第1章 生存 1-10 新しい日常



佐野に連れられて入ったのは、ギルドから徒歩5分ほどの場所にある定食屋だった。


「大衆食堂 まるやま」


古びた看板。年季の入った暖簾。外観だけ見れば、昭和の時代から営業しているような雰囲気だ。


「ここ、見た目はボロいけど、味は保証するぜ」


佐野が暖簾をくぐる。


俺もその後に続いた。


店内は、外観に違わず年季が入っていた。木製のカウンターは黒光りし、壁には色褪せたメニュー表が貼られている。テーブル席が4つと、カウンター席が8つ。昼時だけあって、半分ほどが埋まっていた。


客層は、ほとんどが冒険者のようだった。


軽装の革鎧を身につけた若者たち。使い込まれた武器を腰に下げた中年の男。傷跡が目立つ女性。


彼らは食事をしながら、談笑したり、情報交換をしたりしている。


「いらっしゃい」


カウンターの奥から、太った中年の男が顔を出した。白い調理服を着ている。恐らく、店主だろう。


「おう、マスター。久しぶり」


「おお、佐野か。最近見ないと思ったら、生きてたか」


「死んでたまるかよ。今日は後輩連れてきた。冒険者登録したばっかりの新人」


店主の目が、俺に向けられた。


値踏みするような視線。だが、すぐに表情が和らいだ。


「そうか。新人さんか。うちは冒険者なら誰でも歓迎だ。ゆっくりしていきな」


「ありがとうございます」


俺は軽く頭を下げた。


佐野がカウンター席に座り、俺も隣に腰を下ろした。


「何にする?おすすめは日替わり定食だけど」


「じゃあ、それで」


「マスター、日替わり二つ」


「あいよ」


店主が調理を始める。


ジュウ、と肉が焼ける音。香ばしい匂いが漂ってきた。


俺は店内を観察しながら、周囲の会話に耳を傾けた。


「——昨日のダンジョン、やばかったぜ。コボルトの群れに囲まれてさ——」


「——C級昇格試験、来月らしいぞ。お前、受けるのか?——」


「——氷室レイジの新しい配信見た?あいつマジで人間やめてるわ——」


冒険者たちの日常会話。


ダンジョンの話、ランクの話、そして——配信者の話。


氷室レイジの名前が、ここでも出てきた。


昨夜、佐野の家のテレビで見た、銀髪の配信者。登録者500万人。ダンジョン配信者のトップ。


俺は、その名前を記憶に刻んだ。


いずれ、俺もあの世界に足を踏み入れることになる。そのためには、トップがどんな存在なのかを知っておく必要がある。


「はい、日替わり定食二つ」


店主が、大きな皿を二つカウンターに置いた。


生姜焼き定食だった。


分厚い豚肉が何枚も重ねられ、たっぷりのタレがかかっている。付け合わせにキャベツの千切り、味噌汁、ご飯、漬物。


ボリュームは十分すぎるほどだ。


「いただきます」


佐野が手を合わせる。


俺も同じように手を合わせた。


「いただきます」


箸を取り、生姜焼きを一切れ口に運ぶ。


味覚センサーが、成分を分析し始める——


俺は、それを意識的に無視した。


今は、分析ではなく「味わう」ことに集中したい。


肉の旨味。タレの甘辛さ。生姜の風味。


「......美味い」


自然と、言葉が出た。


「だろ?」


佐野が嬉しそうに笑った。


「ここの生姜焼きは絶品なんだよ。冒険者の間じゃ、結構有名でさ」


「確かに、これは美味いです」


俺は二口目、三口目と、生姜焼きを口に運んだ。


昨夜のカップ麺も美味いと思った。だが、これは次元が違う。


温かい。香ばしい。肉の食感がしっかりしている。


これが、「ちゃんとした食事」というものか。


俺は——少しだけ、幸せな気分になっていた。


---


食事を終え、俺と佐野は店を出た。


「ごちそうさまでした。美味しかったです」


「だろ?また来ような」


佐野が伸びをする。


昼下がりの太陽が、街を照らしていた。


「さて、これからどうする?」


「どうする、とは?」


「今日の予定だよ。登録は終わったし、ダンジョンに行くには遅い時間だし」


佐野は腕を組んで考えた。


「そうだな......せっかく町に来たんだし、いろいろ見て回るか?冒険者として知っておくべき場所、案内してやるよ」


「いいんですか?」


「いいっていいって。どうせ俺も暇だし」


佐野は気軽にそう言った。


この男は、本当にどこまでもお人好しだ。


「じゃあ、お願いします」


「よし、行くぞ」


佐野が歩き出す。


俺はその後に続きながら、街の景色を目に焼き付けていった。


---


最初に案内されたのは、武器屋だった。


「剣と盾のガルド」という看板を掲げた、中規模の店。ショーウィンドウには、様々な武器が並んでいた。


剣、槍、斧、弓、短剣——


「冒険者なら、まず武器を揃えないとな」


佐野が店に入る。


店内には、さらに多くの武器が陳列されていた。壁一面に剣が掛けられ、槍は天井から吊るされている。カウンターの奥には、特注品と思しき高級な武器も見えた。


「いらっしゃい」


店主は、筋骨隆々の中年男だった。腕には無数の傷跡があり、元冒険者だと一目で分かる。


「見るだけでも構わないぜ。質問があったら聞いてくれ」


「ありがとうございます」


俺は店内を見て回った。


武器の種類は豊富だ。だが、俺には——正直なところ、武器はあまり必要ない。


俺の体は、それ自体が「武器」だ。


素手でゴブリンを引き裂ける。コボルトの攻撃を、肉体だけで受け止められる。


だが、それを見せるわけにはいかない。


「普通の冒険者」として振る舞うためには、武器を持っているように見せる必要がある。


革鎧がいいだろう。軽くて動きやすい。そして、安い。


「初心者向けの短剣、いくらですか?」


店員に尋ねると、「3万円」という答えが返ってきた。


これも、今は買えない。


「......今は、手持ちがありません」


「そうか。まあ、金が貯まったらまた来な。取り置きもできるぜ」


店主は気軽にそう言った。


「ありがとうございます。また来ます」


俺は店を出た。


武器は後回しだ。まずは金を稼ぎ、必要な装備を少しずつ揃えていく。


焦る必要はない。


---


次に案内されたのは、防具屋だった。


「鋼の守り イワモト」という看板。武器屋よりも、さらに大きな店だった。


店内には、革鎧から金属鎧まで、様々な防具が並んでいた。


「防具は武器より重要だ」


佐野が言った。


「攻撃は避けられても、防御がなかったら一撃で終わりだからな。特にE級の初心者は、まず防具を揃えるべきだ」


「なるほど」


俺は店内を見て回った。


防具も、俺には本来必要ない。俺の肉体は、並の防具より遥かに頑丈だ。


だが、「普通の冒険者」として見せるためには、防具を身につける必要がある。


革鎧がいいだろう。軽くて動きやすい。そして、安い。


「初心者向けの革鎧セット、いくらですか?」


店員に尋ねると、「2万円」という答えが返ってきた。


これも、今は買えない。


「また来ます」


俺は店を出た。


---


その後も、佐野は様々な場所を案内してくれた。


素材屋。ダンジョンで採取した素材を売る場所。買取価格の相場や、高く売るコツを教えてもらった。


回復薬屋。ポーションや解毒剤を扱う店。冒険者にとって必需品だが、これも高い。一本500円から、高いものは数万円する。


情報屋。ダンジョンの攻略情報や、パーティーメンバーの募集を扱う店。掲示板には、様々な依頼が貼り出されていた。


「冒険者として生きていくなら、この辺の店は全部覚えておけ」


佐野が言った。


「どこで何が買えるか、どこで何が売れるか。それを知ってるだけで、効率が全然違う」


「勉強になります」


「まあ、最初は俺について来ればいいさ。そのうち覚える」


佐野はニカッと笑った。


---


最後に案内されたのは、少し毛色の違う店だった。


「ダンジョン配信機材専門店 エレクトロ」


俺は、その看板を見上げた。


配信機材の店。俺が、いずれ訪れることになる場所だ。


「ここは......」


「ああ、配信者向けの店だな」


佐野が説明した。


「カメラとかマイクとか、ダンジョンで配信するための機材を売ってる」


店の前で、俺は足を止めた。


ショーウィンドウには、様々な機材が並んでいた。


小型カメラ、ヘッドセット、耐衝撃ケース、通信機器——


どれも、俺が必要とするものだ。


俺は無意識に、食い入るようにショーウィンドウを見つめていた。


「......レイ?」


佐野の声で、俺は我に返った。


「ああ、すみません。少し見入ってしまいました」


「配信機材に興味あるのか?」


佐野が、少し驚いたように俺を見た。


「......はい。少しだけ」


「ふーん......」


佐野は腕を組み、俺の顔をじっと見つめた。


何かを考えているようだった。


「なあ、レイ」


「はい」


「もしかして、お前......配信者になりたいのか?」


直球の質問だった。


俺は一瞬、どう答えるべきか迷った。


だが——隠す必要もないだろう。


「......はい。いずれは、やってみたいと思っています」


「やっぱりな」


佐野が頷いた。


「さっき飯屋で、氷室レイジの話が出た時、お前、妙に真剣な顔してたからさ。もしかして、って思ったんだよ」


見抜かれていたのか。


佐野は、見た目より遥かに観察力がある。


「探知スキル持ちで、分析力もあるお前なら、解説系の配信とか向いてるかもな」


「解説系、ですか」


「ああ。ダンジョンの攻略法とか、モンスターの弱点とか。そういうのを分かりやすく説明する配信。需要あるぜ」


佐野は店のショーウィンドウを見ながら、続けた。


「俺も昔、ここで機材買ったんだよな」


「佐野さんも、配信を?」


「やってたよ、一時期」


佐野は苦笑した。


「でも全然伸びなくてさ。E級冒険者がゴブリン倒してるだけの動画なんて、誰も見ないんだよ。結局、3ヶ月で諦めた」


「そうですか......」


「才能ないって分かったからな。今は普通に冒険者やって、素材売って、地道に稼いでる」


佐野は淡々と言ったが、その声には少しだけ寂しさが混じっていた。


彼にとって、配信者は叶わなかった夢なのだろう。


「——なあ、レイ」


「はい」


「ちょっと、俺の家に寄っていかないか」


「え?」


「見せたいものがあるんだ」


佐野は、どこか決意したような表情をしていた。


---


夕暮れ時。


俺たちは、佐野のアパートに戻ってきた。


「ちょっと待ってろ」


佐野は部屋の奥に行き、押し入れを開けた。


ガサゴソと物音がする。何かを探しているようだ。


「あった、これだ」


佐野が取り出したのは、段ボール箱だった。


埃を被っており、しばらく開けていなかったことが分かる。


佐野は箱を床に置き、蓋を開けた。


中には——配信機材が入っていた。


小型カメラ。クリップ式のマイク。耐衝撃ケース。予備のバッテリー。そして、何本かのケーブル類。


「これ......」


「俺が配信やってた時に使ってたやつだ」


佐野が機材を一つ一つ取り出していく。


「辞めてから、ずっと押し入れに放り込んでた。売ろうかと思ったこともあるけど、なんとなく捨てられなくてさ」


俺は黙って、機材を見つめていた。


使い込まれた形跡がある。だが、状態は悪くなさそうだ。


「レイ」


佐野が、俺の目を見た。


「これ、お前にやるよ」


「......え?」


「配信やりたいんだろ?だったら、使えよ」


俺は、言葉を失った。


「でも、これは佐野さんの——」


「俺はもう使わない」


佐野が首を振った。


