第3話:初めての宿泊

 ギルドを出ると空はもう藍色に沈んでいた。


 石畳を照らすのは浮遊灯のオレンジ色の光。家路を急ぐ人々の足音と夜の街へ繰り出す冒険者たちの笑い声が混ざり合う。

 アリサは三人の背中を追いかけながら今日起きたことを反芻していた。村を出た。街に着いた。冒険者になった。そして——。


 前を歩くセリアの背中を見る。夕闇に溶けるような黒髪が揺れるたびシャンプーの残り香が鼻をくすぐる。

 隣で跳ねるように歩くミオの無邪気な足取り。ルナの静かで優雅な歩き方。

 すべてが美しくて目が離せない。

 村の男たちには何も感じなかった。石ころと同じだった。でも今は違う。

 視界に入るすべてが刺激的でアリサの神経を撫で回す。


「アリサ。今夜の宿はどうするつもりだ?」


 不意にセリアが振り返った。腕を組み視線を少し逸らしている。


「い、いえ……まだ何も……」

「ならウチに来い。女性専用宿だから男の視線を気にしなくて済む。部屋も四人部屋だ。ベッドが一つ空いてるし……管理もしやすい」

「え、いいんですか!?」


 声が裏返った。

 同じ部屋。同じ空気。寝息が聞こえる距離。


 ミオが嬉しそうにアリサの腕にぶら下がった。


「もちろん! アリサちゃんがいると楽しそうだし! 一緒にご飯食べてお風呂入って寝よー!」

「お、お風呂……!?」


 アリサの心臓が早鐘を打つ。ミオは子供のように笑った。


「うん! ウチの宿のお風呂すっごく広くて気持ちいいんだよ! みんなで入れるし! 泳げるよ!」


 みんなで入る。裸で。隠すものなしで。

 アリサは鼻の奥がツンとするのを感じて手で覆った。


「あらあら……大丈夫? アリサさんお顔が真っ赤よ?」


 ルナが心配そうに顔を覗き込む。その瞳は深い青色。慈愛に満ちているが奥が見えない。


「だ、大丈夫です! ただちょっと……緊張してて……」

「ふふ。リラックスして。私たちもう仲間なんだから。怖がることはないわよ」


 ルナの言葉は丁寧で優しい。だが拒絶を許さない包容力があった。

 セリアは咳払いをした。


「じゃあ行くぞ。腹が減った」


 宿屋街へ向かう道中アリサは何度も深呼吸をした。

 セリアが頻繁に振り返りアリサを確認する。目が合うとパッと逸らされる。


 ミオが手を握ってきた。


「アリサちゃんはぐれちゃダメだよ! 迷子になったら大変だもん!」


 ミオの手は小さくて熱い。子供のように体温が高い。


「あ、ありがとうございます……」


 手を繋いだまま歩く。指が絡む。


 『月影の宿』は女性冒険者御用達の人気宿だった。

 一階の食堂からは肉を焼く香ばしい匂いが漂っている。

 鍵を受け取り二階へ上がる。

 階段を上るたびに木の床が軋む音がした。


「ここが私たちの部屋だ」


 セリアがドアを開けた。

 部屋にはベッドが四つ並んでいる。狭い。

 四人の人間が暮らす生活の密度。

 窓からは街の灯りが差し込み木の床を柔らかく照らしていた。壁にはそれぞれの私物が置かれている。使い込まれた革の手入れ道具。干されたタオル。読みかけの本。

 女性特有の甘い匂いと生活臭が混ざり合っている。


 ミオがベッドにダイブした。


「ふわぁ〜疲れたー! アリサちゃんこっち! ミオの隣使っていいよ!」

「あ、ありがとうございます……!」


 言われるがままにミオの隣のベッドに荷物を置く。腰掛ける。柔らかい。村の藁布団とは違う。体が沈み込むような感覚。

 このベッドで寝る。隣にはミオがいる。向かいにはセリアとルナがいる。


「気に入ったか?」


 セリアが剣を壁に立てかけながら聞いた。


「はい……すごく……」


 アリサが答えるとセリアが口元を手で覆った。隠しているつもりだろうが口角が緩んでいるのが見える。


「まずは飯だ。食堂へ行くぞ。それから風呂に入って寝る」

「はい!」


 一階の食堂は女性客で埋め尽くされていた。高い笑い声。食器の触れ合う音。男がいない空間特有の甘く重い空気が充満している。

 テーブルに座ると女将さんが料理を運んできた。

 大皿に盛られた厚切りのローストポーク。湯気を立てる野菜のスープ。焼きたてのパン。


「わぁ……すごい……」

「遠慮しないで。今日は働いたんだもの。しっかりと栄養を摂てね」


 ルナが優しくパンを勧めてくれる。

 セリアがナイフで肉を切り分けた。肉汁が溢れ出す。それをフォークで刺し口に運ぶ。唇が脂で濡れる。喉が動く。

 アリサはその様子を見つめたまま唾を飲み込んだ。食べる姿さえも色っぽい。


 アリサもパンをちぎってスープに浸す。口に入れる。

 味が濃い。塩気と脂が疲れた体に染み渡る。


