3.キールの診察
「死ぬ薬、たぁ尋常じゃねぇな」
十代後半といったまだあどけない少女の言葉に、スコウプが溜息混じりにつぶやく。それを無視してキールは扉を開け放ち、少女を中へ導いた。
「奥の間が診察室になっています。まずは、少しお話を伺えますか」
うつむいた少女は両手で顔を覆ったまま、こくりとうなずいた。
「スコウプ君、お湯を沸かしておいてください。それから、チェルに蜂蜜入りの飴を」
手短に指示を出して診察室に向かうキールのあとを、少女はおずおずとついて行く。頬に涙の滴は残っているものの、幾分落ち着きを取り戻したらしく、先ほどのように取り乱してはいない。少女を部屋に通すと、キールは扉を閉めて一言、言った。
「紅茶は、お嫌いですか?」
部屋に通されるなりの第一声に、少女は少なからず面食らった様子だった。思わずきょとんとキールを見上げ、かすかに首を横に振って見せる。少女の瞳に映るキールには、別段怒った様子も呆れた様子も見られない。
決して広くはない部屋には、右手にベッド、左手にいくつかの戸棚と窓、中央にテーブルセットが一つ。あまり診察室といった様相ではない。キールは戸棚からティーポットを出し、お茶の用意をはじめた。
「あの……」
「ああ、失礼。どうぞ掛けてください。クッキーは……よかった。ちょうどジンジャーとオレンジがありますよ。どちらを?」
振り返ったキールが柔和に笑う。少女はすとんと椅子に座って、どちらでも、と小さくつぶやいた。
程なく、二種類のクッキーを盛った小さな編籠を持って少女の向かいに座ったキールを、少女は困ったような上目遣いで見上げた。どうぞ、と差し出された籠にうなずくような小さな会釈で返し、少女は差し向かいの医者の質問、あるいは頭ごなしの叱咤を待った。今までに訪ねた複数の医者や薬師がそうであったように、伝説の竜の峰の名医もまた自分を叱責するであろうことは想像に難くなかった。
だが、柔和な微笑と卑屈な上目遣いの間に流れる沈黙を破ったのは、乱暴に蹴開けた扉の音だった。
「キールよぉ、何ッ度も言ってるような気がしてんだけど、俺は家政婦じゃねぇんだぜ?」
恨めしそうにキールを睨みつけたまま、スコウプが大きなケトルを突き出す。標高が高いため地上より早く沸くお湯をたっぷりと、キールは相変わらずの優雅さで受け取った。
「わかっていますよ。君には感謝しています」
「その余裕ッぷりに誠意を感じねぇんだよ」
ふてくされてキールの瞳の奥を凝視していたスコウプは、不意にガブリとキールの鼻先にかみつこうとした。もちろん、キールはその攻撃を柳に風がそよぐようにふわりとかわす。眼鏡を軽く押し上げて、キールはくすりと小さく笑った。
「これはこれは。君には少し薬を処方しすぎたかもしれませんね。『副作用』が出ていますよ?」
虚空を咬むガチリという音の後に、歯ぎしりにも似たスコウプの呻きが漏れる。真っ赤になったスコウプが何か言おうと口を開きかけたのを制して、キールは扉の方を指した。
「女性の診察中です。そろそろ戻ってくださいね。お湯、ご苦労様です」
「~~~~~~ッ! キール、覚えてやがれッ!」
捨て台詞と同時に部屋を飛び出したスコウプの後ろで、くすくすと笑いながらキールは静かにティーポットにお湯を注ぎ込んでいる。
少女はただぽかんと、二人のやりとりを見ていた。
広く開いた窓からは、冷涼な山の空気とともに朝の爽やかな光が射し込んでいる。窓の外は薬草園になっているらしく、紅茶の香りに混じって微かに嗅ぎ慣れない匂いが少女の鼻孔を撫でた。独特ではあるが、決して悪い匂いではない。不思議な気分だった。
「お騒がせしましたね。いつもああなんですよ、スコウプくんは」
