5.少女の道行

 キールの庵のぐるりを囲む柵から一歩出たところで、いきなりスコウプが剣を抜き払い、立ち止まった。あまりにも急な行動だったので、後ろを歩いていた少女はびくりと身じろぎ、その場に立ち竦んでしまった。

 形は良くある両刃の剣だったが、よく磨かれた刀身にはぎっしりと細かく魔文字が刻まれていて、その文字の所々がオレンジ色に明滅している。その明滅がスコウプの息づかいに呼応しているのだと気づいたとき、振り向きざまにスコウプの剣が少女に向かって突き出された。一瞬目に飛び込む、怒りに近いスコウプの真顔。

 だが、次の瞬間、スコウプは片眉をつり上げて嘲るような表情で剣の先のものを見ていた。

「意外と遅ぇな、人面疽ちゃんよォ?」

 スコウプの剣先にとらえられた、ぬるりとした銀色の魚のような魔物は、先端のとがった部分をまっすぐ少女に向けたまま絶命している。少女と魔物の距離は、スコウプの剣の長さよりも近い。少女の腹から伸びた紫色の舌は、魔物の中心に突き刺さったスコウプの剣に阻まれて、辛うじて先端部分にのみ巻き付いている。

「そんなんでよく、ここまで来られたもんだぜ。単なるラッキーだったんじゃねぇの?」

 目にも留まらぬ勢いで舌を戻し、少女の服の下で人面疽は何事か唸った。スコウプは剣先の魔物を振り落とすと、慣れた手つきで剣を腰の鞘に戻した。いつの間にか、剣の魔文字は光をなくしている。

「この辺じゃヌメリツルギでも雑魚の方だぜ。ま、嬢ちゃんは俺が守るから、あんたは黙ってそこにいりゃいい」

 言ってちらりと少女を見やって、スコウプは大きく後悔することになった。すっかり青ざめて身を竦ませた少女の、恐怖に見開いた藍色の瞳はスコウプをとらえて動かない。

「あ、いや、あの……、あの、さ。……悪ィ。ちょっと驚かせちまったみたいで……」

 がりがりと頭を掻いて足下を見やったが、その程度で少女の硬直は治まらない。

「……えっ……と……」

 このまま少女が泣き声を上げて引き返したところを想定して、内心スコウプの方が縮み上がってしまった。患者を無駄に怖がらせたとあってはキールが黙ってはいない。死なせない方法と加減を熟知している分、キールの『お仕置き』は想像を絶する。

「別に……別に、脅かそうとしたわけじゃないんだ。な、な、頼むよ、そんな怯えないでくれって。悪かった、悪かったって。な、な?」

 引きつり気味の愛想笑いに脂汗が吹き出る。過去に受けたさまざまなお仕置きが脳裏をよぎった。致死量ぎりぎりの血を何日もかけて抜かれ続けるか、背中に瘤肉芋でも植え付けられるか。いやいや、内蔵の二つや三つ採取されてしまうかもしれない。少女の唇が微かに震えた。ごくりと唾を飲み込むスコウプ。ここで悲鳴を上げられたら、確実にキールの耳に届く。少女が口を開いた瞬間、スコウプは叩かれる犬のように目を細めて首をすくめていた。

「……大丈夫……」

 少女は意外な言葉を紡いだ。

「ただ……、お腹のこれを刺激するの、やめて欲しいの……」

 瞳を伏せてうつむく少女。スコウプは少女を見つめて、少しうなだれた。

「ああ、その、すまない……」

 実際、スコウプ自身は少女の腹に宿るという人面疽をまだ見ていなかった。聞こえたのは最初の診察の時の声だけで、長く伸びた舌を見たのも初めてだった。大陸最強の魔物の巣窟を、無傷で渡ってきたというそのできものに、大いに興味があったのも事実だ。ヌメリツルギの気配に気づいていながら人面疽の動くのを待ち、舌より早く魔物をしとめて挑発の言葉を吐いたのも、人面疽の反応を期待していたからに他ならない。少女がこれほどまでに人面疽を嫌悪していることを目の当たりにし、スコウプは深く溜息をつき頭を振った。少女の気持ちすら推し量れなかった自分が情けない。

「ほんと……、なっちゃいねぇな、俺は……」

 眉根を寄せていらだたしげに頭をかきむしるスコウプに、少女は慌てたように両手を振ってみせた。

「いいの! こんなのもう慣れっこだし、それに……、この山を歩くんだから、これなんかどうせ動きっぱなしになるんだろうし……」

 元気なところを見せようとしたのに、少女は結局俯いてしまった。人面疽のことを考えると、たまらなく憂鬱だった。醜い顔面をさらけ出してダミ声を発するところなど、思い返しただけで卒倒しそうだ。それに、あの最悪の日を思い出してしまう……。

「それなら大丈夫だぜ」

 悲しみに沈みかけた少女に、スコウプは自信たっぷりの言葉をかけた。今度は驚かせないよう、剣を指さして注目を引いてから、ゆっくりと引き抜く。刀身の中央付近に、ひときわ大きく青白く、魔文字が浮かび上がっている。

「キールの刻んだ魔除け。こいつが光ってれば低レベルの魔物は寄っちゃ来ない。たしか、その肩に掛かってるカゴの内側にも、同じ処理がしてあったと思うぜ」

 少女はバスケットを開けてみた。うっすらと、バスケットの中が青白く光っている。内側の張布に描かれた模様と見えたそれは、よく見れば細かくちりばめられた魔文字だった。お守りのサシェに結んだリボンにも、同じ布が使われていた。

「それに、この俺がついてる。あんたのそれが動くよりずっと早く、俺が魔物どもを蹴散らしてやらぁ」

 気合いの入ったスコウプの言葉と同時に、まるで保証するかのように剣の一部がふわりとオレンジ色に光った。使用者の攻撃性に合わせて剣の強度を増す魔術の発現だったが、まるで息のあったコンビを見るようで、少女の口元には微笑みが浮かんだ。

「それじゃ、行こっか」

 スコウプの言葉にこくりとうなずいて、少女は後をついて歩きはじめた。


「……まだまだですねぇ、スコウプ君も」

 一部始終を窓から見ていたキールは、二人の背中を見送りながらくすりと笑った。

「仕事が済む前に患者さんに逃げられないといいですけれど」

 言いながら、虚空に指で何事か描きはじめる。ふぅっと息を吹きかけると、描かれた空間には一瞬、掌に乗るほどの小さな猿のような獣が現れた。キールの指がまっすぐ少女たちを指す。猿は首だけ回して二人を確認し、飛びかかるような仕草で後を追う格好のまま、虚空に溶けるように姿を消した。

「まあ、肝臓半分くらいで許してあげましょうか」

 呟いたキールの白衣の裾を、チェルが引っ張った。黒い瞳がキールの顔と台所とを交互に見つめる。

「そうそう、ココアを温めていたところでした」

 にっこりと笑ってチェルを抱き上げ、キールは甘い匂いの立ちこめる台所へと消えていった。




 スコウプの言葉は嘘ではなかった。

 少女にはおよびもつかない何かを察知してスコウプが熱っぽく光る剣を引き抜けば、数瞬後には両断された魔物の死体が転がっている。まるで木の根を飛び越えるような手軽さで、スコウプは自らの仕事を淡々とこなしていった。キールの魔除けのおかげで、少女が登ってきた時よりずっと魔物の数は少なかったが、それでも半刻に一度くらいは恐ろしい姿をした魔物がこちらを狙っていた。

「本当に……、すごいのね」

 通称「骨砕きの岩」の上で休憩中に、少女は言った。岩の名前とその由来を教えるべきか否か迷っていたスコウプは、一瞬何のことだか分からず、きょとんと少女を見返してしまった。

「すごいって……、岩が?」

「岩? ううん、スコウプさんの剣」

「ああ、こいつか」

 スコウプは腰の剣に視線を落とした。

「名前、ついてるの?」

 少女の問いに、スコウプは思わず吹き出す。

「いやいやいや、ねぇよ、そんなん。だってこれ、カラマッツァの鍛冶屋が作った、どっこにでもある普通の剣だぜ?」

 少女は首を傾げた。決して武器に詳しいわけではなかったが、これほどの魔力を秘めた剣がただの剣でないことは素人目にも明らかだった。大昔、伝説の剣をめぐって起きたという戦争の話があるが、一振りで嵐こそ呼べないものの、名剣として名前くらいついているだろうと思ったのだ。少なくとも、一般の商店で商われる代物ではない。

 少女の不思議そうな顔を見て、スコウプは照れたように笑った。

「まあ、その何でもない剣にキールの奴が落書きしやがったんだけどな。ほら、あいつ不老不死だから、無駄にいろんな魔法知ってんだよな」

「……不老不死!?」

 ぽかんと口を開けた少女に、スコウプはしまったという表情をする。

「あ……、知らなかっ、た……?」

「お伽話に出てくる伝説のお医者さん、って思ってたけど……」

「あーー……」

 がりがりと頭をかきむしるスコウプ。今日はどうにも失敗が多い。

 実に困ったという表情で、スコウプは仕方なしに空など仰ぎ見た。うっすらと灰色の雲の懸かった、かといって雨の降る様子もない、どっちつかずの冴えない天気だ。

「……しゃべんなよ? 街に戻ったら絶対」

 目の端で見やると、少女はまだきょとんとしていた。

「あいつ、結構気にしてんだよ。自分が死ねないってこと」

 今度は水筒の中に浮かんだ茶殻をのぞき見る。キールの作った冷たい紅茶だ。疲労回復に効果のある薬草が多数配合されているが、今の窮状を打開してくれるような画期的なハーブはどうやら含まれていないらしい。レモンの種が一粒、底に見えるばかりだった。

「……でも」

 少女の方が切り出した。

「その話、有名なんでしょ? 私が知ってると思ったくらいなんだから」

「まあ……な」

 言葉を濁して掌など見る。硬くなった剣だこの上が微かに白く粉を吹いている。

「でも、そうよね。……不老不死くらいでなきゃ、お伽話のお医者さんがいまだに山の上に住んでるわけないのよね」

「だろ? 普通はそう思うもんだぜ。よっぽどキールの伝説に入れ込んでるか、地上じゃ絶対治らない病気にかかるかでもしなきゃ、こんな山登らねぇって、普通」

 病気、の言葉に自分の腹の辺りを見やって、少女は一瞬ひどく悲しそうな顔をした。スコウプが慌てて、無理矢理明るく付け足す。

「まあ俺も、治らねぇ病気担ぎ込んだクチなんだけどな!」

 え、とくすんだ藍色の瞳を上げて、少女がスコウプを見た。

「スコウプさん……、病気なの?」

「いや、俺じゃねぇんだ。その……女房が、さ」

 照れたような苦笑。意外な言葉に、少女は目を丸くする。

「奥さん、いたんだ」

「ああ。寝室の奥で寝っぱなしだから気づかなかっただろ?」

「そんなに……悪いの」

 スコウプの表情が曇った。聞いてはいけないことを聞いてしまったと、少女ははっとして口を押さえる。

「あの……、ごめんなさい……」

「ああ? うん、いいんだ、別に。女房は……プライムは、悪いとか悪くないとかって言う以前だな……」

 物思いに沈んだような瞳を上げて、スコウプはなぜか自嘲的に笑った。

「もう……三年以上になるな。眠っちまったきり、起きねぇんだ。息もしてねぇし、心臓も動かねぇ」

「!」

 少女をぞっと寒気が襲った。それは、死んでいるのではないか。ミイラ化した、あるいは白骨化した死体の横に佇んで、優しく言葉をかけているスコウプを思う。一見平穏なあの庵の奥で、この青年はそんな狂気を宿していたのか。

 スコウプは困ったような表情のまま小さく溜息をついた。

「待てって。今、『それって死んでる』とか思ったろ? ……俺も最初はそう思った。でも、身体はずっとあったかいし、腐りもしねぇんだ。ほっぺたなんかきれいなピンク色でさ。確かに生きてんだ。……だから俺は、大陸中まわって治す方法探した。薬、祈祷、魔法、破魔、禁術、とにかく何でも試した。で……、結局、ここへ流れ着いちまったってわけ」

 首をすくめてみせるスコウプに、少女はかける言葉が見つからなかった。

「流石にキールのヤツもなぁ、こればっかりは治し方わからねぇらしいんだよ。まったく、無駄に長生きしてるくせに……なぁ?」

 曖昧に笑うスコウプに、少女は小さく首を振った。

「すごく……すごいと思う」

「……え?」

 どんなに絶望的な状況でも、少しでも希望を見つけて前に進もうとする、その力。すべてを投げ出してこの山に身を投げた自分とはあまりにも違いすぎる、と少女は思った。

「私は、投げ出しちゃったのに……」

「いや、俺だって似たようなもんだ。完全に手詰まりになって、抜け殻みてぇになってたこともある」

 今のスコウプからは、想像がつかない。少女は首を傾げた。どうやって、そんな状況から抜け出すことができたのだろう。

「でも、ほら、結局、俺にはそれしか、できることねぇしさ」

 自嘲するようにスコウプは笑ってみせた。

「けどまぁ、諦めが悪い、ってのは、これまで何百回も言われてるかな」

 スコウプは自分に言い聞かせるように付け足すと、水筒の残りを一気に飲み干した。

「俺が諦めたら、プライムは永遠に、あのままかもしれねぇからな……」

 ああ、そうか、と少女は悟る。スコウプは、大切な人のためにここまでやってきたのだ。大切な人を自分で殺して食べてしまった身に、頑張る力なんか湧くはずがない、少女はそう思った。誰も愛せないし、誰からも愛されない。だって、その価値がないから。

「うらやましいな……。そんなに愛されるなんて、奥さん」

 思わず零れた少女の言葉に、スコウプはうーん、と考え込んだ。

「嬢ちゃんなら、これからいくらでも、いい出会いがあると思うけどなぁ」

 よく聞く慰めだ、としか少女には受け取れなかった。

「……ま、キールに比べりゃ生まれたてみたいな俺から言えることは、なんにもないんだけどさ。諦めの悪ささえあれば、意外と何とかなったりするもんだぜ」

 諦めの、悪さ。すべてを諦めてしまった少女には、とても縁遠く聞こえた。

 ありがとう、と空虚に返して、少女はじっと、俯いたままでいた。

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