第1章:生存 1-1:四年後の世界
夜明けまで歩き続けた。
研究施設があったのは山間部だった。舗装されていない道を下り、朽ちかけた林道を抜け、ようやく人の気配がある場所に辿り着いたのは、空が白み始めた頃だった。
小さな町だ。
いや、町と呼んでいいのかも分からない。
コンビニエンスストアが一軒。古びたガソリンスタンド。錆びた看板を掲げた食堂。それだけの、寂れた集落だった。
だが、俺にとっては十分だった。
コンビニの軒先に、新聞が積まれているのが見えた。
配達を待つ朝刊の束。その一部を——悪いとは思ったが、一部拝借した。後で必ず返す。あるいは、金を手に入れたら払う。
新聞を広げる。
まず確認したのは、日付だった。
2034年5月17日。
俺が最後に認識していた日付は、2029年の10月。つまり、システムログの解析通り、約4年半の時間が経過している。
4年半。
その時間の重みを、俺はまだ理解できていなかった。
次に、紙面を読み込んでいく。
AIの処理能力を使えば、新聞一部の情報を読み取るのに30秒もかからない。見出し、本文、広告、株価欄——全てのデータを脳内にインプットし、分析にかける。
結果は、想像以上だった。
「......世界は、変わったな」
思わず声に出していた。
ダンジョン。
俺が眠りについた4年半前、ダンジョンは「脅威」だった。突然現れた異界の迷宮。そこから溢れ出すモンスター。人類は対応に追われ、各国は混乱の渦中にあった。
八神博士が俺を作ったのも、その脅威に対抗するためだった。
だが今、新聞の紙面にはこう書かれている。
『ダンジョン関連産業、GDP比率15%を突破』
『大手ダンジョン探索企業、株価最高値更新』
『人気ダンジョン配信者・氷室レイジ、登録者500万人達成』
ダンジョンは、産業になっていた。
脅威ではなく、資源として。恐怖ではなく、ビジネスとして。人類はダンジョンを「攻略」し、そこから素材を得て、経済を回す仕組みを作り上げていた。
そして——「ダンジョン配信者」という職業が存在していた。
新聞の片隅に、その解説記事がある。
『ダンジョン配信者とは、ダンジョン探索の様子をリアルタイムで配信し、視聴者から収益を得る職業。トップ配信者の年収は数億円に達するとも言われ、若者の憧れの職業ランキングでも上位に入る——』
俺は記事を何度か読み返した。
ダンジョン探索が「見世物」になっている。
4年半前には考えられなかったことだ。当時、ダンジョンに潜るのは命がけの任務だった。軍や特殊部隊が投入され、多くの犠牲者が出ていた。
それが今では、一般人が「配信」しながら探索している。
世界は、本当に変わったのだ。
俺は新聞を畳み、空を見上げた。
朝日が山の稜線から顔を出し始めている。
4年半の間に、人類はダンジョンとの共存を選んだ。恐怖を克服し、利益に変えた。
その適応力は、素直に感心に値する。
だが——俺はどうだ。
俺は4年半前のまま、この新しい世界に放り出された。
身分証明書もない。金もない。社会的な存在証明が、何一つない。
公的には、俺は「存在しない人間」だ。いや、そもそも俺は人間なのだろうか。人間だった体に、AI頭脳を移植され、魔物の素材と薬物で強化された「何か」。
それが、俺だ。
「......考えていても仕方ない」
思考を切り替える。
感傷に浸っている場合ではない。まずは現状を把握し、最適な生存戦略を構築する必要がある。
AIとしての俺の強みは、分析力と適応力だ。
4年半のブランクがあっても、それは変わらない。
俺の頭脳が、自動的に分析を始める。
```
[分析]
現状:身分証明なし、資金なし、社会的基盤なし
目標:生存のための資金獲得
選択肢:
①一般的な労働(※身分証明がないため困難)
②違法な手段(※リスク大、推奨せず)
③ダンジョン探索による素材売却(※冒険者登録が必要)
④ダンジョン配信(※初期投資が必要だが、身分確認が比較的緩い可能性)
```
選択肢は限られている。
一般的な労働は、身分証明がなければ難しい。違法な手段は論外だ。八神博士は俺を「兵器」として作ったが、犯罪者として作ったわけではない。
となれば、残るはダンジョン関連だ。
冒険者登録をして、素材を売却する。あるいは、配信で収益を得る。
配信という選択肢は、特に魅力的に思えた。
顔を出さなければ、身元を隠せる可能性がある。そして、俺の分析力と戦闘能力を使えば——効率的な攻略ができるはずだ。
ただし、問題もある。
俺は「人間ではない」。
正確には——人間の限界を遥かに超えた性能を持っている。普通に動けば、確実に怪しまれる。
人間のフリをしながら生きる。
それが、俺に課せられた制約だ。
「......まずは、情報収集を続けるか」
新聞だけでは足りない。より詳細な情報が必要だ。
ダンジョン産業の仕組み、配信者の実態、冒険者登録の方法——全てを把握しなければならない。
そのためには、ネット環境と、より多くの資料が必要だ。
俺はコンビニに向かって歩き出した。
自動ドアが開く。涼しい空気が肌を撫でた。
店内には、深夜バイトと思われる若い男が一人、レジの奥で欠伸をしていた。
「いらっしゃいませー」
気のない声。こちらを見もしない。
好都合だ。
俺は店内を歩き、雑誌コーナーに向かった。
ダンジョン関連の雑誌が何冊か並んでいる。
『月刊ダンジョンウォーカー』
『配信者名鑑2034』
『初心者のためのダンジョン入門』
手に取り、ページをめくる。
俺の処理能力なら、1冊を読み込むのに40秒もかからない。次々とページをめくり、情報を吸収していく。
5冊で3分20秒。
店員が不審に思う前に、必要な情報は全て頭に入った。
結論。
冒険者登録は、「ギルド」と呼ばれる組織で行う。身分証明は必要だが、「ダンジョン出身者」——つまり、ダンジョン内で発生した特殊な状況で記憶や身元を失った者に対しては、特例措置があるらしい。
これは使える。
「記憶喪失のダンジョン出身者」として登録すれば、身元を詮索されずに済む可能性がある。
そして、配信活動については——機材さえあれば、今日からでも始められる。
問題は、その「機材」を買う金がないことだ。
最低限の配信機材を揃えるには、10万円程度は必要だろう。今の俺の手持ちは——0円。
「......まずは素材を売るしかないな」
ダンジョンに潜り、モンスターを倒し、素材を売却する。
それで初期資金を作る。
シンプルな計画だ。
俺は雑誌を棚に戻し、コンビニを出た。
外は、すっかり明るくなっていた。
空気が澄んでいる。山間部特有の、冷たく清浄な空気だ。
俺は深呼吸をした。
必要はないはずなのに、自然とそうしていた。
人間らしい仕草。無意識に出てしまう。
俺の中には、人間だった頃の——いや、「人間として作られた」部分の記憶が、まだ残っているのかもしれない。
最寄りのダンジョンを検索する。
脳内のマッピング機能と、先ほど雑誌から得た情報を照合。
この町から最も近いダンジョンは——徒歩で約2時間の場所にある、E級ダンジョン「霧谷の洞窟」。
初心者向けの低難度ダンジョン。出現するモンスターはゴブリン、スライム、コボルトなどの雑魚ばかり。素材の買取価格も安いが、危険度も低い。
今の俺には十分だ。
「行くか」
俺は歩き出した。
朝日が、俺の背中を照らしている。
4年半の眠りから覚めて、最初の朝。
俺は——生きることを、選んだ。
八神博士の言葉が、脳裏をよぎる。
『生きろ。そして、お前の価値を証明しろ』
価値を証明する。
それが何を意味するのか、俺にはまだ分からない。
だが、まずは生きなければ、何も始まらない。
一歩ずつ、着実に。
俺は、この新しい世界を歩き始めた。
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