柔らかい声とともに、少女の前にカップが置かれる。キールは少女の向かいに座って、にっこりと微笑んだ。
「では、お腹のそれ、診せていただけますか」
少女がはっと息を飲む。驚きというより、もはや恐怖に近い表情だ。目はあらん限りに見開かれ、痩せた頬は一瞬で紙のように青ざめてしまった。
「な……んで、なんでそれを……」
やっと吐き出した少女のあえぐようなつぶやきに、キールは申し訳なさそうに目を伏せた。
「不躾な物言い、お許しください。最初にあなたとスコウプくんが話していたとき、少し……動いていたようでしたから」
少女の両目から一粒ずつ、大粒の涙が伝い落ちた。
「……いや……、いやなの……。怖い……怖い、怖いッ!!」
テーブルの上の二客のカップがカタカタと音を立てる。テーブルにしがみつくようにして、少女が震えているのだ。キールは席を立って少女の横に立った。
「大丈夫、私は医者ですよ。今までにもたくさんの症例を見てきているのですから。そう、本当にたくさんの、ね」
そっと肩に手を置くと、少女はびくりと身じろいで、きつく目を閉じる。涙が数滴、テーブルに落ちて小さな飛沫を作った。
「慌てることはありません。ゆっくりお茶を飲んで、少し休んでからでも構いませんよ? ほら、身体もこんなに冷えてしまって」
直に手渡されたカップを少女は両手で受け取った。激しく震えるせいで、中身が揺れてテーブルを濡らす。やっと口まで運んで、熱い紅茶を一気に飲み干すと、不思議に震えはかなり治まった。
「……見たら……、殺してくれますか……?」
空になったカップを両手で包んだまま、少女は濡れた瞳でキールを見上げた。キールはとぼけたように首をすくめてみせる。
「診察を終える前に処置を決定することはできませんよ」
キールの言葉に小さくうなずいて、少女は椅子を立つとちらりと部屋の扉を見やった。そしてそっと、上衣の裾に手をかける。強く目をつむって、顔を背けるようにして少女は上衣の前を捲った。
「……なるほど」
キールは、自分を見据えている二つの瞳を睨み返していた。苔色の濁った瞳。その瞳は少女の腹の上で低く脂ぎった鼻から侮蔑めいた溜息をつき、ただれた唇をぐにゃりと歪めて軋むような唸り声を上げた。
「人面疽、ですね?」
キールの問いに、少女の腹の中央に張りついた醜い顔はげらげらと笑う。
「人面疽に人面疽かって聞く馬鹿があるかこの野郎! それともナニかい、この女の頭にくっついてるのが人面疽でこのオレが生まれつきの顔だって言ったら信じるつもりかこのヤサメガネが!」
一気にまくし立てると、顔はまったく同じ調子でもう一度割鐘のような笑い声をたてた。膿のような色の泡が、口の端に溜まって流れる。腐った肉のような悪臭。少女が顔を背けたまま、小さく嗚咽を漏らした。
「今まで黙っていられた割には饒舌ですね。人並みに動かせるのはその舌だけですか?」
人面疽は突然、地響きのしそうな恐ろしい咆哮を上げた。キールは一瞬だけ、扉の方に視線をやった。
「てめえコラもう一度言ってみろこの漂白モヤシが! 喰うぞ、コラ喰うぞここの人間全部、全部喰い殺すぞこの針金メッキ野郎!」
「いろいろな比喩表現、ありがとうございます。ですがもう少し、お静かに願えますか。子どもが驚きます」
キールの言葉に、人面疽はさらに大きな声で吼えた。
「馬鹿が! 馬鹿がてめえこの野郎ぶち殺すぞ! ガキの心配する前に、てめえの命心配しろやぁッ!」
きゃあああああッ、と少女が甲高い悲鳴を上げた。人面疽はかっと開いた口から、紫がかった太い舌を伸ばす。その舌の先は伸びながら二つに裂け、二本の意志ある鞭となってキールに絡みつこうとした。
「やれやれ……」
