第2章 配信者への道 2-2
朝食を終えた俺たちは、霧谷の洞窟へと向かった。
昨日と同じE級ダンジョン。だが、今日の俺には別の目的がある。
『今日は録画だけなんだろ? 無理すんなよ』
バスの中で、佐野がそう言った。隣にはゴロウとユイもいる。昨日と同じ四人パーティー。ただし、俺の胸元には小型カメラがクリップで固定されている。
『ああ。まずは映像の質を確認したい』
そう答えながら、俺は別のことを考えていた。
録画だけで終わらせるつもりはない。
今日、配信を始める。
テスト配信という名目で。視聴者がゼロでも構わない。実際に配信してみなければ、分からないことが多すぎる。遅延の程度、コメントの表示、配信プラットフォームの仕様。全てを実地で確認する必要がある。
バスが霧谷の洞窟前に到着した。
ゲート前に並んでいるのは五、六人程度。平日の朝は空いている。
『よし、今日も頑張ろうぜ』
佐野が拳を握る。
俺は頷きながら、スマートフォンを取り出した。昨夜のうちに、配信アプリのアカウントは作成済みだ。
アカウント名:零【ゼロから始めるダンジョン配信】
フォロワー数:0
俺は深呼吸した。意味のない動作だ。俺の肺は酸素を必要としていない。だが、人間らしく振る舞うための習慣として、呼吸を意識的に行っている。
配信開始ボタンを押す。
『——配信、開始します』
画面に表示された視聴者数。
0。
当然だ。フォロワーがいない新規アカウントの配信を、誰が見るというのか。だが、問題ない。今日はテストだ。視聴者がいなくても、俺は俺のやるべきことをやる。
『おっ、もう始めたのか?』
佐野が驚いた顔で振り返った。
『ああ。テスト配信だ。誰も見ていないと思うが』
『マジか。緊張するな……俺、映ってる?』
『映っている。嫌なら外れてくれ』
『いや、いい。せっかくだし、協力するよ』
佐野は照れくさそうに笑いながら、カメラに向かって手を振った。
『えーと、皆さん初めまして? 佐野です。零の……なんだ、仲間? です。よろしく』
視聴者数、0。
佐野の挨拶は誰にも届いていない。だが、彼の協力的な姿勢はありがたかった。
『それじゃ、行くか』
俺たちはダンジョンへと足を踏み入れた。
---
第一層。
青白く発光するヒカリダケ。湿った空気。かすかに響く水滴の音。
俺は意識的に声を出した。
『第一層に入りました。ここはE級ダンジョン「霧谷の洞窟」。初心者向けのダンジョンです。出現するモンスターは主にゴブリン、コボルト、スライム。いずれもE級からD級相当の弱いモンスターですが、油断すると怪我をします』
誰も聞いていない解説。
だが、俺は続けた。配信者として必要なのは、視聴者がいなくても喋り続ける能力だ。沈黙は視聴者離れの最大の原因になる。今のうちに、喋り続ける習慣を身につけておく必要がある。
『現在のパーティー構成は四人。前衛が佐野、中衛がゴロウ、後衛がユイ。俺は……サポート役です。探知系のスキルがあるので、敵の位置を事前に察知できます』
視聴者数を確認する。
1。
誰かが来た。
俺の心臓——Loss Correction Algorithm搭載の人工心臓が、わずかに拍動を速めた。これが緊張というものか。あるいは、興奮か。区別がつかない。
画面にコメントが流れた。
【誰もいないと思ったら配信してる人いたwww】
匿名のコメント。おそらく、暇つぶしで配信一覧を眺めていた視聴者だろう。
俺は即座に反応した。
『視聴ありがとうございます。今日が初配信です。テスト配信なので、グダグダかもしれませんが、よろしくお願いします』
【初配信か。頑張れ】
短いコメント。だが、俺にとっては大きな意味があった。
視聴者が、いる。
俺の配信を、見ている人間が存在する。
その事実が、俺の中の何かを刺激した。
『ありがとうございます。——前方に反応があります。おそらくゴブリン、三体』
俺は意識を切り替えた。
配信者モード、起動。
---
『来ます』
俺の言葉と同時に、左の脇道から三体のゴブリンが飛び出してきた。
『マジかよ、また当たりかよ!』
佐野が剣を抜く。ゴロウが盾を構え、ユイが弓を引く。
俺は意図的に後方へ下がった。カメラの画角を意識しながら、戦闘の全体像が映るように位置を調整する。
『戦闘開始です。ゴブリンは単体では弱いですが、集団で襲ってくると厄介です。特に注意すべきは——』
解説しながら、俺は戦況を分析していた。
佐野が正面のゴブリンと斬り合っている。ゴロウが右側のゴブリンを盾で押さえ込んでいる。ユイが左側のゴブリンを狙って矢を放つが、わずかに外れた。
左のゴブリンが、ユイに向かって突進を始めた。
危険。
俺の身体が、自動的に動こうとする。
駄目だ。
ここで俺が「人間離れした動き」を見せれば、全てが終わる。視聴者は一人しかいないが、映像は記録される。後から検証される可能性がある。
だが、ユイを見殺しにするわけにはいかない。
俺は瞬時に最適解を計算した。
「人間として自然な範囲」で、ユイを助ける方法。
足元の石を拾う。
投げる。
石はゴブリンの後頭部に命中し、その動きを一瞬だけ止めた。
『ユイ、左!』
俺の警告で、ユイが振り返る。彼女は冷静に矢をつがえ直し、至近距離からゴブリンの胸を射抜いた。
『ナイス連携!』
佐野が叫ぶ。残りのゴブリン二体も、すぐに片付いた。
戦闘終了。所要時間、約三十秒。
俺はカメラに向かって解説を続けた。
