第12話:私たちの家

 目が覚めると、部屋は明るかった。

 カーテンの隙間から強烈な陽光が差し込み、床に白い直線を焼き付けている。埃がキラキラと舞っているのが見える。

 壁の時計は正午を回っていた。


「あ……もうこんな時間……」


 アリサは反射的に起き上がろうとした。村での習慣。太陽が昇れば働き、沈めば眠る。こんな時間まで布団の中にいるなんて怠惰の極みだ。

 でも、体が動かない。

 腰に回された腕が重い。


「んん……」


 セリアが寝息を立てている。

 黒髪が白い枕に散らばり、長い睫毛が影を落としている。唇は少し乾燥して、桜色をしている。

 昨夜の記憶が蘇る。

 熱い肌。甘い声。激しい愛撫。

 アリサの顔が沸騰しそうになる。シーツの下、自分の素肌がセリアの素肌と密着している。体温が直接伝わってくる。太ももが触れ合う感触。


 アリサはセリアの寝顔を見つめた。

 戦場での鬼神のような姿はない。ただの、一人の女性。

 愛おしい。胸が締め付けられるように痛い。

 指先でそっと、セリアの頬に触れる。柔らかい。


「……見てるな」


 セリアが薄く目を開けた。青い瞳。寝起きで少し潤んでいる。

「あ……ごめんなさい……」

「謝るな。……おはよう、アリサ」

 セリアが腕に力を込め、アリサを引き寄せる。

 額にキス。

「おはようございます……セリアさん」


 セリアが体を起こす。シーツが滑り落ち、白い裸身が露わになる。鎖骨のくぼみ。胸の曲線。昨夜つけられた赤いキスマーク。

 アリサは慌てて目を逸らした。まだ慣れない。

 セリアがクスクスと笑いながら寝間着を羽織る。


「ミオとルナは起きてるか?」

「多分……まだ静かです」


 隣の部屋のドアをノックする。返事がない。

 そっと開ける。

 ベッドの上で、二人が丸まって眠っていた。ミオがルナのお腹に顔を埋め、ルナがミオの頭を抱いている。子犬のようだ。

 部屋には甘い体臭が籠もっている。


「起こすのは野暮だな」

 セリアが扉を閉める。


 リビングに戻り、窓を全開にする。

 風が吹き込む。街の喧騒。馬車の車輪が石畳を削る音。商人の大声。肉を焼く匂い。

 生きてる。

 平和だ。


「昨日まで、泥水を啜って戦ってたのが嘘みたいだ」

 セリアが窓枠に手をつく。

「本当に……」


 アリサも隣に立つ。

 眼下には王都の日常。誰も、自分たちが世界の深淵を見てきたことなど知らない。

 セリアがアリサの手を握る。指を絡める。

 掌が汗ばんでいる。生きている熱。


 やがて隣室から物音がした。

 ドタン、という音と共にドアが開く。

「おはよぉ……」

 ミオが幽霊のような足取りで出てきた。髪が爆発している。

「よく寝た?」

「うん……ベッドが雲みたいだった……」

 ルナも目を擦りながら出てくる。

「おはようございます……夢も見ずに泥のように……」


「飯にしよう。ホテルのレストランだ。着替えてこい」

 セリアが号令をかける。


     *


 一階のレストランは、ランチタイムの活気に満ちていた。

 高い天井。磨かれた床。給仕たちが銀のトレイを持って滑るように歩いている。

 案内されたのはテラス席。陽光が眩しい。


 ビュッフェ形式だった。

 長いテーブルに、山のような料理が並んでいる。

 焼きたてのパンの香り。バターと小麦の匂い。

 厚切りのベーコン。ハーブを効かせたソーセージ。

 新鮮な野菜のサラダ。色とりどりのフルーツ。

 チーズの塊。濃厚なスープ。


 アリサは皿を持って立ち尽くした。

 どれを取ればいいのか分からない。村では芋と麦しかなかった。選択肢が多すぎて脳が処理落ちする。

「全部取ればいい。金はある」

 セリアが笑いながら、自分の皿に肉を積み上げていく。


 アリサも真似をして取る。

 クロワッサン。オムレツ。サーモンのマリネ。ローストビーフ。

 テーブルに戻り、食べる。

 クロワッサンを噛む。サクッという音。バターの風味が口いっぱいに広がる。

 オムレツは半熟で、トロリとした卵液が舌に絡む。

「んん……っ」

 美味しすぎて眉間が寄る。

「幸せ……」

 ミオが口の周りをソースだらけにして笑う。


 一通り腹を満たし、食後の紅茶を飲んでいる時だった。

 セリアがカップを置き、居住まいを正した。


「みんな、聞いてくれ。提案がある」

「なに?」

 ミオがフルーツを頬張りながら聞く。


「私たち、ずっと宿暮らしだろ。金もあることだし、いっそ家を買わないか?」


 カチャリ。

 ルナがスプーンを取り落とした。

 ミオが固まる。


「家……?」

 アリサが復唱する。

「ああ。拠点だ。私たちの城だ」

 セリアの目が真剣だ。


「でも……家なんて……」

「高いな、普通は。だが、今の私たちは違う」

 セリアが指を折る。

