第十八章 十柱目の試練

黒鉄帝国の領土に入って、三日が経った。


 道明たちは、帝国の南部にある古い遺跡を目指していた。そこに、十柱目の神霊——「審判の神霊」が封印されているという。


「この先です」


 リーゼルが、指さした。


 森の向こうに、石造りの塔が見えた。


 崩れかけた塔だ。壁には蔦が絡まり、頂上は欠けている。だが、かすかな光が——塔の内部から、漏れ出していた。


「あれが、十柱目のいる場所か」


「はい。『審判の塔』と呼ばれています」


 道明は、馬車を止めた。


「待っていろ」


「え?」


「俺一人で、行く」


 リーゼルが、慌てた顔をした。


「でも、危険です——」


「『試練』を受けるのは、俺だけだ。お前がいると——」


「……邪魔になる、ってことですか」


「違う。お前を——巻き込みたくないんだ」


 リーゼルは、しばらく道明を見つめていた。


 それから、小さく頷いた。


「……わかりました。待っています」


「ああ。すぐ戻る」


 道明は、馬車を降りた。


 塔に向かって、歩き始める。


 森を抜け、塔の前に立つ。


 入口には、扉がなかった。ただ、暗い空間が——口を開けているだけ。


 道明は、中に入った。


         ◇


 塔の内部は、予想以上に広かった。


 螺旋階段が、上へと続いている。


 道明は、階段を上り始めた。


 一段、また一段。


 足音が、石の壁に反響する。


 どこまで上っても、景色は変わらない。同じような石壁。同じような階段。同じような暗さ。


 ——どれくらい、上っただろう。


 道明は、立ち止まった。


 息が上がっている。足が重い。五十六歳の身体には、この階段はきつい。


 だが——止まるわけには、いかない。


 道明は、また歩き始めた。


 やがて——光が、見えてきた。


 階段の終わり。その先に、開けた空間がある。


 道明は、最後の一段を上った。


 そこには——誰もいなかった。


 ただ、部屋の中央に——鏡があった。


 巨大な、金色の鏡。


 道明は、鏡に近づいた。


 自分の姿が、映っている。——いや、違う。


 鏡の中の自分は——若かった。


 三十歳くらいだろうか。髪は黒く、皺もない。かつての——自分の姿。


『——来たか、御者よ』


 声が、響いた。


 鏡の中から——ではない。部屋全体から。あるいは、道明自身の中から。


「お前が、十柱目か」


『ああ。わしは、審判の神霊。御者の資格を——試す者だ』


「試練を、受けに来た」


『そうか。——では、問おう』


 鏡が、光り始めた。


『お前は、何のために走る?』


 何のために走る。


 道明は、その問いを、心の中で繰り返した。


「客を、目的地まで送り届けるためだ」


『それだけか?』


「それだけだ」


『嘘だな』


 鏡の光が、強くなった。


 道明の身体が——硬直する。


『お前は、嘘をついている。自分自身にも、わしにも』


「嘘……?」


『「客を目的地まで送り届ける」——それは、確かに真実だ。だが、それが「全て」ではない。お前には——もっと深い理由があるはずだ』


 道明は、黙っていた。


 鏡の中の自分が——こちらを、見つめている。


『なぜ、タクシー運転手になった』


「金が、必要だったからだ」


『なぜ、二十五年も続けた』


「他に、できることが——」


『嘘だ』


 鏡の光が、さらに強くなった。


 道明の頭に——痛みが、走る。


『嘘は、通用しない。——本当のことを、言え』


 道明は、目を閉じた。


 記憶が——蘇ってくる。


 二十五年前。初めてタクシーに乗った日。


 妻の智子が、笑って言った言葉。


 ——「頑張ってね、あなた」


 娘の美咲が、小さな手を振った姿。


 ——「パパ、おしごとがんばって」


 あの頃は——幸せだった。


 だが、いつからだろう。


 仕事に追われるようになった。家族との時間が、減っていった。


 妻との会話は、少なくなった。娘の成長を、見逃すようになった。


 そして——離婚。


 娘との、断絶。


 ——「親父、私のこと、どうでもいいんでしょ」


 あの言葉が——今でも、胸に突き刺さっている。


「……逃げていた」


 道明が、呟いた。


『何から』


「家族から。——自分の無力さから」


 道明は、目を開けた。


 鏡の中の自分を、見つめる。


「俺は——家族を、幸せにできなかった。だから、仕事に逃げた。タクシーの中なら——誰も、俺を責めない。客を送り届ければ——それで、仕事は終わる。簡単だ。——家族を守るより、ずっと簡単だ」


 沈黙が、流れた。


 鏡の光が——弱まっていく。


『……続けろ』


「二十五年間、俺は——走り続けてきた。でも、本当は——」


 道明の声が、震えた。


「本当は——逃げ続けてきただけだ。家族から。自分から。——人生から」


『なぜ、この世界に来た』


「俺を——呼んだのは、リーゼルだ。俺は——」


『違う』


 声が、鋭く響いた。


『お前を呼んだのは、確かにリーゼルだ。だが——お前が「応じた」のは、なぜだ』


 道明は、黙っていた。


 答えが——見つからなかった。


 いや、違う。


 答えは——ある。


 ただ、認めたくないだけだ。


「……やり直したかった」


 道明が、小さな声で言った。


『何を』


「人生を。——俺は、この世界に来て——やり直したかったんだ。元の世界で、失敗した人生を」


 鏡の光が——完全に、消えた。


 代わりに、鏡の中に——何かが、現れた。


 人の姿だ。


 老人——ではない。若い男。道明と同じくらいの背丈。だが、顔は——光に包まれていて、見えない。


『——それが、お前の本心か』


「ああ」


『認めるのか。自分が、逃げていたことを』


「認める」


『やり直したいと、思っているのか』


「思っている」


 沈黙。


 長い、長い沈黙。


 そして——


『……合格だ』


「え……」


『お前は、嘘をつかなかった。自分の弱さを、認めた。——それが、御者の資格だ』


 道明は、呆然としていた。


「それだけ、か」


『それだけだ。御者に必要なのは、強さではない。誠実さだ。——客に対しても、自分に対しても』


 光の人物が——道明に、手を伸ばした。


『わしを、乗せろ。御者よ』


 光が、道明の身体に流れ込んでくる。


 温かい。だが、同時に——厳しい。


 審判の光。真実の光。


「……十柱目、か」


『ああ。あと二柱だ。——だが、その前に』


「何だ」


『一つ、伝えておくことがある』


 光の人物の声が——低くなった。


『十一柱目と十二柱目は、帝国の首都にある。そして——十二柱目は、「闘争の御者」に囚われている』


「黒沢、か」


『そうだ。彼を倒さなければ、十二柱目は——解放できない』


 道明は、頷いた。


「わかっている」


『覚悟は、あるか』


「最初から、ある」


 光が——消えていった。


 道明は、一人、塔の頂上に立っていた。


 窓から、外が見える。


 遠くに——黒い城が、そびえていた。


 黒鉄帝国の首都。


 ——行くしかない。


 道明は、階段を下り始めた。

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