「美味しい……! 村のパンよりずっと……」


 ミオがニシシと笑った。


「でしょ? ここの料理最高なんだよね! お肉ちょーだい!」


 ミオがセリアの皿から肉を奪う。フォークを使わず手掴みで口に放り込む。指についたソースを舐め取る。赤い舌先が見えた。


「こらミオ。行儀が悪いぞ」

「いーじゃんいーじゃん! セリアはお肉より野菜好きでしょ?」

「……バランスよく食べろと言ってるんだ」


 セリアはぶっきらぼうに言いながらも自分の肉をさらにミオに分けてやっている。

 ルナが自分の皿から肉を切り分けアリサの皿に乗せた。


「さあアリサさんも。たくさん食べて大きくなってね」

「ありがとうございます……!」


 四人で同じテーブルを囲む。膝と膝が触れ合いそうな距離。

 今日の冒険の話。ミオの失敗談。セリアの的確なツッコミ。ルナの静かな笑い。

 アリサは胸がいっぱいだった。食べ物が喉を通らないくらい幸福で満たされていた。


 食事中ミオが肩にもたれかかってきた。

 満腹になった子供のように甘えている。


「アリサちゃん頼りになるねー。今日の戦闘かっこよかった! 背中広くて安心するー」


 体重がかかる。柔らかい胸の感触と体温。アリサの体温も上がる。

 首筋にミオの髪がかかる。くすぐったい。


「そ、そんな……私なんて……」

「謙遜するな」


 セリアが真面目な顔(眉間に皺を寄せている)で言った。


「あの速度と力は凄かった。……あれならAランク冒険者にだって引けを取らないぞ」


 セリアの視線がアリサの胸元から腰にかけてをいやらしくなく、しかしじっくりと舐めるように観察する。戦士として体を見ている目だが、そこには隠しきれない熱がある。


「……悪くない筋肉の付き方だ。腰のひねりがいい」


 ボソリと呟かれた言葉にアリサの膝が震える。

 褒められた。体を見られた。


「あ、そうだ」


 セリアが言った。


「明日はオフにする。今日は疲れただろ。それにアリサも街に来たばかりだし……少しは観光もしたいだろ」

「休み……ですか?」

「ええ。休息も仕事のうちですわ。無理はいけません」


 ルナが微笑む。


「明日はデートだね! 美味しいお店とか可愛い服屋さんとか行こ!」


 ミオがバンザイをする。脇腹が見えた。


「服……ですか……?」


 アリサは自分の服を見下ろした。さっき買った革装備の下は村のボロ服だ。


「それはいいな。アリサも私服が必要だろう。明日は私が選んでやる」


 セリアが腕を組みふんぞり返った。


「ちゃんとした服を着せないとな。私のパーティの顔なんだから」


 その独占欲の滲む言葉にアリサはまた下腹が熱くなるのを感じた。


 夕食後部屋に戻ったセリアがタオルを手に取った。

 革鎧を脱ぐ音がする。バックルが外れる音。革が擦れる音。

 ラフな部屋着に着替えたセリアの首筋に汗が光っていた。


「じゃあ風呂に行くぞ。汗を流さないと」


 ついに来た。

 心臓が肋骨を蹴り破りそうだ。


「あ、あの……お風呂って、みんなで……?」

「共同浴場だからな。広くて気持ちいいぞ」


 セリアは平然と言っているが耳の先が赤い。


「お風呂お風呂〜! アリサちゃんの裸楽しみー!」

「ミオ。はしたないですよ。でも……ふふ、楽しみですわね」


 ルナがおっとりと笑う。

 アリサは顔を真っ赤にして頷くしかなかった。


 浴場は宿の裏手にあった。

 重い木の扉を開けるとむせ返るような湯気。石造りの広い浴槽。壁には青いタイル。

 幸運にも貸切だった。

 天井が高い。水音が反響する。


 脱衣所で服を脱ぐ。

 手が震えてボタンが外せない。もたつくアリサの横でミオがあっという間に裸になった。

 白い肌。小ぶりだが形のいい胸。くびれた腰。

 恥じらいもなくタオル一枚で浴場へ駆けていく。


「わーい! 一番乗りー!」


 アリサはやっとの思いで革の胸当てを外した。

 シャツを脱ぐ。ズボンを下ろす。下着を脱ぐ。

 冷たい空気が肌に触れる。鳥肌が立つ。

 鏡に映る自分。未熟な体。筋肉質で硬い手足。

 深呼吸をして浴場への扉を開ける。


 視界が白く濁る。湯気の向こうに三人の姿があった。

 圧倒的な肌色。


 セリアが湯に浸かり縁に腕を預けている。

 濡れた黒髪が首筋に張り付き水滴が鎖骨の窪みに溜まっている。鍛え上げられた腹筋のラインが水面下で揺らめく。乳房は大きくはないが張りがあり、先端が上を向いている。

 美しい。

 セリアはこちらを見ていないふりをしながら横目でアリサの裸を凝視していた。視線が熱い。舐め回すような視線。


 ルナが桶にお湯を汲んで髪を洗っている。