「一人当たり、金貨三千枚以上の資産がある。合わせれば金貨一万二千枚。一軒家が何軒か買える」


 金貨三千枚。

 改めて数字を突きつけられ、アリサは眩暈がした。金貨三十枚で、村の家族が半年暮らせる。それが三千枚。


「宿だと不便だ。訓練もできない。装備の保管も不安だ。壁が薄くて……夜の声も気になるだろ?」

 セリアがチラリとアリサを見る。アリサは顔から火が出るかと思った。昨夜の声。筒抜けだったかもしれない。


「それに……」

 セリアの表情が和らぐ。

「帰る場所が欲しい。ダンジョンから戻って、『ただいま』と言える場所が」


 帰る場所。

 その言葉の響きに、アリサの胸が熱くなった。

 ずっと根無し草だった。命のやり取りをして、宿で泥のように眠る日々。

 安心できる場所。家族の場所。


「私は……賛成です」

 アリサが手を挙げる。

「僕も! 自分の部屋、欲しい!」

 ミオが身を乗り出す。

「私も……みんなと暮らせるなら」

 ルナも微笑む。


「決まりだ。善は急げだ。今から行くぞ」

 セリアが立ち上がる。行動が早い。


     *


 商業区にある『ロイヤル不動産』。

 三階建ての立派な石造りの建物。ショーウィンドウには物件情報の紙が貼られている。

 『金貨五百枚・庭付き一戸建て』

 『金貨六千枚・貴族街の邸宅』

 桁が違う。一般庶民には縁のない店だ。


 扉を開けると、冷房の効いた涼しい空気が流れてきた。

 床は絨毯敷き。革張りのソファ。

「いらっしゃいませ」

 品の良さそうな中年の男性が出てきた。店長のマルコだ。柔和な笑顔だが、目は客の懐具合を値踏みしている。

 見窄らしい平民の服を着た四人を見て、一瞬眉をひそめた。

 だが、セリアがカウンターに置いたギルドカードを見て、表情が一変した。

 Cランク。そしてBランクの輝き。


「これは……失礼いたしました! どうぞ奥の応接室へ!」

 腰の角度が直角になる。


 応接室に通され、最高級の紅茶が出される。

「どのような物件をお探しで?」

「四人で住む。金貨六千枚までなら出せる」

 セリアが単刀直入に言う。


 マルコが噎せた。

「ろ、六千枚……!?」

「ああ。条件は、広いこと。部屋数が十分あること。そして訓練できる庭があることだ。セキュリティも重要だ」


 マルコの目が『金貨』の形になった。

「かしこまりました。お客様のご予算なら、王都でも指折りの物件をご紹介できます」


 マルコが地図を広げる。

 貴族街、商業区、職人街。

「お勧めはここです。貴族街の外れ。元伯爵の別荘地。治安は最高、静粛で、買い物にも便利です」


「見に行こう。すぐに」


     *


 用意された豪華な馬車に揺られること二十分。

 石畳の並木道。静かな住宅街。

 馬車が止まった。


「こちらです」


 四人は馬車を降り、見上げた。

 息を飲む。


 白亜の二階建て。

 青い屋根瓦が陽光を弾いている。

 蔦の絡まる鉄柵の向こうに、手入れされた前庭。色とりどりの花が咲き乱れている。

 家の横には広大な芝生の庭が広がり、奥には樹齢百年はありそうな巨大なオークの木が木陰を作っている。


「すごい……」

 アリサが呟く。おとぎ話に出てくるような家だ。


「築三十年ですが、最高級の建材を使っています。魔法による補強済み。地下室あり。結界石による防犯システム完備です」

 マルコが説明する。


 中に入る。

 玄関ホールは吹き抜け。磨き上げられた木の床。

 一階には広大なリビング。暖炉がある。ダイニングキッチンは十人が一度に料理できそうな広さ。

 大きな窓から光が溢れている。明るい。暖かい。


 二階へ上がる。

 個室が四つ。それぞれの部屋にバスルームがついている。

「ここ、私の部屋!」

 ミオが南向きの部屋に飛び込む。

「私はこっちがいい」

 ルナが東向きの部屋を選ぶ。

「私はここだな」

 セリアが西向きの部屋を選ぶ。


 アリサは北向きの部屋に入った。

 窓から、庭のオークの木が見える。静かで、落ち着く部屋。

 木の匂いがする。

 ここが、私の部屋。


 庭に出る。

 芝生の感触。土の匂い。

 広い。魔法の訓練も、模擬戦も、何でもできる。

 オークの木の下にベンチがある。


 四人はベンチに座った。

 風が吹く。葉擦れの音。小鳥のさえずり。

 ここには、ダンジョンの湿気も、血の臭いもない。


「どうだ?」

 セリアが聞く。

「ここがいい」

 即答だった。全員の意見が一致した。


「買います」

 セリアがマルコに告げる。

「ありがとうございます! では、手続きを……」


     *


 手続きは迅速だった。

 ギルドへ行き、金貨の送金手続きをする。

 金貨六千枚。

 書類上の数字が移動するだけだが、その重みは凄まじい。

 だが、今の四人には「家」という形あるものの方が価値がある。


 鍵を受け取る。

