第1章 生存 1-8 ギルドへ
朝8時のバスは、ほぼ定刻通りにやってきた。
古びた車体。錆びついた車輪。エンジン音は、どこか頼りない。排気ガスの匂いが、朝の澄んだ空気に混じっていた。
だが、走ってくれればそれでいい。
俺と佐野は、バスの後方に並んで座った。
座席は硬く、クッションはへたっている。だが、昨夜の布団と同じで、俺にとっては贅沢な環境だった。
乗客は俺たちの他に、数人の老人と、買い物袋を抱えた主婦だけ。ダンジョン関係者らしき人間は、見当たらなかった。
「平日の朝は空いてるんだよな」
佐野が窓の外を眺めながら言った。
「週末になると、冒険者志望のやつらで混むんだけど」
「冒険者志望、ですか」
「ああ。ダンジョンが出てから、冒険者は人気職業になったからな。特に若い奴らは、一発当てようって感じで集まってくる」
バスが発車した。
ガタン、と揺れる。エンジンが唸りを上げ、ゆっくりと速度を上げていく。
俺は窓の外の景色を眺めた。
最初は山間の道だった。昨日、俺が歩いてきたのと同じような、緑に囲まれた細い道。朝靄がかかり、木々の間から差し込む陽光が、幻想的な雰囲気を作り出していた。
やがて、道は開けた田園地帯に出た。
広大な水田が広がっている。稲穂はまだ青く、風に揺れていた。所々に農家の家屋が点在し、その合間を用水路が走っている。
平和な光景だ。
4年半前——ダンジョンが出現した頃——この景色は、どうだったのだろう。パニックに陥った人々、逃げ惑う車、軍のヘリコプター。そんなものが、この空を飛んでいたのかもしれない。
だが今は、静かだ。
人々は、ダンジョンとの共存を選んだ。
所々に、「ダンジョン注意」の標識が立っていた。黄色い菱形の看板に、黒い文字。まるで「野生動物注意」の標識のようだ。
ダンジョンが、日常の一部になっている。
「でも、現実は甘くない」
佐野が続けた。
「冒険者の9割は、E級かD級で止まる。C級以上になれるのは、ほんの一握りだ」
「そんなに難しいんですか」
「才能もいるし、運もいる。スキルを持ってるかどうかも大きいな。持ってない奴は、どうしても限界がある」
佐野は腕を組み、シートにもたれかかった。
「それに——死ぬリスクも高い」
佐野の声が、少しだけ低くなった。
「冒険者の死亡率、知ってるか?」
「いえ」
「E級ダンジョンでも、年間で数十人は死んでる。D級になると、もっと多い。C級以上は——まあ、言わなくても分かるだろ」
俺は黙って聞いていた。
「俺の知り合いにも、何人かいる。ダンジョンで死んだ奴」
「......」
「高校の同級生だった奴とか。一緒にパーティー組んでた奴とか」
佐野は窓の外を見つめた。
その目には、俺には計り知れない感情が浮かんでいた。
悲しみか。後悔か。あるいは、もっと複雑な何かか。
「まあ、脅かすつもりはないけどな」
佐野は首を振り、表情を切り替えた。
「ただ、冒険者ってのは、そういう仕事だってこと。毎日、命を賭けて戦う仕事だ」
「......はい」
「だから、生きて帰ることが一番大事だ。金より、名誉より、何より。死んだら、全部終わりだからな」
「肝に銘じておきます」
「ああ、そうしてくれ」
佐野がニカッと笑った。
その笑顔には、さっきまでの重さは消えていた。切り替えが早い。それも、冒険者として生きていくための、一つのスキルなのかもしれない。
「レイは才能あるからさ。探知スキルがあるなら、なおさらだ。長生きして、上を目指してほしい」
才能。
俺の「才能」は、人間のそれとは違う。
作られた能力。設計された性能。AIとしての演算能力と、改造された肉体。
それを「才能」と呼んでいいのかは、分からない。
だが——佐野の言葉は、素直に嬉しかった。
「......ありがとうございます」
「よせよ、照れるだろ」
佐野が笑いながら、俺の肩を軽く叩いた。
---
バスは、山間の道を抜け、徐々に開けた土地に入っていった。
道路が広くなる。片側二車線になり、街灯や標識が増えていく。
周囲の建物も変わった。
農家の家屋から、商店や工場に。そして、やがてビルが見え始めた。
「そろそろだな」
佐野が窓の外を指差した。
「あれが、関東第七管理都市だ」
前方に、都市の輪郭が見えてきた。
高層ビルがいくつか立ち並び、その周囲を中低層の建物が囲んでいる。空には、ヘリコプターが飛んでいた。
規模としては、大都市というほどではない。だが、山間の小さな町から来た俺にとっては、十分に「都会」だった。
「ダンジョン出現後に作られた都市だ」
佐野が説明を続けた。
「ダンジョン攻略の拠点として、政府が整備したんだ。この近辺には、大小合わせて20以上のダンジョンがある。それを攻略するための基地、みたいなもんだな」
「計画都市、ということですか」
