7.スコウプとゲルマ

 時間は少し遡る。

「畜生……ッ!」

 血に染まった肩口を押さえて、スコウプが吐き捨てた。彼の倍ほどもある巨大な魔物が長い爪を振りかざしている。鱗のようなものに覆われた土色の肌、腹とも頭ともつかぬぶよぶよとした丸い塊に、澄んだ青色の玉が四つ、並んでついている。ゲルマという種名はキールがつけたものだ。竜言語で『凶悪な創造』を意味する。

「なぁんでてめぇがここにいるんだよ!」

 姿勢を低く構えてそう叫ぶと、スコウプは一気に駆け込んで魔物の足を狙った。三本ある足の一本、前足に当たるところへ斬りかかる。ちょうど人間が腕立て伏せをしているときの腕に似た形の足は、スコウプの一撃で半分ほど抉れて黒い骨が露出した。

 ゲルマは低く擦りつけるような鳴き声を発した。胴から生えた一本きりの腕を高く差し上げ、七本の指に光る銀色の爪を揃える。一気に振り下ろす早さは、普通の人間では本当に目に見えない。

「危ねッ!」

 飛び退いたスコウプの元居た場所に、ゲルマの爪が突き刺さる。まるで小さめの隕石でも落ちたかのように、地面には一瞬で人が埋まるほどの穴が開いた。

「嬢ちゃん逃げろッ、いくら何でも相手が悪いッ!」

 身を竦ませて震え上がっている少女をちらと見やって、スコウプは怒鳴るように言った。

「この野郎は魔物の中でも別格だ。普通ならこんな場所には……くそッ!」

 再び身を翻して、スコウプはゲルマの爪を間一髪でかわした。切り裂かれた空気が真空を作り、避けたはずのスコウプの外套をざっくりと切り裂く。実際、ゲルマは滅多に地上を歩くことはない魔物だった。もっと西側の、土のない岩肌が広がるジオノイルと呼ばれる一帯に、生暖かい岩盤を掘り砕いて巣くっているのだ。

 スコウプは腰の丸石を取り、ゲルマの目、四つの青い玉のあたりめがけて投げつけた。めり込むような音とともに、中央の目の一つがグルンと回転し、黒ずんだ。人間で言う白目を剥いた状態といっていい。

 丸石をもう一つ取り、スコウプは少女を見た。逃げるどころか、魔物に向かっていこうとしている少女の姿を。

「バカ! 逃げろって!」

 少女は深く息を吐き、首を横に振った。

「だって、スコウプさん、苦戦してる!」

「だからって嬢ちゃんを危険に晒すわけにゃいかねぇッ!」

 石を諦め剣を握り直すと、スコウプは少女の前に走り出た。間合いとしては、近すぎる。当然のようにゲルマの爪が降りかかってきた。防げるか。勝算は薄いが、止めるしかない。スコウプが腹に力を入れ、魔剣の強度を少しでも高めようと意識を集中した、そのとき。

「どけ小僧!!」

 スコウプの背後からダミ声が響いた。少女の甲高い叫び声も聞こえる。伸びてきた紫色の舌がゲルマの爪に絡みつくと、振り下ろされた爪の落下地点がわずかにずれた。スコウプの膝下くらいまでの深さに、地面がえぐり取られる。

「クソッ、出てくんじゃねぇブサイク! 嬢ちゃんは俺が守る!」

 舌打ちして叫び、スコウプは崩れかけた足場から飛びのいて体勢を立て直した。

「うるせえぞ青二才が! ガキが心許ねぇから出てきてやったんだろうがよぉ!」

 少女は顔を覆ったまま立ち尽くしているが、人面疽はおぞましい舌を地面に突き立て、少女ごと高く飛び上がった。ゲルマの青い目がきろりと動き、少女を追う。引き抜かれた腕はまっすぐに、放物線を描く少女めがけて繰り出された。

