第8話:寄り添う温もり

 四人は部屋に入り扉を閉めた。重い鉄の扉が外界の音を遮断する。

 セリアが扉に剣を立てかけ簡易的なバリケードを作る。金属が擦れる音。


「交代で見張りをする。まず私。みんなは休んでくれ」


 セリアが剣を抱えて扉の前に座り込む。

 ルナとミオは壁に背中を預け、泥のように眠りに落ちた。寝息が聞こえる。疲労困憊だ。


 アリサも壁に背中を預けて座った。硬い石の冷たさが心地いい。

 でも眠れない。体は鉛のように重いが神経が昂っている。瞼を閉じるとガーゴイルの爪が迫ってくる残像が見える。石が砕ける音。血の臭い。


 セリアの横顔を見つめる。松明の光が揺れ、深い影を落としている。疲労の色が濃い。汗で濡れた黒髪が首筋に張り付いている。剣を握る指の関節が白い。


 村にいた時は知らなかった感情。セリアを見ていると胸の奥が熱くなる。締め付けられる。守りたい。触れたい。


「アリサ……眠れないのか?」


 セリアが視線に気づきこちらを向いた。


「は、はい……目が冴えてしまって……」

「そうか……」


 セリアの声に張りがない。


「セリアさん……大丈夫ですか?」

「……ああ。問題ない」


 嘘だ。大丈夫な人間の顔じゃない。

 アリサは立ち上がりセリアの隣に座った。肩が触れ合う距離。


「何か……あったんですか?」


 セリアは沈黙した。松明の炎が爆ぜる音だけが響く。

 やがてぽつりと呟いた。


「私……リーダー失格かもしれない」


 アリサは息を飲んだ。


「あんたがいなかったら全滅してた。私は……助けられてばかりだ。デスナイトに襲われた時も……体が動かなかった」


 セリアの声が震えている。膝の上で握りしめた拳が白い。


「リーダーなのに……みんなを危険に晒して……守れない……」


 あの強く気高いセリアが震えている。弱音を吐いている。

 アリサは衝動的にセリアの手に自分の手を重ねた。冷たい手。


「セリアさん……」


 セリアが顔を上げる。瞳が揺れている。


「私……セリアさんの指示があったから動けました。セリアさんがいなかったらパニックになって死んでました」

「でも……」

アリサはセリアの手を強く握った。


「セリアさんがいてくれるから、私は安心して斧を振るえるんです」


 セリアがアリサを見た。瞳に微かな光が戻る。


「ありがとう、アリサ……」


 セリアが小さく微笑む。儚げな笑み。


「私……あんたに出会えてよかった」


 その笑顔を見てアリサの心臓が跳ねた。ドクンと大きな音がした。

 こんな気持ちは初めてだ。


「セリアさん……あの、よかったら……少し話しませんか?」

「……ああ。いいよ」


 アリサはセリアの手を握ったまま座り直した。セリアの手が温かくなってきた。少し汗ばんでいる。戦闘の緊張がまだ残っているんだ。


「セリアさん……冒険者になったきっかけって、何ですか?」


 セリアが遠い目をした。


「私……昔は貴族の家に仕えていたんだ。メイドとして」

「メイド……?」

「ああ。でも……クソみたいな主人でね。……逃げ出したんだ。それで冒険者になった」


 セリアの声が低くなる。


「そうだったんですね……」

「だから……強くなりたい。もう二度と誰にも支配されないように。自分の力で生きていけるように」


 セリアが拳を握りしめる。


「でも……まだまだ足りない。もっと強くならないと……」


 アリサはセリアの手を両手で包み込んだ。セリアが顔を上げる。


「セリアさんは十分強いです。私が憧れるくらい……」


 言ってしまってから顔が熱くなる。


「憧れ……?」

「あ、えっと……その……戦い方が、かっこよくて……」


 視線を逸らせない。セリアの深い青色の瞳に吸い込まれそうになる。


 セリアが小さく笑う。


「ありがとう。でも……私はまだまだだ」


 アリサは無意識に体を寄せていた。肩と肩が密着する。セリアの体温。柔らかさ。石鹸と汗の混じった匂い。心臓がうるさい。


「アリサ……?」

「あ……ごめんなさい……」


 離れようとするアリサの手をセリアが握り返した。強い力で。


「このまま……少し……いい?」


 セリアの声が甘く震えている。


「はい……」


 二人は肩を寄せ合ったまま座っていた。セリアの髪がアリサの頬をくすぐる。甘い香り。胸が満たされていく。


「アリサ……あんたがいてくれて……本当によかった」

「私も……セリアさんに会えてよかったです……」


 セリアが顔を向けた。距離が近い。吐息がかかる距離。


「アリサ……あんたは……」


 セリアが言い淀む。視線が彷徨う。


「セリアさん……?」


