第2話

「ん、うぅ……」


重たい瞼(まぶた)を開けると、そこには見慣れない天井……ではなく、ダンジョンの無機質な石壁があった。


「あれ? 私、生きてる?」


身体を起こし、自分の手足を確認する。

痛みはない。

アバターの欠損も、装備のロストもしていない。

HPバーはミリ単位で残っているが、無事だ。


「え、なんで? 私、さっきエンシェント・レッドドラゴンに焼かれそうになって……」


記憶を手繰り寄せながら、恐る恐る周囲を見渡す。


「――え?」


そこには、何もなかった。

いや、正確には「ありすぎた」。


広大なボス部屋の床が、まるで鏡のようにツルツルに磨き上げられていたのだ。

障害物一つない。瓦礫一つ落ちていない。

あの巨大なドラゴンの姿も、影も形もない。


あるのは、異様なほどに整地された、広大な平面だけ。


「夢……? それとも運営さんがバグで緊急メンテしたの?」


私は呆然と呟いた。

そうとしか考えられない。あの絶望的な状況から助かるなんて、システム的な介入以外ありえないんだから。


ふと、宙に浮いている半透明のウィンドウが目に入る。

私の配信管理パネルだ。


「……えっ」


『LIVE』の赤い文字が、点滅している。


「あ、あわわわわっ! 配信! 切り忘れてたぁっ!?」


顔面蒼白になりながら、慌ててコメント欄を確認する。

そこには、信じられない光景が広がっていた。


『起きたwww』

『おはよう伝説の目撃者』

『おいキララ、今の見たか!?』

『アーカイブ見直せ! とんでもないことになってるぞ!』

『あの作業員何者!?』

『リフォーム(物理)』

『運営スタッフ最強説』


文字が、読めない。

コメントの流れが速すぎて、滝のように流れていく。

普段の同接(同時接続者数)の比じゃない。桁が一つ、いや二つ違う気がする。


「な、なになに!? 何が起きてるの!?」


わけがわからないまま、私はパニック状態で配信停止ボタンを連打した。


「ご、ごめんなさい! とりあえず今日はこれで終わります! お疲れ様でしたぁっ!」


プツン。

配信を切断し、私はその場にへたり込んだ。


「……いったい、私が寝てる間に何があったのよぉ……」


        ◇


翌朝。


俺、匠(タクミ)はいつも通り、定時に事務所へと出社した。

IDカードをかざしてゲートをくぐる。


「おはようございまーす」


挨拶をしてオフィスエリアに入った瞬間、違和感を覚えた。


静かだ。

いや、静かすぎる。

いつもなら朝の準備でバタバタしているスタッフたちが、一斉に動きを止めてこちらを見ている気がする。


(ん? なんだ?)


俺は自分の作業着を確認した。

チャックは閉まっている。ヘルメットも被っていない(今は室内だ)。

顔に歯磨き粉でもついているだろうか。


すれ違った若手の編集スタッフが、俺を見てヒソヒソと隣の同僚に耳打ちしている。


「おい、彼だよな……?」

「ああ、昨日の動画の……」

「マジで実在したんだ……」


動画?

なんのことだ?


俺は首を傾げながら、自分のデスクに向かった。

昨日の『奈落の古城』での清掃作業、何か不手際があっただろうか。

あの赤い突起物(ドラゴン)の撤去作業、ちゃんと分別して捨てたはずだが……もしかして、可燃ゴミじゃなかったのか?


