脱出条件:完璧なハーレム

龍田乃々介

女の子がみんな俺を愛している世界

「栄多くん。珍しい本を読んでますね?」


カーテンを透過する西日が柔らかな橙色に染めた図書室。

本棚と本棚の間で立ち読みをしていた俺にその女子は声を掛けてきた。


「ごめん。もう閉館?」

「ああ、いえ! ちょっと気になって声をかけてしまっただけで。その、それ」


緑色のハードカバーに印刷された本のタイトルは『妖精隠しの民俗学』。

本好きで図書委員の新池さんでも読んだことがないのか、てとてとと控えめな歩みを細かく踏んで近くと、本の中を覗き込んできた。


「…………あっ、えと。かみっ、神隠しの亜種みたいなもの、ですか?」

「読む?」

「あっ、はい、えへへ、ありがとうございます……」


本を閉じて彼女に渡す。

しかし新池さんは前書きと目次をぱらぱらと捲って目を通しただけで読もうとはせず、視線は本棚の合間を左右に泳いでいる。

突然、がばっと本に額をぶつけるようにして顔を近づけて、すぅーっと深呼吸をした。

「栄多くんの手の匂い……」

小さな声が聞こえたような気がした。だが少し待ってみても、それ以上の言葉は出てこず。新池さんはずっともぞもぞしているだけだ。


「……新池さんは知ってる? 妖精隠し」

「ひゃっ、あっ、ええっと……。 いいえ」

「神隠しの亜種っていうのは間違ってないよ。ある日人が突然いなくなって、しばらくしたらふらっと帰ってくる。そこは同じ」

「へえ……」

「違うのは、帰ってきた人がどこに行って何をしていたのか語る内容。彼らはみんなこんなことを言うんだ」



自分は異世界に行っていた。


異世界ではある事を成し遂げないと、時間が巻き戻っていつまでも進まない。


自分は、異世界の脱出条件を満たした。だから、帰ってくることができた……。



「異世界……?」

「ライトノベルのファンタジー世界みたいなのとは違うけどね。それまで生きていた現実とは何かが決定的に異なる世界。ある人は一日が六時間しかない世界に迷い込み、またある人は無機物に権利がある世界に迷い込んだ」

「ほうほう、面白そうなお話ですね。それで、そんな奇妙な世界から帰ってくるには、何かを成し遂げないといけない……と?」

「そう。悪戯好きの妖精が決めた条件を達成しないと、遭難者はいつまでも元の世界に戻れない。失敗する度に時間を巻き戻されて、異世界の同じ時間の中に永遠に閉じ込められる」

「へえ…………そうなんだ」


陽は山の端に沈み込んでいき、図書室は明かりが欲しくなるような薄暗さになっていく。


一日が六時間しかない世界に囚われた男は、目が覚めた函館のホテルから三日以内に沖縄の海に行くことで帰還できた。

無機物に尊ばれる権利がある世界に囚われた女は、ワイヤレスイヤホンと結婚式を挙げることで帰還できた。


その過程で、何度も時間遡行を繰り返した。


一日中家にいたら、三日が過ぎると時間が戻る。

仕事をしようとデスクに着くとき、椅子に挨拶をし忘れると時間が戻る。


彼らはそんな失敗を積み重ねて、おおよその条件を導き出し、なんとか帰ってくることができた。だが脱出が叶っても、結局どうすることが脱出条件だったのかは断定できていない。

ゲームや物語のように受け取るにはあまりにもお粗末な、妖精の悪ふざけ。


だからこの現象は、『妖精隠し』と呼ばれている。


「……暗くなってきたね。そろそろ帰るよ」

「……………………」

「新池さん?」

「………………栄多くんは」





帰りたいですか?





異世界の人々は、自分たちが遭難者にとって異世界人だということを自覚しない。

だからこれは、妖精隠しの話じゃない。

俺に質問しているんだ。

家に帰りたいのか、と。


「帰りたいですか? あの家に」

「……学生だからね。夜は家に帰らないと」

「学生なんですよ? 不健全な環境に身を置くべきじゃないです」

「………………」

「『ハーレムの構造』、読みました」


先週俺が返却した本だ。

古今東西のハーレムを分析・体系化し、その社会的機能や意義を論じていくものだった。


「中にこんなものが挟まっていました」


しかし彼女にとって重要なのは本の内容ではなく、内容物だったらしい。


「明るい茶色の長い髪です。よく手入れされていて、仄かに甘い香りがします。二組の御園みその樹奈じゅなさんのものですね」

「ごめん。俺の不注意で本にごみが」

「栄多くんは悪くありませんよ。悪いのはあの女。ですよね?」


……まずい。


「これって、ひどいことですよね。幼馴染だか何だか知りませんけど、栄多くんの部屋に当然のように忍び込んで、鞄を漁って、本を取り出して、自分の髪を挟んだんですよ? 本にも、栄多くんにも、ありえないくらい不誠実でふしだらで……気色が悪い……」