 アリサはセリアの肩に頭を預けた。自然な動作。セリアの肩がビクリと跳ねたが、すぐに力を抜いて受け入れてくれた。


「アリサ……」

「はい……」

「あんたは……私のこと、どう思ってる?」


 セリアの声が震えている。問いかける声に熱がこもっている。


 アリサは少し考えてから、心にある言葉をそのまま口にした。


「セリアさんのこと……ずっと見てしまいます。一緒にいると胸が苦しくなって……守りたいって思うし、触れたいって思います」


 セリアの目が見開かれる。


「それって……」

「私……よく分からないんです。でも……セリアさんが好きです」


 言ってしまった。心臓が破裂しそうだ。

 セリアの顔が真っ赤になる。松明の光でも分かるくらい。


「アリサ……私も……あんたが……」


 セリアが言葉を詰まらせる。


「セリアさん……?」

「私も……あんたが好きだ」


 セリアが小さく呟いた。

 次の瞬間、セリアがアリサを抱きしめた。強い力で。


「こんな気持ち……初めてなんだ……誰かをこんなに……」


 セリアの声が震えている。涙声だ。

 アリサもセリアを抱きしめ返す。背中に手を回す。革鎧越しの温もり。硬さと柔らかさ。


「私も……初めてです……」


 二人はしばらく抱き合っていた。セリアの心臓の音が聞こえる。速い。自分と同じリズム。

 セリアの手がアリサの髪を撫でる。指が髪を梳く感触。心地いい。


「アリサ……」


 セリアが囁く。顔を上げる。セリアの顔がすぐ目の前にある。唇が触れそうなくらい近い。吐息が熱い。


「私……あんたに触れていいか……」


 震える声。アリサは頷いた。言葉が出ない。

 セリアの手が頬に触れる。ザラついた指先。熱い。

 指が唇をなぞる。ゆっくりと。輪郭を確かめるように。

 アリサの体が震える。


「綺麗だ……」


 セリアが囁く。

 セリアの顔が近づく。目を閉じる。

 唇が触れた。

 柔らかい。温かい。少し乾燥した感触。

 セリアの唇がアリサの唇を啄む。優しいキス。


 セリアが少し離れる。二人とも息が荒い。顔が熱い。


「ごめん……つい……」

「いえ……私も……嬉しいです……」


 セリアが再び抱きしめる。今度はもっと強く。体が密着する。胸の膨らみが押し付けられる。

 セリアの首筋に顔を埋める。匂いを吸い込む。汗と石鹸と女の匂い。脳が痺れる。


「アリサ……」


 セリアの声が甘く濡れている。


「もう一度……いいか……」


 アリサは頷いた。


 再び唇が重なる。今度は深い。セリアの舌がアリサの唇を割り入ってくる。

 アリサが口を開く。セリアの舌が侵入してくる。絡み合う。唾液の味。熱い。

 頭が真っ白になる。背筋に電流が走る。


 セリアの腕が背中を強く抱きしめる。骨がきしむほど強く。

 キスは長く続いた。貪るように。互いの存在を確かめるように。


 唇が離れる。銀色の糸が引く。

 二人とも肩で息をしている。


「アリサ……好きだ……」

「私も……セリアさんが好きです……」


 セリアが額を押し付けてくる。熱い。


「ダンジョンから帰ったら……もっと……ね……」


 セリアが囁く。甘い約束。


 アリサは頷いた。顔が沸騰しそうだ。


「少し眠れ。私が見張ってる」

「でも……」

「大丈夫だ。このまま……眠っていい」


 セリアがアリサの頭を肩に乗せた。髪を撫でる。


「おやすみ、アリサ」

「おやすみなさい……セリアさん……」


 アリサは目を閉じた。セリアの体温と匂いに包まれて。

 唇に残る感触。

 ここは死地だ。でも今、世界で一番安心できる場所だった。

 アリサは深い眠りに落ちた。


     *


 目が覚めると静寂だった。

 ミオが見張りをしている。セリアとルナは眠っている。


「おはようアリサちゃん」

 ミオが小声で言う。


「おはようございます……」

 体が軽い。疲労が抜けている。


 やがて二人も目を覚ました。セリアと目が合う。昨夜のことを思い出して頬が熱くなる。セリアも少し顔を赤くして微笑んだ。

 それだけで胸がいっぱいになる。


「よし。出発するわよ」


 セリアが立ち上がった。リーダーの顔に戻っている。


 四人は部屋を出て通路を進んだ。慎重に。

 広い空間に出る。床には複雑な魔法陣が描かれている。

 セリアが足を踏み入れた瞬間、魔法陣が赤く発光した。


「罠だ! 下がれ!」


 セリアの叫び声と同時に炎が噴き出した。火柱が天井まで届く。熱波。

 四人は咄嗟に後退した。炎が石壁を焦がす。


「魔法の罠……厄介だな」


 セリアが舌打ちする。壁沿いに慎重に進む。


 通路を抜けると前方から足音がした。

 重い金属音。


「隠れろ」


 物陰に身を潜める。

 三体のデスナイトが通り過ぎていく。死神の行進。

 息を殺してやり過ごす。


 やがて前方に巨大な広間が見えた。

 そこにいたのは悪夢だった。

 キマイラ。

 全長五メートル。ライオンの体に山羊の頭が生え、尻尾は毒蛇。

 金色の毛皮。ねじれた角。毒牙を剥き出しにした蛇。


 キマイラが四人に気づき咆哮を上げた。

 空気がビリビリと震える。

 通路を塞いでいる。逃げ道はない。


「戦闘態勢! アリサ、セリア前衛! ミオ後方支援! ルナ回復!」


 セリアが叫ぶ。

 キマイラが突進してくる。地響き。速い。

 アリサとセリアが左右に散開する。キマイラが壁に激突し石が砕け散る。


 ライオンの口から炎が吐き出された。火炎放射。


「柱の影に!」


 四人は柱の影に滑り込む。炎が柱を舐める。熱い。

 山羊の頭が角を振り下ろす。アリサは転がって避けた。角が地面をえぐる。

 蛇の尾がセリアに襲いかかる。鞭のようなしなり。


「ファイアボルト!」


 ミオの魔法が蛇の頭に命中する。蛇が悲鳴を上げる。

 その隙にアリサはキマイラの前足に斧を叩き込んだ。


 ガキッ!


 硬い。筋肉の塊。

 セリアは反対側の前足に剣を突き刺す。

 キマイラが暴れる。前足を振り上げる。

 二人は同時に飛び退いた。


「もう一度!」


 再び前足を狙う。

 ミオの魔法がライオンの顔面に炸裂する。目くらまし。

 アリサはキマイラの背中に飛びついた。山羊の角を掴む。熱い毛皮。獣臭い。

 山羊の首に斧を叩き込む。


 ザシュッ!


 肉を斬る感触。鮮血が噴き出す。

 セリアはライオンの首に剣を突き刺す。


 キマイラが狂ったように咆哮する。蛇の尾がアリサに巻きつこうとする。

 アリサは跳び降りながら斧で蛇を叩き斬った。


 キマイラが再び炎を吐く。アリサとセリアは転がって避ける。髪が焦げる。


「セリアさんが後ろ足を! 私は前足を!」

「了解!」


 セリアが後ろ足のアキレス腱を狙う。

 アリサは前足の傷口に斧を叩き込む。何度も。何度も。

 骨が砕ける音。前足が崩れる。


 だが山羊の頭がまだ生きていた。

 死角から角が迫る。

 避けきれない。


 ドスッ。


 角がアリサの脇腹を突き刺した。

 熱い衝撃。肉が裂ける音。血が噴き出す。

 激痛で目の前が真っ白になる。


「アリサ!」

「ヒール!」


 ルナの悲痛な叫び。光が傷口を包む。痛みが引いていく。


 キマイラがバランスを崩し倒れる。

 今だ。

 アリサとセリアが同時にライオンの首にトドメを刺す。


 ザシュッ! ズブリ!


 斧と剣が深く突き刺さる。

 キマイラが断末魔の叫びを上げ、痙攣し、動かなくなった。


 終わった。

 荒い息。血の臭い。


 セリアがキマイラの死体に近づく。

 胸から紫色に輝く巨大な魔石が浮かび上がった。大人の拳より大きい。

 禍々しい紫の光。


「キマイラの魔石……こんな大きいの初めて見た」


 セリアが魔石を袋に入れる。


「先を急ごう」


 四人は通路を進んだ。


 やがて前方に巨大な扉が現れた。

 高さ十メートル。石の扉。複雑な紋様が金色に輝いている。青白い光の粒子が渦巻いている。

 圧倒的な威圧感。


「あれは……!」


 セリアが息を飲んだ。


「ボス部屋……!」


 ミオが叫ぶ。


「ボス部屋はランダムに出現する……中には強力な魔物がいて、倒せば宝箱と……帰還のポータルが現れる」


 セリアの説明。


「帰還のポータル……?」

「ああ。一階層の入口まで一瞬で戻れる魔法陣……でもボスを倒さないと現れない」


 四人は顔を見合わせた。


「つまり……倒せば、すぐ帰れるってこと?」

「ああ。でも……ボスは強力だ。Bランク以上……私たちDランクじゃ……」


 セリアの声が震える。


 アリサは扉を見上げた。

 帰りたい。みんなと生きて帰りたい。

 アリサは斧を握りしめた。


「私は……戦ってみたいです。ここを倒せば、帰れるんですよね」


 セリアがみんなを見渡す。


「……分かった。でも無理はしない。危ないと思ったら即撤退だ。いいね?」


 ルナが頷く。

「ええ。みんなが行くなら」


 ミオも頷く。

「私も! アリサちゃんがいれば大丈夫!」


 セリアが深呼吸をする。覚悟を決めた目。


「じゃあ……行くぞ!!」


 セリアが扉に手を置く。

 重い音を立てて扉がゆっくりと開いていく。

 その向こうに広がる闇。


 四人は足を踏み入れた。

 最後の戦いが始まる。

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