「そうは……いくかっての!」

 スコウプの声とともに、ゲルマの爪がキンと鳴った。振りぬいたスリングに次の丸石を込めながら、スコウプが再び叫ぶ。

「いいから早く離脱しろ! 洞窟の場所は大体わかるだろ!?」

 スコウプのスリングは正確に、今度はゲルマの腕の付け根に丸石をめり込ませる。

「とりあえず入口まで行ってくれ! ちっと入ったあたりの光ってるとこが一番安全なんだよ!」

 だが、腕に二発の石礫を受けてなお、ゲルマはスコウプを一瞥することなく、少女を視界に捉えたままだった。三本の足は一本から黒い血を噴きながらもぞもぞと動き、再び振り上げられた腕の爪は、攻撃などなかったかのようにギラリと銀色に光っている。人面疽は長い舌で地面を不規則に跳ねて移動しているが、跳ねた後の動きは制御できない。少女は顔を覆って俯いたまま、人形のように振り回されていた。

「まずいな……」

 振り下ろされる爪に石を当て、軌道をずらしながらスコウプが呟く。残弾数が少ない。今はすべて命中しているが、尋常でない速度のゲルマの爪に、拾った石を当てる自信はなかった。当て損ねれば、少女の命はない。このままでは手詰まりになることは目に見えていた。

 それにしても。スコウプには違和感があった。これほどまでに攻撃を加えて、こちらを見もせずまっすぐに少女に向かっていくのは何故なのか。ゲルマはもともと鉱物食だ。人や動物を捕食することはない。自分を攻撃するものに対しては相手が完全に動かなくなるまで執拗に反撃をする習性はあるが、ダメージを与えたスコウプより、爪を押しのけて避けるばかりの少女と人面疽をターゲットにする理由が分からなかった。

「人面疽てめぇ……まさか来る前にゲルマになんかしたか!?」

「残念ながら初対面よぉ。こんな……異常に速ぇデカブツはよぉ!」

 ゲルマの銀色の爪がまたキンと鳴る。

「だよなぁ……。だが仕方ねぇ、頼む人面疽! ここは退いてくれ!」

 スリングを放ったスコウプの叫びに、人面疽は叫び返す。

「クソガキがあっ! 俺に指図すんじゃあねぇ! 大体、見てわかんねぇのか! このデカブツの狙いはこっちだろうがよぉ!」

「わかってる! 俺が何とか引きつける! 頼むから、嬢ちゃんを守ってくれ!」

 人面疽は割鐘のような不快な笑い声をあげた。

「……なぁんで俺がこの女を守るんだよ!? 俺ぁ別にこの女じゃなくてもいいんだぜ? なんならてめぇに取りついたっていい」

 人面疽の濁った眼がギョロリとスコウプを見る。

「そうだなぁ……こんな女捨てて、てめぇを乗っ取るのもいいかもしれねぇなぁ?」

 はぁ!? と思わず声を上げたスコウプに、人面疽の低く醜い声が覆いかぶさった。

「世界最強の剣士の腹に宿りゃあ、人間をいくら食ったってただの殺人鬼だ。子どもで女ってのは警戒されにくいのが好都合だが、女の周りで人が死にゃあ『異常』よぉ。詮索されて面倒臭ぇ。だが、てめぇがいくら弁解したところでだぁれも聞きゃしねぇだろうからなぁ!」

 しかも死ににくそうだ! そう叫んで人面疽は飛び上がり、スコウプの真後ろに着地した。

「もらうぜその身体! 最初の食い物はこの女だなぁ! たっぷりとてめぇの腹に、生娘のはらわた詰め込んでやるぜ!」

 スコウプの背中に紫色の舌が伸び、みぞおちのあたりをぐるりと巻き上げる。だが、スコウプは動かなかった。眼前に迫ったゲルマの爪を少しでも逸らすべく、剣を構えていたのだ。人面疽の裂けた舌が一つに閉じ、スコウプの胃袋めがけて突き出される。


 ズシュ、と鈍い音がした。スコウプの身体はびくんと跳ね、口を開いて空を仰ぐ。

 一瞬早かったのはゲルマのほうだった。剣で受けることには成功したものの、いなしきれなかった。滑り落ちたゲルマの爪はスコウプの臍のあたりにざっくりと突き刺さり、貫通して背嚢の下に突き出している。巻きついていた人面疽はゲェッと声をあげ、舌をしまい込んだ。

「にげ……ろ……」

 剣を取り落とし、背中のほうへ右手を彷徨わせながら、スコウプは声を絞り出した。明らかな致命傷。自分でもそれは分かっているはずだった。

「嬢ちゃん……ッ、目を……開けて、くれ……」

 いや、と小さく鳴くように少女が言った。涙で歪んだ彼女の視界には、腹のあたりに伸びるゲルマの腕と、やや上向きに反った剣士の姿しか見えない。

「逃げて……くれ……頼む……。爪は……押さえとく……」

 彷徨っていたスコウプの右手が、震えながら背嚢の側面から緑色の小瓶をつかんだ。

「早く……!」

 少女が駆け出したのか、人面疽が舌で飛びのいたのか。少女の身体は死にゆく剣士を離れ、洞窟に向かって駆け出した。


 ゲルマは足をもぞもぞと動かし、少女を追おうと爪を振り上げる。振り上げた爪に異物が絡みついていることに気づき、ゲルマはスコウプの突き刺さった爪を、振り払うように何度か地面に叩きつけた。あらぬ方向に曲がったスコウプの右脚を、ゲルマは自分の足で踏み、爪を上向きに引っ張り上げる。肉と皮の裂ける音がして、スコウプの右脚だけが地面に残った。

 もう一度爪を振り上げ、まだ離れない異物をゲルマは残る三つの目で見た。足は引きちぎったものの、骨盤が引っかかって身体全体が爪の上に残ったままになっている。爪にしがみついていた左手が力尽きるのを確認。右手からは、空になった緑の小瓶が落ちる。それを目で追って、ゲルマは改めて周囲を見回した。狙いが、見当たらなくなっていることに気づく。

「……バーカ」

 ゲルマの爪の上で声がした。そろそろ動かなくなっていいはずの爪の異物に、異様な躍動を感じはじめる。弾むような躍動はやがて爆発的な膨らみとなり、巨大な肉塊となった剣士の身体はついに自ら爪を離れた。

 落下した塊はさらに膨張を続ける。一定の大きさにまで膨らむと、うずくまっていた塊は頭を上げた。

「……ッテぇぇ! スッげェ痛ェンダぞ、コレ」

 そう言って、塊は立ち上がった。全身を灰色の毛で覆われた、二足で立つ獣の姿。その背中には、蝙蝠のような大きな翼が四枚、生えている。巨大な体躯は、ゲルマよりもやや大きい。大きな手指には、ゲルマに引けを取らないほどの鋭利な爪が揃っている。

「……オオカミ、カ……?」

 しゃべりにくそうに口をパクつかせ、自身の両手を見ながら吐き出した声は辛うじて、スコウプのものだった。背中の翼を軽く羽ばたかせて動きを確認すると、魔法薬の力で巨大な魔物となったスコウプはニヤリと口角を上げた。黒褐色の大ぶりの犬歯が露出する。

「じャ、ヤロうカ、おチビちャン」

 ゲルマは恐怖という感情を持ち合わせていない。が、この状況が普通ではないことを察知していた。足をもぞもぞと動かし、やや後退する。

「逃ゲンなッテ、せッカク変身シたンダカらヨォ」

 歩み寄る巨躯の灰狼に、ゲルマは唯一の腕を突き出した。先ほどと同等か、より速い速度で。だが灰狼はその腕をいとも簡単につかみ止め、ねじり上げた。もう片方の腕で、首だか胴だかわからないゲルマのくびれを鷲づかみにし、爪を立てる。土色の鱗が音を立てて剥け落ちた。黒ずんでいた目玉の一つが、ぽとりと落ちる。もがくように身をくねらせるゲルマに、スコウプは吐き捨てた。

「……行カセねェヨ。嬢ちャンにャ、逃ゲてモラわネェとナ」

 そのまま大きく口を開くと、スコウプはゲルマのぶよぶよとした頭部にがっぷりと食らいつき、大きな犬歯を突き立てた。

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