キールは、つぶやくと同時に一歩ふわりと下がった。次の瞬間、人面疽は先ほど以上の恐ろしい咆哮を上げていた。舌の先を床にたたきつけるようにして、貼り付いた小指の爪ほどの小さな紙片を払い落とそうとしている。
「刺突紙、貼らせていただきました」
キールの魔法がたっぷりと染み込んだその紙は、貼り付いた部位からまっすぐに突き抜ける激痛だけを対象に与える。まだ暴れる醜い舌を避けながら、キールは懐から香水用の小さな噴霧器を取り出し、人面疽の鼻先に軽く吹きかけた。
人面疽は伸びきった舌をだらりと伸ばしたまま、目も閉じずに動かなくなった。キールは素早く少女の後ろへ回り、その肩を抱く。少女は虚ろな目でキールを見上げ、そのままキールに身体を預け、意識を失った。
次に少女が見たのは、横になった自分を上からのぞき込む、キールのエメラルド色の瞳だった。
「……うそつき」
ゆっくりと瞬きすると、両目の端から熱い涙がこぼれるのがわかった。
「殺してくれるって、言ったのに……」
キールは申し訳なさそうに頷いて、少女に毛布をかけ直した。
「辛い思いをまた、させてしまいましたね。すみませんでした」
少女は手首のあたりで涙を拭った。ふと、腹部の感覚が以前と違うことに気づく。引き攣れるような、あのずるりとした人面疽の感覚がない。
「……取れたの!?」
けれど少女の期待に反し、目の前の大陸一の名医は軽く首を振った。
「少し眠らせてあります。手術を試みましたが、難しいですね。珍しい症例です。あなたの皮膚ではなく、胃に直接寄生していますから……」
激しい落胆と絶望が少女を襲った。やっぱり。やっぱりこの医者も駄目だった。もうどんなことをしても……。
「私は……、死ねないのね……」
キールは毛布の下にある患者の患部の辺りをちらりと見やった。
「お察ししますよ。もう何日も、あなた自身の口から食べ物を食べていないでしょう。あなたのお腹から、この山の魔物の切れ端ばかり出てきましたよ」
苦悶の表情をしていた少女がふうっと、冷たい無表情に変わった。苦しみが突き抜けて全てを投げ出すと、人間はこんな表情をする。キールにはそれがわかった。
「死のうと思ってね、この山に入ったの。強い魔物がたくさんいるって言うし。でも逆だった。魔物は強かったけど、お腹のこれの方が強かったのね。これ、魔物を食べるのよ。魔物の養分で、私は生きてるの……」
少女の瞳が、まっすぐキールを見た。キールを見たが、少女の瞳は何も捉えてはいなかった。
「私を殺せば、これも死ぬんでしょう? 早く殺しなさい。でなければこれ、あなたを食べるわよ。あなたや、あの小さな女の子や、最初のお兄さんも、全部殺して、私が食べちゃうんだわ。だって」
あの日、私はママとパパを殺して、食べちゃったんだから。
泣くことすらできず、淡々と話す少女に、キールは深い憐れみを感じていた。人面疽に使ったのと同じ痺酔霧で眠らせてやった方がどんなにか楽だろうと考えた。この少女は心の中で、人面疽のついた自分のはらわたを泣きながらえぐり出している。ざっくりと腹を開いて血塗れでなおも佇む少女の姿が、キールには見えるようだった。
「大丈夫ですよ」
そっと少女の額に手を置いたキールからは、いつもの笑みは消えていた。
「きっと私が、この腫瘍を除いてさしあげます」
キールは自分に言えることだけを、まっすぐに少女に伝えた。エメラルドの瞳は澄んで、静かに少女を見つめている。
「まずは、このできものができたいきさつ、教えていただけますか」
外因性か、内因性か。あとから寄生したものなら、まだ望みはある。
キールの問診に、少女は淡々と答えはじめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます