第1章 生存 1-6 佐野の家



佐野のアパートは、ダンジョンの麓にある小さな町の外れにあった。


築年数は30年を超えているだろう。外壁の塗装は剥げかけ、階段の手すりは錆びている。お世辞にも綺麗とは言えない建物だった。


「ボロいだろ。家賃が安いんだよ」


佐野が苦笑しながら階段を上る。


2階の一番奥の部屋。ドアを開けると、六畳一間の空間が広がっていた。


窓際に敷かれた布団。小さなテレビ。年季の入った冷蔵庫。壁際には衣類が積まれ、床には雑誌が散らばっている。


「汚くて悪いな。一人暮らしだと、どうしても荒れる」


「いえ......十分です」


俺にとっては、雨風をしのげるだけで十分すぎる環境だった。


研究施設で目覚めてから、まともな「部屋」というものに入ったのは初めてだ。


佐野は冷蔵庫を開け、中を覗き込んだ。


「えーと......カップ麺しかないな。それでいいか?」


「ありがたいです」


「よし、お湯沸かすから待っててくれ」


佐野が電気ケトルに水を入れる。


俺は部屋の中を見回した。


壁には、一枚の認定証が飾られていた。


「E級冒険者・佐野タクヤ」


簡素なカードを額縁に入れ、大切そうに飾っている。


その隣には、何枚かの写真があった。


若い男女の集合写真。笑顔で写っている彼らの中に、佐野の顔もあった。制服を着ているから、高校時代のものだろう。


「それ、高校の時の写真」


佐野が二つのカップ麺を持ってきた。


「みんな、ダンジョンが出てきてからバラバラになっちまった。田舎に帰った奴、都会に出た奴、冒険者になった奴......」


「......皆さん、元気にしてるんですか」


「さあな。連絡取れなくなった奴もいる」


佐野は淡々と言った。


だが、その目はどこか寂しげだった。


お湯が沸き、カップ麺に注がれる。


「3分待てよ」


佐野がテレビのリモコンを手に取った。


画面に映し出されたのは、ニュース番組だった。


『——続いてのニュースです。人気ダンジョン配信者の氷室レイジさんが、本日、登録者数500万人を突破しました』


画面に、一人の青年が映る。


銀髪に、整った顔立ち。氷のように冷たい目をしているが、どこか人を惹きつける雰囲気があった。


『氷室さんは、A級ダンジョンをソロで攻略することで知られ、その圧倒的な実力と、クールな配信スタイルで人気を博しています』


「氷室レイジ......」


佐野が画面を見ながら呟いた。


「すげえよな、こいつ。俺と同い年くらいなのに、もう年収億超えてるらしいぜ」


「配信者として、トップクラスなんですか」


「トップクラスどころか、トップだよ。ダンジョン配信者の中で、登録者数も収益も断トツ」


佐野はため息をついた。


「俺も最初は、ああなりたいって思ってたんだけどな。現実は甘くねえ」


「佐野さんも、配信を?」


「やってたよ、一時期。でも全然伸びなくてさ。E級冒険者がゴブリン倒してるだけの動画なんて、誰も見ないんだよな」


自嘲気味に笑う。


「今は普通に冒険者やって、素材売って、地道に稼いでる。配信は......まあ、夢のまた夢だ」


俺は、画面の中の氷室レイジを見つめていた。


A級ダンジョンをソロ攻略。登録者500万人。年収億超え。


彼は「人間」だ。


スキルはあるのだろうが、それでも人間の範疇のはずだ。


それに対して、俺は——


俺のスペックなら、彼を超えることは難しくない。


分析力、反応速度、戦闘能力。全てにおいて、俺は人間の限界を超えている。


だが、それを見せることはできない。


「人間のフリ」をしながら、配信で成り上がる。


それが、どれほど難しいことか。


「——なあ、レイ」


佐野の声で、俺は思考を中断した。


「お前は、なんでダンジョンに来たんだ?」


「......なんで、とは」


「目的っていうか、理由っていうか。冒険者になろうと思った理由」


俺は、どう答えるべきか考えた。


本当の理由は言えない。


「国家機密のプロジェクトで作られた改造人間で、廃棄されたから、生き延びるために金を稼ぎたい」——そんなことを言えるはずがない。


「......分からないんです」


結局、また同じ答えになった。


「記憶がないから。自分が何者なのかも、何をすべきなのかも」


「そうか......」


佐野はカップ麺をすすりながら、少し考え込んだ。


「まあ、焦ることないさ」


やがて、そう言った。


「生きてれば、そのうち見つかるよ。やりたいこと」


「......そうでしょうか」


「俺はそう思う」


佐野は窓の外を見た。


夜空に、星が瞬いている。


「俺だって、最初は分からなかった。なんで冒険者やってるのか、何がしたいのか」


「今は、分かるんですか」


「ああ」


佐野は頷いた。


「母ちゃんを助けたい。それが、俺の理由だ」


「お母さん......」


「うちは母子家庭でさ。親父は俺が小さい頃に出てった。母ちゃんが一人で俺を育ててくれたんだ」


佐野の声が、少しだけ低くなった。


「でも、2年前に母ちゃんが病気になった。治療費がヤバくて、普通に働いてたら間に合わない。だから、ダンジョンで稼ぐことにしたんだ」


「......大変、ですね」


「まあな」


佐野は笑った。


だが、その笑顔には、重いものが乗っていた。


「E級じゃ大した金にならないけど、いつかはD級、C級に上がって、もっと稀少な素材を取れるようになりたい。そうすれば、母ちゃんの治療費も、手術代も、全部払える」


夢を語る佐野の目には、強い光があった。


「だから俺は、諦めない。何年かかっても、絶対に上に行く」


俺は、その言葉を黙って聞いていた。


佐野には、明確な「理由」がある。


守りたいもの、救いたいもの、目指すべき場所。


それに対して、俺は——


俺には、何がある?


八神博士の言葉が、脳裏をよぎった。


『生きろ。そして、お前の価値を証明しろ』


価値を証明する。


それが、俺の「理由」になるのだろうか。


「——なんか、重い話しちまったな」


佐野が頭を掻いた。


「悪い、忘れてくれ。カップ麺、伸びちまうぞ」


「あ......はい」


俺もカップ麺を口に運んだ。


味覚センサーが、塩分と脂質の数値を表示する。栄養バランスとしては最悪だ。


だが——


「......美味い」


「だろ?」


佐野がニカッと笑った。


「安いカップ麺でも、腹減ってると美味いんだよ」


俺は——笑い返していた。


自分でも驚いた。


笑顔を「演じる」のではなく、自然と笑っていた。


これが、「人間らしさ」なのだろうか。


まだ、よく分からない。


だが——悪くない感覚だった。

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