「参ったな。始末書は勘弁してほしいんだが」


コーヒーを淹れようと席を立った、その時だ。


「タクミさぁぁぁぁぁぁぁんっ!!」


オフィス中に響き渡る声と共に、一人の少女が猛ダッシュで突っ込んできた。

星乃キララちゃんだ。

昨日の今日で、随分と元気そうじゃないか。


「おはよう、キララちゃん。昨日はよく眠れてたね」

「寝てる場合じゃなかったんですよぉっ!! これ! これ見てくださいっ!」


彼女は息を切らしながら、自分のスマホを俺の目の前に突きつけた。

画面には、動画サイトのランキングが表示されている。


**総合ランキング1位(急上昇)**

**【神回】放送事故で映り込んだ「謎の作業員」、伝説のドラゴンをワンパンで粉砕するwww【切り抜き】**


再生数は既に数百万回を超えていた。


「すごいね。最近のCG技術は発達してるなぁ」

「他人事みたいに言わないでください! これ、どう見てもタクミさんですよね!?」


キララちゃんが再生ボタンを押す。

画面の中、ブレスを吐こうとするドラゴンの口を素手で閉じる作業服の男。

……うん、俺だ。

そして、「ここは壁が脆いですね」と言ってハンマーを振り下ろす男。

……間違いなく、俺だ。


「ああ、昨日の現場だね」

「認めましたね!? やっぱりタクミさんだったんだ!」


俺は動画を見ながら、昨日の作業を振り返って頷いた。


「いやぁ、大変だったよ。あそこのエリア、施工管理が杜撰(ずさん)でさ。あんな巨大な突起物が放置されてるし、ガス漏れはひどいし」

「と、突起物……? ガス漏れ……?」


キララちゃんが目を白黒させている。

現場を知らない彼女には伝わりにくいかもしれない。俺は丁寧に説明を加えた。


「ほら、ここ。この赤い出っ張り。壁の強度が全然足りてなかったんだよ。だから、誰かが怪我をする前に均(なら)しておいたんだ」

「へ……?」


キララちゃんは動画の中のドラゴンと、俺の顔を交互に見た。

そして、震える声で問いかけてくる。


「あ、あの……タクミさん? これ、エンシェント・レッドドラゴン……ですよ? 深層のラスボス……ですよ?」


「ドラゴン?」


俺は笑って手を振った。


「まさか。ドラゴンっていうのは、もっとこう、強固な建材で出来てるもんじゃないの? あんな、ちょっと叩いただけで霧散するような『脆い壁』が、ドラゴンのわけないじゃないか」


「…………」


キララちゃんが絶句して固まった。

俺は職人としてのプライドを込めて続ける。


「俺たち裏方の仕事は、演者が輝ける舞台(ステージ)を作ることだ。あんな危ない欠陥住宅(ボス)を放置しておくわけにはいかないからね」


キララちゃんは口をパクパクさせていたが、やがて何かを悟ったようにブツブツと呟き始めた。


「(壁……? あれは壁だったの……? いや、でも私はブレスで死にかけたし……でもタクミさんは素手で止めてたし……ガス漏れって言ってたし……もしかして、私の認識が間違ってた? 最近のドラゴンって、実は壁属性なの……?)」


おや、なんだか混乱させてしまったようだ。

建築用語は難しかったかな。


「ま、とにかく現場は綺麗にしといたから安心してよ。――おっと、そろそろ次の現場(エリア)の見回りに行かないと」


俺は時計を見て、席を立った。

今日は『水没都市ダンジョン』の配管詰まり(クラーケン)を直しに行かなければならない。忙しい一日になりそうだ。


「じゃ、お疲れ様!」


俺は爽やかに挨拶をして、呆然とするキララちゃんを残してオフィスを出て行った。


        ◇


タクミが去った後のオフィス。

混乱の極みにいるキララの背後に、音もなく忍び寄る影があった。


このVTuber事務所の社長であり、敏腕プロデューサーとして知られる女性、神宮寺(じんぐうじ)だ。


彼女は、キララのスマホに映る「ドラゴンを一撃で粉砕するタクミ」の動画を、鋭い眼光で見つめていた。


「……灯台下暗し、とはこのことね」


彼女の眼鏡が、キラリと光る。


「あんな『逸材』を、ただの裏方で終わらせるなんて……配信者(エンターテイナー)の恥だわ」


その口元には、獲物を見つけた肉食獣のような笑みが浮かんでいた。


「彼を逃がしてはダメよ。――次の企画書、書き直しね」


勘違い系最強裏方・タクミ。

彼の平穏な日常が崩れ去るまで、あとわずか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る