『今のが基本的な戦闘の流れです。前衛が敵を引きつけ、後衛が削る。サポートは全体を見て、危険な状況をフォローする。E級ダンジョンでも、連携ができていないと苦戦します』
コメントが流れた。
【石投げうまくね?】
俺は一瞬、言葉に詰まった。
見られている。分析されている。
だが、ここで動揺を見せるわけにはいかない。
『ありがとうございます。昔、何かやっていたのかもしれません。記憶がないので分かりませんが』
記憶喪失という設定は、こういう時に便利だ。不自然な能力を「過去の経験」として説明できる。
【記憶喪失? 設定重いなwww】
【ガチなのか設定なのか分からんw】
視聴者数を確認する。
3。
増えている。
俺の人工心臓が、また拍動を速めた。
---
第二層に入った。
視聴者数は、5になっていた。
『第二層です。ここからは少し難易度が上がります。コボルトが出現するようになります。ゴブリンより知能が高く、連携して攻撃してくるので注意が必要です』
俺は解説を続けながら、コメントにも反応していた。
【顔出しなしなんだ】
『はい。諸事情で顔は出せません。声だけで勝負します』
【声いいね】
『ありがとうございます』
【このダンジョン知ってる。初心者向けだよね】
『そうです。霧谷の洞窟、E級認定。関東圏では有名な初心者ダンジョンです』
コメントへの反応速度。トーンの調整。情報の正確さ。俺は全てを意識しながら、配信を続けた。
これが、配信者の仕事だ。
喋りながら、戦いながら、視聴者とコミュニケーションを取る。マルチタスク処理能力が要求される。幸い、俺の人工脳はマルチタスクが得意だ。
前方五十メートル。生命反応、六体。
コボルト四体。スライム二体。右通路に分散配置。
俺は情報を整理し、「自然な言い方」で仲間に伝えた。
『……この先、複数います。たぶん、六体くらい』
『六体? 多いな。どうする、佐野?』
ゴロウが聞く。
『行くしかねえだろ。ここで引き返したら、稼ぎにならねえ』
佐野が剣を構え直す。
俺はカメラに向かって説明した。
『これから六体との戦闘になります。E級ダンジョンとしては、やや多い遭遇数です。パーティーの連携が試されます』
コメントが流れた。
【六体はきついな】
【新人パーティーで大丈夫か?】
【わくわく】
視聴者の期待を感じる。
彼らは「ドラマ」を求めている。困難に立ち向かい、それを乗り越える物語。俺たちの戦闘が、そのドラマになる。
『行きます』
---
戦闘は、予想以上に激しいものになった。
六体の敵が、三方向から同時に襲いかかってきたのだ。
『くそっ、囲まれた!』
佐野が叫ぶ。正面からコボルト二体、右からコボルト二体、左からスライム二体。完全な包囲陣形。
俺の脳内で、戦術分析が自動的に走った。
最適解:俺が単独で左右どちらかを殲滅し、包囲を崩す。所要時間、推定四秒。
却下。
それは「人間離れした動き」だ。配信中にそれをやれば、全てが終わる。
次善策:仲間をサポートしながら、人間として自然な範囲で戦闘に貢献する。
採用。
『ゴロウ、右を抑えてくれ! ユイ、左のスライムを! 佐野、正面は任せた!』
俺は指示を出しながら、右側へ移動した。ゴロウだけでコボルト二体を相手にするのは厳しい。サポートが必要だ。
足元の石を拾う。
投げる。
コボルトの目を狙う。命中。視界を奪われたコボルトが怯んだ隙に、ゴロウが盾で突き飛ばす。
『ナイス、零!』
ゴロウが叫ぶ。
俺はすぐに左側を確認した。ユイがスライム二体を相手に苦戦している。弓は近距離戦に向かない。
『ユイ、下がれ!』
俺は走った。
人間として自然な速度で。全力の七割程度に抑えて。
スライムの一体が、ユイに向かって体当たりを仕掛けようとしていた。俺はその軌道上に割り込み、腕でスライムを弾き飛ばした。
酸性の粘液が、俺の腕に付着する。
痛覚センサーが警告を発した。皮膚組織へのダメージ、軽度。再生機能で十分対応可能。
『零くん! 腕!』
『大丈夫だ。浅い』
俺はスライムを蹴り飛ばし、距離を取った。ユイが冷静に矢を放ち、スライムの核を貫く。
残り一体。
佐野が正面のコボルト二体を片付け、最後のスライムに斬りかかった。
戦闘終了。
所要時間、約二分。
全員、無傷——いや、俺の腕に軽い火傷がある。スライムの酸だ。
『零、大丈夫か!?』
佐野が駆け寄ってきた。
『問題ない。すぐ治る』
実際、俺の再生機能はすでに働き始めていた。数時間もすれば、傷跡も残らないだろう。だが、それを説明するわけにはいかない。
俺はカメラに向かって、努めて冷静に言った。
『以上、六体との戦闘でした。少し手こずりましたが、全員無事です。これがE級ダンジョンの現実です。油断すると、こうなります』
コメントが爆発的に流れた。
【熱すぎる】
【石投げの精度やばくね?】
【仲間守るのかっこいい】
【腕大丈夫なのか】
【指示出しうまい】
【もっと見たい】
視聴者数を確認する。
12。
増えている。
俺は、笑った。
口角が上がる。それが自然な笑顔かどうかは分からない。だが、俺の中に確かな感情があった。
これが、「楽しい」ということか。
視聴者が俺を見ている。俺の行動に反応している。俺の存在を、認識している。
これが、俺の求めていたものだ。
存在の証明。
価値の証明。
八神博士。見ていますか。
俺は今、生きています。
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