「そうそう。だから、道路とかインフラは整ってる。治安もそこそこいい。冒険者にとっては、住みやすい町だよ」
バスは都市部に入っていった。
交通量が増える。乗用車、トラック、バイク。そして——明らかに「冒険者」と分かる装備をした人々が歩いている。
「いわば『冒険者の町』だな」
佐野の言葉通りだった。
---
40分後。
バスは、関東第七管理都市の中心部に到着した。
「終点です。お忘れ物のないよう、ご注意ください」
運転手のアナウンスが流れ、バスが停車した。
俺と佐野は、バスを降りた。
最初に感じたのは、空気の違いだった。
山間の町の澄んだ空気とは違う。排気ガスと、人の気配と、食べ物の匂いが混じった、都市特有の空気。
そして——人の多さ。
バス停の周囲だけでも、数十人の人間がいた。通りには、さらに多くの人々が行き交っている。
冒険者風の装備をした男女。スーツ姿のビジネスマン。学生らしき若者。買い物袋を下げた主婦。
様々な人間が、それぞれの目的で動いている。
「賑やかだろ?」
佐野が嬉しそうに言った。
「俺が初めて来た時も、ビビったよ。山奥で育ったからさ」
「......確かに、圧倒されます」
俺は周囲を見回しながら、自動的にデータを収集していた。
```
[観察結果]
・推定人口密度:1平方キロあたり約8,000人
・冒険者比率:目視で約30%
・装備レベル:E級〜C級が中心
・商業施設:武器屋、防具屋、素材屋、情報屋多数
・監視カメラ:主要交差点に設置(約50m間隔)
・警備員:ギルド方面に集中配置
・治安リスク:低〜中程度
```
治安は悪くなさそうだ。
だが、これだけの人間が集まる場所には、様々な思惑が渦巻いているはずだ。俺のような「秘密を抱えた存在」にとっては、油断できない環境だ。
「ギルドは駅前のビルに入ってる。こっちだ」
佐野が先導する。
俺はその後に続きながら、街の様子を観察し続けた。
通りには、様々な店が軒を連ねていた。
武器屋。ショーウィンドウには、剣や槍、弓などが並んでいる。「初心者向けセット特価!」という張り紙が目に入った。
防具屋。革鎧から金属鎧まで、様々な防具が展示されている。奥には、オーダーメイドの受付カウンターもあるようだ。
素材屋。ダンジョンで採取された素材を買い取り、加工して販売する店。店先には、ゴブリンの牙やスライムの核が並んでいた。
情報屋。ダンジョンの攻略情報や、パーティーメンバーの募集を扱う店。掲示板には、大量の紙が貼り付けられていた。
そして——配信関連の店も、いくつかあった。
「ダンジョン配信機材専門店」「配信者向けスキル訓練所」「切り抜き動画制作代行」
配信が、一つの産業になっている証拠だ。
俺は、それらの店を目に焼き付けた。
いずれ、俺もあの店で機材を買うことになる。そのために、今日は冒険者登録をする。
一歩ずつ、着実に。
---
5分ほど歩いて、目的地に着いた。
10階建てのビル。
周囲の建物よりも一回り大きく、ガラス張りの近代的な外観をしていた。入口の上には、大きな看板が掲げられている。
「関東冒険者ギルド・第七支部」
金色の文字が、朝日を反射して輝いていた。
入口の前には、数人の警備員が立っている。彼らは通行人を監視しつつ、不審者がいないかチェックしているようだった。
「ここだ」
佐野が立ち止まった。
「立派なビルですね」
「ああ。ギルドは半官半民の組織だからな。政府からの援助もあるし、登録料や手数料でも稼いでる。金はあるんだよ」
佐野はビルを見上げ、少し複雑そうな顔をした。
「......まあ、その分、官僚的なところもあるけどな。手続きとか、面倒なことも多い」
「そうなんですか」
「ああ。だから——」
佐野は俺の方を向いた。
「俺は外で待ってるよ」
「一緒に来てくれないんですか」
「俺がいると、かえって手続きが面倒になるかもしれないからな。『紹介者』とか『保証人』とか、余計な書類が増える可能性がある」
「なるほど」
「初回登録は、本人だけの方がスムーズだ。特に、お前みたいな『ダンジョン出身者特例』の場合はな」
佐野の言葉には、経験に基づく説得力があった。
彼も、かつてこのビルで登録手続きをしたのだろう。その時の経験が、今のアドバイスに繋がっている。
「分かりました」
俺は頷いた。
「終わったら連絡——あ、お前、携帯持ってないか」
「はい。持っていません」
「だよな。じゃあ、1時間くらいしたら、ここに戻ってきてくれ。この入口の前で待ってる」
「1時間ですね」
「ああ。もし早く終わったら、その辺をぶらぶらしててもいいぞ。見て回るだけでも、勉強になるからな」
「分かりました。ありがとうございます」
俺は頭を下げた。
「じゃあ、行ってきます」
「おう、頑張れ」
佐野が手を振る。