「……どうして新池さんは御園が俺の部屋に来てること知ってるの」

「あんな不健全な女、栄多くんの隣にいるべきじゃありません。あんな女が住んでる家の隣になんか、帰っちゃダメですよ、栄多くん」

「わかったよ。うん。それじゃあ今日はどこかのネットカフェにでも泊まることにするかな」

「私の家に来てください! ちょうど両親が海外の仕事に行っていて、誰もいないんです! 栄多くんのこと、しっかりお世話してあげられますよ!」

「それは願ってもないことだね。けどその気持ちだけで十分嬉しい。家に泊るなんて申し訳ないから」

「安心してください。私は貞淑な女ですから、栄多くんを連れ帰ってどうこうなんて絶対にしません……。そう、ぜったいに……ひ、ひひひひ……」


陽が落ちて真っ暗な図書室に怪しい笑い声が響く。

新池さん。大人しい女の子だと思っていたのに、少しの刺激と自分のテリトリーの中という条件ならここまで大胆な行動に出るのか。

経験上この状態の女の子には一通りの文句しか通じない。だがそれは最後の手段。

走る。逃げ出す。真っすぐに図書室の扉の方を目指す。

辿り着き、古びたスライドドアを全力で引いた。


ガチャガチャン!


鍵が掛かっている。

内鍵は? ……強い粘り気のある粘液でぎっちりと固定されていた。


「その接着剤、ある方法で簡単に剥がすことができます。知りたいですか?」


とっとっ。小さな上履きの足音が後ろに迫ってくる。

一呼吸して息を整えてから、振り返る。

小柄な図書委員の女の子は口の前で艶めかしく指を交差させていた。


「私は別に、このままでもいいんですけど……ね」

「…………新池さん」


迂闊だった。

新池さんのことをよく知りもしないで、安全だと決めつけていた。

御園が本に施した細工を見逃した。あいつの独占欲が及ぶ範囲と手段を甘く見ていた。

俺はまだ、足りていなかった……。


「この接着剤はどうすれば剥がせるの?」

「………………その、恥ずかしいのですが、

……………………………………………………

…………………………………………男女の、混合体液で……」

「んなわけあるか」


次のために教えてもらいたかったが、代償なしには無理なようだ。

仕方がない。その情報は諦める。

そしてこの言葉を告げて、俺は、に行く。



「ごめん、新池さん。俺……好きな子いるから」







目が覚めた。

天井は朝日に照らされてほの白い。寝るときに閉めたカーテンを、誰かが開けたとわかる。

そしてそれをした人間は、俺が顔を右へ振り向ければすぐ先のところにいる。

しゃがんで、俺が気づいて驚いた声を上げるか、呆れた声を漏らすか、寝ぼけて甘い言葉を囁くかするのを待っている。


「御園」

「わあっ!? え、バレてた?」


そのどれでもない冷淡な声で名前を呼ぶと、不躾な幼馴染は飛び跳ねて距離を取ってくれるとわかっていた。


……だって、これは。

二十一周目だから。


「俺の本にいたずらするな」

「え……し、してない。してないよお」

「髪の毛を挟んだりなんてしてないと?」

「みっ、見てたの!?」

「はあ……もう行ってくれ。支度するから」

「あっ、手伝う、手伝うよ? えーた朝弱いもんね? お着替え中にふらついて頭ぶつけたら大変」

「母さんはお前が料理手伝ってくれたら嬉しいと思うけどな」

「んん!! わかった行ってくる!」


はやく降りてきてね! そう言い残してようやっと御園は出て行った。


ベッドから起き上がり、スクールバッグを開いて返却予定の本をぱらぱらと捲る。

すると、髪の毛が挟まっているページで本は止まった。

そこには髪の毛だけではなく、チェキカードも挟まっていた。

カードには俺の寝顔が写っていて、その下にはペンで短くこう書かれていた。



[あたしのえーた♡]



「………………こんな世界」


こんな世界は、俺のいるべき世界じゃない。



俺は妖精隠しによって異世界に迷い込んだ。

ここは、『俺のことを大好きな女しかいない世界』。

この世界は、俺が女の子に失恋を経験させるか、俺のせいで女の子が殺害されると巻き戻される。

脱出条件はおそらく、すべての女に愛される状態を築くこと。

つまり……完璧なハーレムを作ること。


俺に御園などという幼馴染はいない。

下の階にいる母親も全然知らない人だ。

学校の男友達は名字だけそのままに全員女になっていた。

テレビに映る人間までみんな女になっていて、全員俺のことが好き。

女しかいない世界で、世界中が俺を愛している。

どいつもこいつも俺を愛して、狂っている。

愛する故に他の女を憎み、嫉み、時には殺す。


もしかしたら、俺じゃない誰かなら、こんなふうに思ったかもしれない。


女の子しかいない世界で、その全員から愛されるなんて、最高だ。

俺もそこに行ってみたい。

などと。


俺も、そう思えたらよかった。

けど、この世界には。



「…………愛花」



あいつだけが、いないから。

他の誰にどれだけ愛されてもなんの意味もない。

身勝手な好意に拘束されて不快なだけの地獄だ。


「えーたあー! ごはんできてるよおー! 遅刻しちゃうよおおー!」

「……いま行くよ」


だから俺は、闘い続ける。

嘘偽りの甘言を吐き、手練手管で口説いて回り、すべての女を夢中にさせる。

全員俺に惚れさせて、俺は元の世界に帰る。



──たった一人の、彼女に再び会うために。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

脱出条件:完璧なハーレム 龍田乃々介 @Nonosuke_Tatsuta

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