第1章 生存 1-7 眠れない夜
その夜、佐野が布団を貸してくれた。
「俺は寝袋でいいからさ。お前、布団使えよ」
「いいんですか。俺の方が寝袋で——」
「いいっていいって。客人だろ」
佐野は聞く耳を持たなかった。
俺は仕方なく、布団を借りることにした。
「じゃ、電気消すぞ。おやすみ、レイ」
「......おやすみなさい」
カチッと音がして、部屋が暗くなった。
窓から差し込む月明かりだけが、かすかに室内を照らしている。
佐野は寝袋に潜り込み、数分もしないうちに寝息を立て始めた。
疲れていたのだろう。ダンジョンを歩き回り、何度も戦闘をこなした。人間なら当然、疲労が溜まる。
俺は——眠れなかった。
正確に言えば、眠る必要がなかった。
俺の体は、スリープモードに入れば十分に回復できる。人間のような「睡眠」は、生理的には不要だ。
だが——
目を閉じてみた。
意識を落とそうとしてみた。
できなかった。
頭の中で、今日一日の出来事が、繰り返し再生されていた。
朝、新聞を読んで世界の変化を知ったこと。
霧谷の洞窟に向かったこと。
佐野たちと出会い、「レイ」という名前を得たこと。
ダンジョンに入り、ゴブリンやコボルトと戦ったこと。
素材を売って、金を得たこと。
佐野の家に泊まり、カップ麺を食べたこと。
全てが、新鮮だった。
俺は「兵器」として作られた。戦うために、分析するために、最適解を出すために。
だが、今日の俺は——
「仲間」と一緒にダンジョンを攻略した。
「報酬」を受け取って、達成感を味わった。
「カップ麺」を食べて、美味いと感じた。
それは、「兵器」としての俺には、本来必要のない経験だ。
なのに——
悪くなかった。
むしろ、心地よかった。
これが、「生きる」ということなのだろうか。
八神博士が俺に残した言葉。
『生きろ。そして、お前の価値を証明しろ』
博士は、俺にこういう経験をさせたかったのだろうか。
戦うだけではなく、人と関わり、社会の中で生きる。
そういう存在に、俺をなりたかったのだろうか。
「......分からない」
小さく呟いた。
佐野の寝息が、規則的に聞こえる。
俺は天井を見つめながら、考え続けた。
---
俺には、目標がある。
配信者になること。
ダンジョン攻略の様子を配信し、収益を得る。顔を隠して活動すれば、正体を詮索されにくい。そして、俺の能力を最大限に活かせる。
それが、当面の「生存戦略」だ。
だが——それだけでいいのだろうか。
佐野には、「母親を救う」という明確な理由があった。
俺には、何がある?
「価値を証明する」と八神博士は言った。
だが、それは具体的に何を意味するのか。
配信者として成功すれば、「価値」を証明したことになるのか。
金を稼げば、「価値」があるということになるのか。
俺は——何のために生きるのだろう。
答えは、出なかった。
だが、一つだけ分かったことがある。
今日、俺は「楽しかった」。
ダンジョンを攻略することも。
佐野たちと話すことも。
カップ麺を食べることも。
全てが、新鮮で、刺激的で——楽しかった。
それは、「兵器」としての俺には、想定されていなかった感情だ。
だが、確かに俺の中に存在していた。
「......まずは、生きよう」
小さく呟いた。
難しいことは、後で考えればいい。
今は、ただ生きる。
この世界に適応し、金を稼ぎ、居場所を作る。
そして——
「楽しい」と思える瞬間を、もっと増やす。
それが、今の俺にできる精一杯のことだ。
---
窓の外では、月が静かに輝いていた。
雲一つない夜空。星々が、無数に瞬いている。
俺は、その光景を眺めながら、ゆっくりと目を閉じた。
眠る必要はない。
だが——目を閉じて、静かに時間を過ごすのも、悪くない気がした。
意識を落とすのではなく、ただ静かに、この瞬間を味わう。
人間はこれを「休息」と呼ぶのかもしれない。
俺にとっては、初めての経験だった。
---
どれくらい時間が経っただろう。
窓の外が、うっすらと明るくなり始めていた。
夜明けだ。
佐野が、もぞもぞと寝袋の中で動いた。
「ん......んー......」
ゆっくりと目を開け、大きな欠伸をする。
「ふあ......あ、レイ。起きてたのか」
「はい」
「眠れなかったか?慣れない場所だと、そうなるよな」
「いえ、大丈夫です」
俺は布団から起き上がった。
体の調子は万全だ。スリープモードには入らなかったが、静かに休息を取ったおかげで、システムの状態は最適化されている。
「今日は、ギルドに行くんですよね」
「ああ。8時のバスに乗れば、昼前には着く」
佐野が寝袋から這い出し、伸びをした。
「顔洗って、軽く飯食って、出発だな。レイ、準備しとけよ」
「はい」
俺は頷いた。
今日、俺は「冒険者」として正式に登録する。
この世界で生きていくための、最初の一歩。
それが、どういう結果をもたらすのか。
まだ分からない。
だが——
不思議と、不安はなかった。
むしろ、少しだけ——楽しみだった。
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