俺はビルの入口に向かって歩き出した。
警備員が、ちらりと俺を見た。だが、特に呼び止められることはなかった。冒険者志望の若者が訪れるのは、日常茶飯事なのだろう。
自動ドアが開く。
冷房の効いた空気が、肌を撫でた。外の熱気とは対照的な、快適な温度。
ロビーに足を踏み入れる。
広い。天井が高い。正面には大きな受付カウンターがあり、何人かの職員が座っている。
壁には巨大なモニターが設置され、ダンジョン関連のニュースや、冒険者ランキングが表示されていた。
そして——多くの人がいた。
冒険者風の男女。スーツ姿のビジネスマン。学生らしき若者たち。様々な人間が、それぞれの目的でギルドを訪れている。
俺は立ち止まり、ロビー全体を見渡した。
左手に「新規登録」、右手に「依頼受付」、正面奥に「ランクアップ審査」——案内板が、各窓口の位置を示していた。
俺が目指すのは、左手だ。
「新規登録」の窓口に向かう。
列は短かった。3人ほどが並んでいるだけだ。
俺は列の最後尾につき、順番を待った。
前に並んでいるのは、若い男女のペアと、中年の男性。どちらも緊張した面持ちで、窓口の様子を窺っていた。
俺も、同じように緊張しているフリをした。
実際には、緊張はしていない。俺のシステムは、常に冷静だ。だが、「普通の人間」なら、こういう場面では緊張するはずだ。
人間のフリをする。
それが、今の俺の最優先事項だ。
---
10分後。
俺の番が来た。
「次の方、どうぞ」
窓口から声がかかった。
俺はカウンターに近づいた。
窓口には、若い女性の職員が座っていた。黒髪をポニーテールにまとめ、銀縁の眼鏡をかけている。
真面目そうな印象だ。年齢は20代後半くらいだろうか。胸元には「山岸」と書かれた名札が付いていた。
「新規登録ですね」
山岸と名乗る職員は、事務的な口調で言った。
「こちらの用紙に記入をお願いします」
用紙を渡された。
受け取り、内容を確認する。
名前、年齢、住所、連絡先、職歴、学歴、緊急連絡先、保有スキル、既往症——
書けない項目ばかりだ。
「すみません」
俺は職員に声をかけた。
「記憶喪失で、ほとんど分からないのですが」
職員——山岸が顔を上げた。
俺の顔を見て、一瞬だけ目を細めた。観察しているのだ。嘘をついていないか、確認しているのだろう。
だが、すぐに表情を戻した。
「ダンジョン出身者特例ですね」
「はい」
「そういうケースは珍しくありません。ダンジョン内での事故や、魔物の特殊能力による記憶喪失は、毎月何件か報告されています」
山岸は引き出しから、別の用紙を取り出した。
「こちらの用紙をお使いください。項目が少なくなっています」
新しい用紙を受け取る。
「仮名」「推定年齢」「外見的特徴」「保有スキル(あれば)」「発見場所」「発見日時」——
確かに、項目は少ない。だが——「発見場所」「発見日時」という欄があった。
「発見場所と発見日時は、どう書けばいいですか」
「記憶にある範囲で構いません。不明な場合は『不明』と記入してください」
「分かりました」
俺はペンを取り、用紙に記入を始めた。
仮名:零
推定年齢:20歳
外見的特徴:黒髪、黒目、身長約175cm、特徴的な傷や痣なし
保有スキル:探知系(詳細不明)
発見場所:██県山間部(詳細不明)
発見日時:2034年5月15日頃
書き終えて、用紙を職員に渡した。
山岸は用紙を確認し、いくつかの項目をチェックしていく。
「零さん、ですね。漢字は——」
「数字の零です」
「了解しました」
キーボードを叩く音が響く。
「推定年齢20歳。探知系スキルの可能性あり。発見場所は██県山間部」
山岸は画面を見ながら、データを入力していく。
「スキルの詳細は、判明次第更新できます。実際にダンジョンで活動する中で、詳細が分かることも多いです」
「はい」
「では——」
山岸が俺を見た。
「簡単な身体検査を行います。奥の検査室へご案内しますので、お付きください」
身体検査。
これが、最大の関門だ。
俺の体は、人間の限界を超えている。心拍数、血圧、筋力、反射速度——どれを測定しても、異常値が出るはずだ。
だが——対策は考えてある。
「分かりました」
俺は頷いた。
山岸が立ち上がり、俺を案内する。
カウンターの奥にあるドアを通り、廊下を進む。
廊下の両側には、いくつかのドアが並んでいた。「検査室1」「検査室2」「面談室」「医務室」——
山岸は「検査室3」の前で立ち止まった。
「こちらです。中でお待ちください。すぐに検査担当者が参ります」
「ありがとうございます」
俺はドアを開け、検査室に入った。
ドアが閉まる。
俺は一人、検査室に取り残された。
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