「正直に言うとさ、こいつら見てると、失敗した時のこと思い出すんだよ。再生数伸びなくて、コメントも付かなくて、誰も見てくれなくて......」


佐野は苦笑した。


「でも、捨てられなかった。なんでかって言うと——いつか、誰かに使ってほしいって、どこかで思ってたんだと思う」


「佐野さん......」


「お前なら、いけると思うんだ」


佐野が、真剣な目で俺を見た。


「探知スキル、分析力、冷静さ。お前には、俺にない才能がある。それに——」


佐野は少し言葉を切った。


「お前の解説、聞いてて分かりやすいんだよ。ダンジョンで『横から撃て』って言った時とか、コボルトの動きを予測した時とか。ああいうの、配信で喋ったら絶対ウケると思う」


俺は、段ボール箱の中の機材を見つめていた。


カメラ。マイク。ケーブル。


これがあれば——配信を始められる。


「......いいんですか、本当に」


「いいに決まってるだろ」


佐野が笑った。


「俺の代わりに、夢を叶えてくれよ。お前が売れっ子配信者になったら、俺は『あいつの機材、俺があげたんだぜ』って自慢できるからさ」


軽い口調だった。


だが、その目は笑っていなかった。


本気で、俺に託そうとしている。


自分が叶えられなかった夢を。


俺は——胸の奥が熱くなるのを感じた。


これは何だ。


感謝、とは少し違う。もっと複雑な、言葉にできない感情。


「......ありがとうございます」


声が、少し震えていた。


「必ず、結果を出します。佐野さんの機材を、無駄にはしません」


「おう、期待してるぜ」


佐野が、俺の肩を叩いた。


「あ、あとこれも」


佐野がポケットから、折りたたまれた紙幣を取り出した。


1万円札が一枚。


「武器も防具もなしじゃ、ダンジョンに潜れないだろ。最低限の装備を買う金だ」


「これも......」


「貸しといてやる。稼いだら返してくれればいい」


佐野は、俺の手に紙幣を押し付けた。


「仲間だろ。困った時は助け合うもんだ」


仲間。


また、その言葉だ。


俺は——手の中の紙幣と、段ボール箱の機材を見つめた。


1万円と、使い込まれた配信機材。


金銭的な価値で言えば、大したものではないのかもしれない。


だが——これは、佐野という男の「信頼」の証だった。


見ず知らずの俺を信じ、仲間として受け入れ、自分の夢まで託してくれた。


その重みを、俺は確かに感じていた。


「......ありがとうございます」


何度目か分からない、感謝の言葉。


だが、他に言葉が見つからなかった。


「よせよ、そんな改まった顔すんな」


佐野が照れくさそうに頭を掻いた。


「さ、今日はもう遅いから、泊まってけ。明日から本格的にダンジョン攻略だ」


「はい」


俺は頷いた。


---


その夜。


俺は布団の中で、天井を見つめていた。


隣では、佐野がすでに寝息を立てている。


俺の傍らには、段ボール箱がある。


中には、佐野から譲り受けた配信機材。


俺は、その箱をそっと撫でた。


これで、配信を始められる。


機材は揃った。冒険者登録も済んだ。後は——実行するだけだ。


だが、焦る必要はない。


まずは、冒険者として実績を積む。金を稼ぎ、装備を揃え、経験を重ねる。


そして——準備が整ったら、配信を始める。


俺の分析力を武器に、この世界で成り上がる。


八神博士の願いを叶えるために。


そして——佐野の信頼に応えるために。


「......見ていてください」


小さく呟いた。


誰に向けた言葉なのかは、自分でも分からなかった。


八神博士か。佐野か。それとも——俺自身か。


窓の外では、月が静かに輝いていた。


新しい日常が、始まろうとしていた。


---


**第1章 生存 1-10 新しい日常 終**


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