第2話 初めての血と咆哮



 第三管理区画のダンジョンは、

地下へと続く

コンクリート階段から始まる。


 元は地下駐車場だったらしい。

天井は低く、

壁には崩れかけた番号表示が

今も残っている。


 だが、

階段を十段ほど下りたあたりで、

空気が変わった。


 冷たい。

湿っている。

そして――重い。


「……空気が違う」


 荒神龍斗は、

小さく呟いた。


 背中に背負った

安価な探索者用バックが、

やけに重く感じる。


 手に握るのは、

ギルド支給の短剣。

刃渡り二十センチほどの、

初心者向け装備だ。


 心臓の音が、

耳の奥でうるさい。


「落ち着け……」


 龍斗は、

深く息を吸い、

ゆっくり吐いた。


 このダンジョンは

初心者向け。

魔物も弱い。


 そう、

説明では聞いている。


 だが――。


     ◆


 角を曲がった瞬間だった。


 ガリッ、

という音がした。


 床を引っ掻くような、

不快な音。


 次の瞬間、

暗闇の奥から

赤い光が二つ浮かび上がる。


「……っ!」


 反射的に、

龍斗は構えた。


 現れたのは、

犬ほどの大きさの魔物。


 肌は灰色。

背中には硬そうな

骨の突起。

口からは

粘ついた唾液が垂れている。


 ――グロウルラット。


 大型化した

肉食ネズミ型魔物。


 噛む力が強く、

集団で襲うことで知られる。


 知識はある。

だが――

実物は、

想像よりずっと生々しかった。


「キィィ……!」


 甲高い鳴き声。


 次の瞬間、

グロウルラットは

床を蹴った。


 速い。


「っ――!」


 龍斗は、

横に飛んだ。


 牙が空を切る。

だが、

完全には避けきれない。


 腕に、

鋭い痛み。


「くっ……!」


 袖が裂け、

血がにじむ。


 恐怖が、

一気にせり上がった。


 ――死ぬ。


 脳裏に、

その言葉が浮かぶ。


 だが同時に、

胸の奥が

ぎゅっと締め付けられた。


 この感覚。


 嫌悪ではない。

恐怖でもない。


 ――怒りだ。


「……来い」


 龍斗の声は、

自分でも驚くほど

低かった。


 グロウルラットが

再び跳ぶ。


 今度は正面。


 龍斗は、

一歩踏み込み、

短剣を突き出した。


 狙いは、

喉。


 刃が、

柔らかい部分を

貫いた。


「ギィ……ッ!」


 魔物の悲鳴。


 生暖かい感触が

手に伝わる。


 龍斗は、

反射的に

刃を引き抜いた。


 グロウルラットは、

床に倒れ、

痙攣し、

やがて動かなくなる。


 静寂。


 荒い呼吸だけが、

響いた。


     ◆


「……倒した」


 そう呟いて、

龍斗は膝に手をついた。


 手が震えている。


 人ではない。

だが――

確かに、

生き物を殺した。


 胃の奥が、

ひっくり返りそうになる。


 だが、

それ以上に強い感覚があった。


 ――違和感。


 戦っている最中、

体が軽かった。


 視界が、

異様に澄んでいた。


 まるで、

何度も経験してきたかのように。


「……気のせいか」


 龍斗は、

自分に言い聞かせる。


 だが、

その時だった。


 背後。


 空気が、

ざわりと揺れた。


「――っ!」


 振り向く。


 そこには、

さらに二体の

グロウルラット。


 囲まれている。


 逃げ場はない。


 心臓が、

強く打つ。


 だが、

恐怖は先ほどほど

強くなかった。


 代わりに――

胸の奥で、

何かが

目を覚まそうとしている。


「……俺は」


 龍斗は、

短剣を握り直す。


「――負けない」


 その瞬間。


 視界の端で、

一瞬だけ

青白い光が揺れた。


 空気が、

軋む。


 魔物たちが、

怯えたように

足を止める。


 理由は、

龍斗自身にも

わからない。


 ただ、

確信だけがあった。


 ――この場所は、

怖くない。


 竜神の記憶は、

まだ眠っている。


 だが、

戦いの本能は、

確かに目覚め始めていた。


 少年の初ダンジョンは、

まだ終わらない。

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