 真鍮製の重たい鍵。

 セリアがそれをアリサに渡した。

「開けてみろ」

「私が……?」

「ああ。一番頑張ったのはアリサだ」


 アリサの手が震える。

 鍵穴に差し込む。カチャリという硬質な音。

 ノブを回す。

 扉が開く。


「ただいま」

 誰にともなく言う。

「おかえり」

 三人が笑って答える。


 家に入ると、ガランとしている。家具がないからだ。

「家具がないと住めないな」

 セリアが笑う。

「買いに行こう! 今すぐ!」

 ミオが跳ねる。


 そこからは怒涛の買い物だった。

 高級家具店へ行き、片っ端から注文する。

 ベッド。最高級の羽毛布団。沈み込むようなマットレス。

 革張りの大きなソファ。

 六人掛けのダイニングテーブル。

 本棚。タンス。クローゼット。

 金に糸目はつけない。

 「これと、これと、あれも。全部配送で」

 店員が卒倒しそうな勢いで買う。合計金貨百枚。


 食器屋へ行く。

 白い磁器の皿。クリスタルのグラス。銀のフォークとナイフ。

 調理器具も一式揃える。

 金貨ニ十枚。


 雑貨屋へ行く。

 カーテン。ラグ。クッション。魔道具のランプ。

 洗剤。石鹸。タオル。

 生活に必要なもの全て。

 金貨十枚。


 散財の快感。

 かつて銅貨一枚を節約していたのが嘘のようだ。

 でも、これは浪費ではない。生活を作るための投資だ。


     *


 翌日から、次々と荷物が届いた。

 空っぽだった家が、急速に色づいていく。

 リビングにソファが置かれる。キッチンに鍋や皿が並ぶ。寝室にベッドが入る。

 殺風景だった空間が、「生活の場」に変わっていく。


 そして六日後。

 すべての準備が整った。


 夕暮れ時。

 四人はキッチンに立っていた。

 初めての夕食作り。

 ルナが指揮を執る。彼女は意外にも料理上手だった。

「セリアは野菜を切って。アリサちゃんはお肉を焼いて。ミオちゃんは……味見係でいいわ」

「えー、私もやるー」


 トントンと包丁がまな板を叩く音。

 ジュウジュウと肉が焼ける音。

 鍋がコトコトと煮える音。

 香ばしい匂いが充満する。ニンニクとバター、そして肉の焼ける匂い。

 幸せの匂い。


「できたわよ」


 ダイニングテーブルに料理が並ぶ。

 野菜たっぷりのスープ。焼きたてのパン。特大のステーキ。サラダ。

 新しい食器が照明を反射して輝いている。


「いただきます」

 四人で手を合わせる。


 食べる。

 うまい。

 レストランの料理も美味しかったが、これは別格だ。

 自分たちの家で、自分たちで作った料理。

 緊張感から解放された味。


「美味しいね……」

 ミオがパンを頬張りながら涙ぐむ。

「ああ……うまい」

 セリアがワインを飲み干す。


 食後、リビングのソファに四人で座った。

 暖炉に火を入れる。パチパチと薪が爆ぜる音。

 オレンジ色の炎が揺れる。

 誰も喋らない。ただ、炎を見ているだけで満たされる。


「明日から、また冒険か」

 セリアが呟く。

「うん。でも……」

 アリサが膝を抱える。

「帰ってくる場所があるって、すごいです。心が……温かい」


 セリアが手を伸ばし、アリサの肩を抱いた。

 ミオが反対側から抱きついてくる。ルナが膝に毛布をかけてくれる。

 四人の体温が一つになる。

 石鹸の匂い。食事の匂い。

 家族の匂い。


 血は繋がっていない。生まれた場所も違う。

 でも、私たちは家族になった。

 死線を越えて、命を預け合って、そして同じ屋根の下で暮らす。


「そろそろ寝るか」

 セリアが立ち上がる。

「おやすみ」

「おやすみなさい」


 それぞれの部屋へ向かう。

 アリサは自分の部屋に入った。

 真新しいベッド。まだ糊の効いたシーツの感触。

 窓の外を見る。

 庭のオークの木が、月明かりを浴びて静かに立っている。


 ベッドに潜り込む。ふかふかだ。

 目を閉じる。

 静寂。

 宿のような、隣の部屋の騒音も、廊下を歩く足音もしない。

 あるのは、風の音と、虫の声だけ。


 守られている。

 ここは私の城だ。


 アリサは深い呼吸をした。

 肺の奥まで、新しい家の空気を吸い込む。

 明日もまた、良い日になる。

 そう信じられる夜だった。


 アリサは微笑みを浮かべたまま、深い眠りに落ちていった。

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2026年1月18日 15:00
2026年1月18日 18:00
2026年1月18日 21:00

田舎から来た緑髪チート少女、街のダンジョンで百合ハーレム始めました タルタロス @Tarutarosu11

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