死守して悠然と歩を進めた。

 止まるわけにはいかない。止まれば、足が震えているのがバレてしまうからだ。


 ***


 入学式が行われる大講堂は、ドーム状の荘厳な建物だった。

 新入生数百人が整列し、壇上には学園長や教師たちが並んでいる。


 式のメインイベントは、「魔力測定の儀」だ。

 一人ずつ壇上に上がり、設置された巨大な魔水晶に手をかざす。それによって魔力量と適性属性が判別され、クラス分けの参考になる。


 順調に式は進み、ついに「彼」の名前が呼ばれた。


「次は、アレン・ウォーカー!」


 平民枠での入学。ボサボサの茶髪に、少し古びた制服。

 だが、その瞳には強い意志の光が宿っている。

 原作主人公、アレンだ。


(うわぁ、本物だ……)


 俺は生徒の列の後方から、こっそりと彼を見つめた。

 アレンが壇上に上がり、水晶に手を触れる。

 カッ! と会場全体がホワイトアウトするほどの強烈な光が溢れ出した。


「お、おお……!」

「光属性! しかも、この輝きは……!」

「測定結果、光属性・適性ランクS!!」


 教師の声が裏返る。会場がどよめきに包まれた。

 平民からSランクが出たとなれば、前代未聞の快挙だ。

 アレンは少し照れくさそうに鼻の下を擦りながら、誇らしげに壇上を降りていく。

 その姿を、女子生徒たちが熱っぽい目で見つめていた。特に、彼の幼馴染である聖女セシリアなどは、祈るようなポーズでうっとりしている。


 まさに、主人公の晴れ舞台だ。

 俺は心の中で拍手を送った。すごいぞアレン。その調子で魔王を倒してくれ。俺は関わらないから。


 だが、運命の女神(シナリオライター)は残酷だ。

 アレンの興奮が冷めやらぬ中、教師が次の名前を読み上げた。


「次は……バルトロス・フォン・ガルガンチュア!」


 シン、と会場が静まり返った。

 先程までの熱気が嘘のように冷え込む。


「ガルガンチュア公爵家の……あの『豚』か?」

「聞いたことがあるぞ。傲慢で、暴食で、才能をドブに捨てた男だって」

「嫌だわ、同じ空気も吸いたくない」


 ヒソヒソと聞こえてくる悪評。

 知っている。それが俺だ。半年前までの俺だ。

 アレンも足を止め、嫌悪感を隠そうともせずに振り返った。


 さあ、公開処刑の始まりだ。

 俺は覚悟を決めて、席を立った。


 ザッ。

 一歩踏み出す。

 纏っている四倍重力の衣が、周囲の空気を歪ませる。


「……え?」


 誰かが声を漏らした。

 俺が通路を歩く。その姿が、照明に照らされる。

 黒髪をオールバックになでつけ、鋭利な刃物のような美貌を持つ長身の男。

 漆黒の瞳は、壇上の教師たちすら見下ろしているかのように冷たい。


「だ、誰だ?」

「バルトロスって呼ばれたわよね?」

「人違いじゃないのか? あんな綺麗な人が、あの豚公爵なわけ……」


 ざわめきが、困惑へと変わっていく。

 俺は無表情のまま、アレンの横を通り過ぎた。

 アレンが、目を見開いて固まっている。


「……な」


 何か言いかけたようだが、言葉が出てこないらしい。

 俺は心の中で謝った。驚かせてごめんな。俺も毎朝、鏡を見るたびに驚いてるんだ。


 壇上に上がる。

 目の前には、バスケットボールほどの大きさの透明な水晶球。

 試験官の教師が、震える手でそれを指し示した。俺の放つプレッシャーに当てられているらしい。


「て、手を……かざしてください」


 俺は頷き、右手を差し出した。


(壊さないようにしなきゃな……)


 この半年で、俺の魔力操作は格段に向上した。

 だが、それ以上に向上してしまったのが「魔力の密度」だ。

 常に高重力の負荷をかけ続けた結果、俺の魔力は極限まで圧縮され、重く、硬くなっている。

 普通の魔力が「水」だとするなら、俺の魔力は「水銀」のようなものだ。


 そっと、優しく。

 俺は赤子を撫でるように、水晶に指先を触れさせた。


 ――ズズッ……。


 光らなかった。

 アレンの時のように、輝くことはなかった。


 代わりに、水晶の中心に「黒い点」が生まれた。

 それは瞬く間に広がり、水晶の透明度を奪っていく。

 光を放っているのではない。

 周囲の光を、吸い込んでいるのだ。


「な、なんだ……?」

「水晶が、黒く……?」


 教師が身を乗り出す。

 俺は焦った。あれ? 光るはずなんだけど。なんで黒くなるの?

