第2章 配信者への道 2-1 初配信



翌朝、俺は佐野のアパートで目を覚ました。


正確には、スリープモードを解除した。八時間の休眠中、身体の各部位の修復と最適化が完了していた。筋繊維の微細な損傷は修復済み、エネルギー残量は98%、全システム正常稼働。人間であれば「よく眠れた」と表現するのだろう。


窓の外から差し込む朝日が、六畳一間の部屋を淡く照らしている。佐野はまだ眠っていた。規則正しい寝息が聞こえる。昨日、遅くまで配信の話に付き合ってくれたからだろう。


俺は静かに布団から抜け出し、部屋の隅に置いてある段ボール箱に目を向けた。


佐野から譲り受けた配信機材。


昨夜、何度も確認した。GoPro Hero 12、クリップ式マイク、耐衝撃ケース、予備バッテリー二個、各種ケーブル。中古とはいえ、状態は悪くない。佐野が大切に保管していたことが伝わってくる。


『配信、やってみたいのか?』


昨夜の佐野の言葉が蘇る。


俺は否定しなかった。できなかった。配信機材専門店「エレクトロ」の前で、無意識に足を止めていた自分を、佐野は見逃さなかった。


『俺も昔、ちょっとだけやってたんだ。全然伸びなくてすぐ辞めちまったけど』


そう言って佐野は照れくさそうに笑った。


『機材、使ってないから。よかったら持っていけよ』


仲間という言葉の意味を、俺はまだ完全には理解できていない。だが、佐野の行動は理解できる。見返りを求めない贈与。それは戦術的に非合理だ。しかし、人間はそれを「優しさ」と呼ぶらしい。


俺は段ボール箱からGoPro Hero 12を取り出した。


電源を入れる。起動画面が表示され、バッテリー残量は昨夜充電したおかげで100%。録画可能時間は約二時間。4K/60fpsの高画質設定なら、ダンジョン内の細部まで鮮明に記録できる。


配信者になる。


それが俺の選んだ生存戦略だ。


冒険者として素材を集め、換金して生活費を稼ぐ。それだけなら、わざわざ配信する必要はない。だが、配信には別の価値がある。


収益。


知名度。


そして、社会における「存在証明」。


俺は国家機密プロジェクトの産物だ。公式には存在しない人間。戸籍もなければ、過去もない。ギルドには「記憶喪失のダンジョン出身者」として登録したが、いつまでもその設定が通用するとは限らない。


だが、配信者として認知されれば話は変わる。


視聴者という「目撃者」が増えれば増えるほど、俺の存在は社会に刻み込まれる。仮に政府や研究機関が俺を「回収」しようとしても、公に活動している人間を消すのは容易ではない。


つまり、配信は俺にとって「盾」になり得る。


もちろん、リスクもある。


顔を出せば、俺の容姿が記録される。生体データベースと照合されれば、国家機密プロジェクトとの関連を疑われる可能性がある。だから、顔は絶対に出せない。マスク、フードキャップ、サングラス。何重にも偽装する必要がある。


さらに、俺の能力は人間の限界を超えている。


昨日のダンジョン探索でも、俺は自分の力を意図的に抑えた。探知能力は「勘」として、戦闘技術は「偶然」として説明した。佐野たちは納得してくれたが、配信となれば話は別だ。映像として記録される。分析される。検証される。


『あの動き、人間じゃねえだろ』


『どう見てもチートじゃん』


『顔隠してるし、絶対なんかある』


視聴者のコメントが目に浮かぶ。


だから、配信では「普通の冒険者」を演じなければならない。能力を見せすぎず、かといって見せなさすぎて面白くないコンテンツになってもいけない。


バランス。


それが鍵だ。


俺はGoPro Hero 12を耐衝撃ケースにセットし、クリップ式マイクを接続した。テスト録画を開始する。


『テスト、テスト。マイク感度良好。画角は広角設定で問題なし。手ブレ補正、電子式と光学式のハイブリッド稼働を確認』


自分の声を録音して再生する。


少し硬いか。


配信者として成功している人間の動画を、昨夜いくつか視聴した。氷室レイジを筆頭に、登録者数十万人規模の中堅配信者、数千人規模の新人配信者。彼らに共通しているのは「声の魅力」だった。


聞いていて心地よい声。


緊迫した場面では緊張感を、穏やかな場面ではリラックスを、視聴者に伝える声。それは単なる音声の問題ではない。感情の問題だ。


俺に感情はあるのか。


八神博士は「ある」と言った。俺の人工脳には感情を模倣するアルゴリズムが組み込まれている。それが本物の感情なのか、それとも精巧な模倣に過ぎないのか、俺自身にも分からない。


だが、昨日ダンジョンを探索した時、俺は確かに「楽しい」と感じた。


その感覚を、配信に乗せればいい。


『おはよう』


佐野の声がした。


振り返ると、佐野が布団から半身を起こしていた。寝ぼけ眼で俺と、俺の手の中のGoProを交互に見ている。


『早いな。もう準備してんのか』


『ああ。すまない、起こしたか』


『いや、いい時間だ。今日も稼がねえと』


佐野は伸びをしながら立ち上がった。


『で、どうすんだ? 今日からもう配信するのか?』


俺は少し考えた。


『いや、今日はまずテスト配信だ。録画だけして、編集して、問題がなければ明日から本配信を始める』


『慎重だな。まあ、それがいいか。最初から完璧を目指すと続かねえし』


佐野はそう言って洗面所に向かった。


俺は窓の外を見た。


朝日が街を照らしている。ダンジョンの入口がある方角には、すでに冒険者たちの姿が見える。E級からC級くらいだろうか。朝早くからダンジョンに向かう者、夜通し探索して帰ってきた者。この街では、それが日常だ。


その日常の中に、俺も溶け込もうとしている。


配信者として。


冒険者として。


そして、「人間」として。


八神博士。


俺は今日、最初の一歩を踏み出す。


あなたが望んだ「価値の証明」が何なのか、俺にはまだ分からない。だが、まずは生きる。この世界で、この社会で、俺という存在を認めさせる。


そのための手段が、配信だ。


『零、朝飯食いに行こうぜ。腹が減っては配信はできぬ、ってな』


佐野が洗面所から顔を出して笑った。


俺も笑おうとした。


顔の筋肉が動く。口角が上がる。それが自然な笑顔かどうかは分からない。だが、佐野は満足そうに頷いた。


『よし、行くか』


俺はGoProを段ボール箱に戻し、立ち上がった。


今日はテスト配信。明日から本配信。


視聴者数ゼロからのスタート。


だが、俺には自信がある。


この頭脳は、ダンジョン攻略のために作られた。データを収集し、分析し、最適解を導き出す。その能力を、配信に応用する。視聴者が何を求めているのか、どんなコンテンツが「バズる」のか、俺は誰よりも正確に分析できる。


そして、実行できる。


廃棄された最高傑作。


その名に恥じない配信を、見せてやる。

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