4.旅の支度

「……来ると思ったぜ。患者となりゃ、いつもこれだ」

 食器を洗う手を休めず、エプロン姿のスコウプは苦々しげに吐き捨てた。少女が庵を訪れて四日。キールの術でなら、そろそろ最初の手術痕も癒える頃だ。

「いつも感謝していますよ、スコウプくんの働きには」

「だったらさっさとプライム起こせよ」

 残りの食器に目を落として、スコウプは手早くそれを片づけ続ける。その後ろ姿を眺めながら、キールは言った。

「無理に、とは言いませんよ。……スコウプくんも、すっかりエプロンが似合うようになりましたねぇ」

 スコウプの手がぴたりと止まった。瞳に不穏な光が宿る。

「てめぇ……、だぁれのお陰で俺がこんな格好してると……」

 振り向きざまに背中の結び目をほどき、スコウプはエプロンを床にたたきつけた。

「帝国のA級ライセンス持ってるハンターのこの俺が、好きで洗い物なんざしてるわけねぇだろッ!」

 乗せられているとわかってはいるのに、どうしても啖呵を切ってしまう。内心自分で自分を罵倒しながら、スコウプは剣を取りに奥の部屋へ向かった。がりがりと自分で頭を掻く音にさえ、いらだちを感じながら。

「相変わらず、ですね……」

 溜息とともにそうつぶやいたキールの顔には、悪戯な微笑とともに微かな翳りが浮かんでいた。スコウプの妻、プライムの病状は一向に好転しない。何度調べても、原因どころか現状すら正確には把握しきれないのだ。

 スコウプのエプロンを拾って畳み、残りの食器を片づけてしまおうとキールが台所へ立つと、服の裾を引っ張られる感覚があった。チェルだ。

「……洗ってみますか?」

 流し台に背すら届かないチェルは、それでも神妙な面もちでこくりとうなずいてみせた。

「ふふ、いいでしょう」

 キールはチェルを抱き上げ、流しを覗き込むようにチェルに高さを合わせる。

「そっと、持つんですよ。小さな小鳥を撫でるように……」

 チェルは両手を伸ばし、手近にあった木製のコップをつかむ。だが、チェルの両手の中でコップは、爆発したように粉々に砕け散った。

「……気にすることはありませんよ。ただもう少し、力の制御のしかたを身につけた方が良さそうですね……」

 苦笑して、キールがチェルの頭を撫でる。木屑になってしまった手の中のコップをじっと見て、チェルは今にも泣き出しそうな顔でキールを見上げた。微かに、金属が軋むような鋭い異音が響く。キールはチェルを降ろし、しゃがんで目線を合わせると、改めて頭を撫で、額に軽くキスをした。異音は遠ざかるように、だんだんと消えていった。

「おい今、チェルのヤツ、声、出さなかったか?」

 腰に剣を下げ、ナイフやスリングを身に着けたスコウプが、訝るように奥の部屋から出てきた。チェルの手の中で土くれのようになったコップを見て、あ、と短く声を上げる。何か言いたそうに口をぱくりと開けたが、慌てて閉じると眉根を寄せてがりがりと頭を掻いた。チェルはおびえた表情でスコウプを見ている。

「……わーかったよ。怒りゃしねぇって。だから、泣くなっての。な?」

 チェルはスコウプを凝視しながら、ゆっくりと頷いてみせた。片方の目から、ぽろりと涙がこぼれる。

「やっぱり、その姿の方が似合いますね、スコウプくんは」

 立ち上がったキールの後ろに、チェルは走り込んで隠れた。スコウプは実に不満そうに、キールの顔を見上げた。



「おい待てよ。俺はともかく、この子連れてく必要はねぇだろ?」

 患者の少女に旅支度をさせはじめたキールに、スコウプは慌てて言った。少女に外套を羽織らせながら、キールはけろりと答える。

「彼女自身が摘み取ることが必要なんですよ」

「だって、溜魔茎だろ? 今まで俺一人で取ってきてたじゃねぇか」

 薬用植物の一つである溜魔茎は、多く魔物の棲む洞窟などに生え、その魔物の魔力を茎状の根に蓄積させている。従って、強い魔物の近くにあるほど効力に優れており、これを採取しようと危険を冒し、命を落とす者も多い。

「ええ。通常ならば誰が摘んでも効果は同じです」

 小さなバスケットを少女に手渡しながら、キールはスコウプを見もせずに続ける。

「今回は、彼女の患部からの魔力が要るんですよ。同じ波長の力を溜魔茎で転化して使いたいんです」

「……なんだかわかんねぇけど、要するにマムシ酒の要領か?」

「そうかもしれません」

 バスケットを開けて、キールは中から掌で包めるくらいの綺麗な巾着袋を取り出し、少女に差し出した。

「香りのサシェです。少し魔法を込めておきましたから、お守りとして持っていてください。なくしてはダメですよ?」

 見せられた袋を、少女は黙って受け取る。花のポプリが入っているようで、顔に近づけてみると確かに爽やかな良い香りがした。ポプリにしては少し重いが、その存在感が手に馴染む。

「……でも」

 見上げた少女の目は、恨めしそうにキールを見ている。

「お腹のこれ、眠らせてくれないんですね」

 少しゆったりした服を着ているので、人面疽のあることは全く外からは分からなかった。人面疽の方も心得ているのか、姿の見えないときはほとんど動きもせず、声も出さない。けれど外部の状況はそれなりに把握しているらしく、少女が自らの身を危険に晒そうとすれば、あの長い舌を伸ばしてそれを阻止してしまうのだという。

「患部が麻痺していると、魔力を多く吸収できないんです。それに、万一の際、あなたの身を守る手段ともなりますし……」

「こんなのに守られたくないのッ!」

 激して、少女は両手で顔を覆った。すると、それまで押し黙って部屋の隅でじっとしていたチェルが、とことこと歩いてきて少女の服の裾を握った。チェルの漆黒の瞳は潤んで、何かを訴えかけるように少女を見上げている。

「あなた……」

 言いかけて、少女は気遣うようにキールを見た。

「この子……もしかして、声が……?」

 キールはそっとチェルを抱き上げ、苦笑しながら頷いてみせた。

「ええ。言葉はまだ話せないんですよ。でも、この子はこの子なりに、あなたを励まそうとしたのでしょう」

「そう……。優しいのね……」

 キールに抱きあげられて、チェルはつぶらな目を伏せた。少女からは見えなかったが、チェルの涙は頬を伝い、キールの白衣の胸のあたりに落ちた。

 チェルの背中を優しく撫でながら、キールは少女に微笑みかけた。

「ご安心ください。こう見えて、スコウプくんは帝国のA級ハンター。世界最強の剣士です。あなたを全力で守ってくれるはずですよ」

「こう見えて、が余計だろ」

 舌打ちをして、スコウプは背嚢の中身を確認している。スリングに適した大きめの丸い石も、いくつか腰のベルトに取りつけた。

「そうそう、新しい調合を試してみたんです」

 そう言って、キールはスコウプを振り返り、にっこりと笑う。

 差し出したのは、緑色の小さな瓶。スコウプの表情がみるみる曇り、目一杯不満そうな顔をした。

「いらねぇよッ! だぁれがそんなもん飲むかッ」

「かまいませんよ。必要に迫られたときだけ使ってください」

「そーぉやって逆にプレッシャーかけやがって。聞き飽きたぜ、その台詞は」

 キールを真っ正面から睨みつけたまま、スコウプは差し出された小瓶をひったくるように受け取る。

「今日こそこのまま返してやるからな」

 実際、キールにこの特殊な魔法薬を渡されて、使わずに戻ってこられたことはほとんどないのだ。ふと、スコウプは訝しむような目つきになった。

「……今回はあれだろ、わりと近場の洞窟の、レッサーイェールの巣に行くんだよな?」

「ええ。あまり強い魔力を吸っていない方が好都合ですから」

 レッサーイェールは小型の魔物で、竜の峰の中ではかなり弱い方に属する。さしずめ三つ目の虎といった風体で、見た目に反しそれほど俊敏なわけでもない。本来なら頂上付近で生き残れる魔物ではなかったが、たまたま洞窟の途中に自生する光苔の一種が魔物に嫌われるため、より強い魔物の侵入が阻まれ、生存できている稀有な例だった。腐蝕を伴う神経毒の牙にさえ気をつければ、比較的容易にあしらうことのできる魔物と言える。もっとも、ひとたび人里に降りれば、初級ライセンスの冒険者など十人束になってもかなわない相手ではあるのだが。

「……じゃ、なんで……」

 後の言葉を、スコウプはごくりと飲み込んだ。いつも通りににっこりと笑ったキールの表情が、どこか威圧を帯びて見えたのだ。

「念のため、ですよ」

 言ったキールの緑の瞳が、微かに妖しく光ったような気がした。スコウプは背筋あたりにぞろりと冷たいものを感じつつ、慌てて小瓶を背嚢の側面に入れた。

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