 やばい、魔力を流しすぎたか? ちょっと引くか?


 そう思った瞬間だった。


 ミシッ。


 嫌な音がした。

 水晶の表面に、亀裂が走る。


「あっ」


 声が出た時には、もう遅かった。

 俺の指先から流れる超高密度の重力魔力が、水晶という物質の許容量を超えていたのだ。

 内側から発生した局所的な重力崩壊。


 ――パァァァンッ!!


 水晶が、弾け飛んだ。

 いや、破片すら飛び散らなかった。

 砕け散った破片は、空中に静止し、そのまま中心の一点へと吸い込まれるように収束し――そして、砂のような粉末となってサラサラと床に落ちた。


 完全な、沈黙。

 会場にいる全員が、息を呑んでいた。


 魔力測定水晶は、国宝級のアーティファクトだ。ドラゴンが踏んでも壊れないと言われる硬度を誇る。

 それが、触れた瞬間に、砂になった。


「そ、測定……不能……」


 教師が、枯れた声で呟いた。

 その顔色は真っ青だ。


「魔力量の限界突破……いや、魔力の『質』が違いすぎる……。水晶が、その重圧に耐えきれなかったというのか……!?」


 会場がパニックになる一歩手前の静けさに包まれる。

 俺は、床に散らばった高い砂を見つめ、青ざめていた。


(やった……これ、弁償か? 公爵家の小遣い三ヶ月分くらいで足りるか? 父上に殺される……!)


 内心は涙目だ。

 だが、ここで「ごめんなさい」と謝るのは、悪役貴族のキャラじゃない。

 俺は震えそうになる手を握りしめ、フンと鼻を鳴らした。


「……脆いな。これが最高級品とは、笑わせる」


 強がりを言った。

 ただの強がりだ。

 しかし、その言葉は会場に稲妻のように走った。


「も、脆いだって……!?」

「アレを壊しておいて、一言目がそれかよ……!」

「なんて傲慢……だが、圧倒的だ……」


 恐怖、畏怖、そして一部の生徒からは熱狂的な視線すら感じる。

 俺は逃げるように踵を返し、壇上を降りた。

 早く席に戻りたい。そして小さくなっていたい。


 だが、通路の真ん中で、一人の男が立ち塞がった。

 アレンだ。

 拳を握りしめ、俺を睨みつけている。その表情には、混乱と、本能的な警戒心が混ざり合っていた。


「待て」


 アレンが低い声で言った。


「貴様……本当に、バルトロス・フォン・ガルガンチュアなのか?」


 原作イベントだ。

 本来なら、ここで「豚の分際で」と罵られるはずだったシーン。

 だが今のアレンの目には、侮蔑はない。あるのは、理解を超えた強者に対する、戦士としての問いかけだ。


 俺は立ち止まった。

 ここで無視して通り過ぎることもできる。

 でも、アレンの手が剣の柄(儀礼用の模造剣だが)にかかっているのが見えた。無視したら斬りかかってくるかもしれない。あの直情型主人公ならやりかねない。


 俺はゆっくりとアレンを見下ろした。

 身長差は十センチほど。今の俺の方が高い。


「……だったら、どうする?」


 俺は精一杯の虚勢を張って、冷たく言い放った。

 心臓は早鐘を打っている。

 (やめてくれ、喧嘩売らないでくれ、俺は平和に暮らしたいんだ)


 アレンが息を呑む。

 俺の周囲に漂う重力の余波が、彼の肌をチリチリと刺しているのだろう。

 アレンの横にいた聖女セシリアが、青い顔でアレンの袖を引いた。


「アレン、駄目よ……下がって。この人の魔力、異質すぎる……関わっちゃ駄目……!」


 優秀な聖女様は、俺の危険性をいち早く察知したらしい。ありがとうセシリア、その通りだ。関わらないのが一番だ。


 だが、アレンは引かなかった。

 むしろ、その瞳に闘志の炎が宿るのが見えた。


「……僕の知っているバルトロスは、腐った性根が姿形に表れている男だった。だが、お前は違う」


 アレンが一歩、踏み出してくる。


「お前が何者でも構わない。だが、その力で誰かを傷つけるつもりなら――僕が許さない」


 ああ、なんてことだ。

 俺が痩せて強くなったせいで、アレンの「正義感」と「対抗心」に、原作以上の火をつけてしまったらしい。


 バチバチと火花が散る(ように見える)視線の交錯。

 全校生徒が固唾を呑んで見守る中、俺たちの「入学式」は、最悪の形で幕を開けようとしていた。

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