 豊かな胸が動作に合わせて揺れる。重量感のある白さ。白い肌が湯気で上気して桜色に染まっている。お湯が背中を伝い、丸みを帯びたお尻の谷間へ流れ落ちていく。


 アリサは喉が張り付いたように乾いた。見てはいけない。でも見たい。

 女の体。柔らかくて温かくて匂い立つような肉体。

 それが今、目の前に三つもある。


「アリサちゃんこっちこっち!」


 ミオがバシャバシャと湯を叩いて手招きした。

 アリサはお湯に足を入れた。熱い。

 ミオの隣に座る。肌が触れ合う。

 ヌルリとしたお湯の感触と、ミオの肌の弾力。


「ん〜極楽〜」


 ミオが伸びをする。その拍子に胸が波打ちアリサの腕に当たる。

 柔らかい。潰れる感触。

 思考が止まる。


「アリサちゃんの髪お湯で濡れるともっときれいだね!」


「そ、そうですか」


 ミオの手が伸びてきてアリサの二の腕をむにっと掴んだ。


「アリサちゃん腕硬い! 筋肉すごーい!」

「あ、はい……」


 ミオの手が二の腕を揉む。指が食い込む。くすぐったいような痛いような感覚。

 アリサはミオの顔を見た。濡れた睫毛が長い。唇が赤い。吐く息が甘い。


 ルナが後ろから近づいてきた。


「アリサさん、髪を洗って良いかしら」

「え、いいんですか!?」

「ええ。じっとしててね」


 ルナの豊満な体が背中に密着する。胸の感触が背骨に伝わる。

 ルナの指が頭皮に触れる。

 優しい。泡立つ音が耳元で響く。指の腹で丁寧にマッサージされる感覚に頭の中が溶けていく。


「アリサさん本当にきれいな緑色。触り心地もいいわ」

「えへへ……ルナさんの手気持ちいい……」

「あら。じゃあ……ここはどうかしら?」


 ルナの指が耳の後ろをゆっくりとなぞった。首筋のくぼみを親指で押す。

 ぞわりとした快感が走りアリサは背中を反らせた。ルナの胸に後頭部が埋まる。ルナが楽しそうに喉を鳴らす。


 セリアが少し離れた場所からこちらを見ていた。いや、見ていないふりをして観察していた。

 目線がアリサの胸元にある。


「……アリサ。馴染んだみたいだな」

「は、はい! みんな優しくて……」


 セリアは鼻を鳴らし湯をすくって顔にかけた。顔を拭う手が濡れて光っている。水滴が顎から滴り落ち鎖骨へ吸い込まれる。

 その仕草だけでアリサの下腹が疼く。


 アリサはお湯の中を移動しセリアの隣へ行った。

 お湯を掻き分ける抵抗感。


「セリアさん……あの……」

「ん? なんだ?」


 セリアが少し慌てたように体を起こす。お湯が揺れてセリアの胸が露わになる。乳首の色が見えた。薄い桜色。

 彼女は気にしていないようだが視線が泳いでいる。


「今日は……ありがとうございました。私を拾ってくれて……」

「……ふん。礼を言うのはこっちだ。いい前衛が手に入った」


 セリアの手が湯の中で動きアリサの太腿に触れた。

 ビクリと体が跳ねる。

 セリアの手は離れない。太腿の内側、柔らかい部分。筋肉を確かめるように指が沈み込む。


「……! セリアさん……?」

「……筋肉の付き方を確認しているだけだ。変な意味はない」


 セリアは真顔で言ったが耳まで真っ赤だ。指先が内股をなぞる。熱い。お湯の熱さとは違う、人間の体温。

 指が少し上へ滑る。足の付け根に近い。


「これから期待してるぞ」


 セリアはそう言って誤魔化すように指を離し、アリサの頭をわしゃわしゃと撫でた。

 太腿に残る指の感触。頭を撫でられる快感。

 アリサは湯船の中で膝を抱えた。自分の太腿を抱きしめる。

 幸せで死んでしまいそうだ。


 風呂から上がり部屋に戻る。

 パジャマに着替える。石鹸の香りが部屋に充満している。


 ミオが自分のベッドではなくアリサのベッドに潜り込んできた。


「アリサちゃん今日から一緒だね! ぎゅーってして寝よ!」

「はい……! 楽しみです……!」


 アリサはミオの手を握った。風呂上がりで火照った手。


 ルナが布団をかけてくれる。


「おやすみなさいアリサさん。いい夢を」

「はい……ありがとうございます……!」


 セリアが明かりを消した。


「明日はゆっくりだ。昼前に起きて街へ繰り出すぞ」

「はい……!」

「……おやすみ」


 部屋が闇に包まれる。

 隣から聞こえるミオの寝息。ルナの気配。セリアの残り香。

 アリサはシーツを握りしめた。

 村を出てよかった。この人たちに出会えてよかった。


 そして。

 心の奥底で小さく呟く。


「……もっと、触ってほしい」


 その言葉は音にならず闇に溶けた。

 アリサは熱を持った体のまま深い眠りに落ちていった。

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