第十七章 リーゼルの罪

北の雪原を抜けて、聖都への帰路についた道明たちは、途中の宿場町で一晩を過ごすことにした。


 九柱の神霊を乗せた今、道明の身体には相当な負担がかかっていた。紋章は以前よりもさらに明るく輝き、力は確実に増している。だが、同時に——疲労も、蓄積していた。


「道明さん、今日はゆっくり休んでください」


 リーゼルが、心配そうに言った。


「ああ……そうさせてもらう」


 道明は、宿の部屋のベッドに横たわった。


 天井を見つめる。木目が、複雑な模様を描いている。


 ——あと三柱。


 残りの神霊は、全て黒鉄帝国の領土にある。つまり、敵地に乗り込まなければならない。


 それは、これまでの旅とは比較にならないほど危険な挑戦になるだろう。


「道明さん」


 リーゼルの声が、聞こえた。


 道明は、首を傾けて彼女を見た。


 彼女は、窓際に立っていた。夕日が、その横顔を照らしている。


「……話があります」


「何だ」


「私の——罪について」


 道明は、ゆっくりと身体を起こした。


「罪?」


「はい。千年前のことです」


 リーゼルは、しばらく黙っていた。


 それから、ゆっくりと話し始めた。


「千年前、この世界は——今よりもずっと、力に満ちていました」


「力?」


「はい。神霊たちが、世界中に存在していました。十二柱だけではなく、もっと多くの神霊が。彼らは、人間と共に生き、世界を守っていました」


 リーゼルの声は、静かだった。


「でも、ある時——戦争が、始まりました」


「戦争……」


「はい。人間同士の、大きな戦争です。国と国が争い、街が焼かれ、多くの人が死にました。そして——」


「神霊たちも、巻き込まれた」


「はい。人間たちは、神霊の力を——武器として、使おうとしました」


 リーゼルの声が、震えた。


「最初は、守護のためでした。自分たちの国を守るために、神霊の力を借りる。それは、正当な行為だと——誰もが、そう思っていました」


「だが、変わった」


「はい。やがて、神霊の力を——奪おうとする者が、現れました」


 道明は、黙って聞いていた。


「彼らは、神霊を捕らえ、その力を吸い取る術を編み出しました。——『闘争の御者』の始祖です」


「黒沢と、同じか」


「はい。彼らは、神霊を道具として扱いました。乗客として敬うのではなく、搾取する対象として」


 リーゼルの目に、涙が浮かんだ。


「神霊たちは、一柱また一柱と——囚われていきました。このままでは、世界そのものが——滅んでしまう」


「それで、お前は——」


「はい。私は——神霊たちを、封印しました」


 リーゼルが、道明を見た。


 その目には、深い悲しみが宿っていた。


「十二柱の、最も強力な神霊たち。彼らを——世界の各地に、隠しました。『闘争の御者』から、守るために」


「だが、代償があった」


「はい」


 リーゼルが、頷いた。


「神霊たちがいなくなった世界は——徐々に、力を失っていきました。作物は育たなくなり、病が蔓延し、魔物が増え——」


「百年前の戦争も、その結果か」


「はい。世界が弱くなったから、黒鉄帝国が——力を増すことができた。御者の一族が滅んだのも——」


「お前のせいじゃない」


 道明が、きっぱりと言った。


「え……」


「お前は、世界を守るために、最善の選択をした。その結果が、お前の予想と違っただけだ。——それは、罪じゃない」


「でも——」


「リーゼル」


 道明が、ベッドから立ち上がった。


 リーゼルの前に、歩み寄る。


「お前がいなかったら、千年前に世界は滅んでいた。お前が神霊を守ったから、今、俺がここにいる。——それは、事実だ」


「……」


「お前は、間違ってない。むしろ——感謝してる」


 リーゼルの目から、涙が溢れた。


「道明さん……」


「泣くな」


 道明は、ポケットからハンカチを取り出した。——いや、この世界にハンカチはない。代わりに、清潔な布を。


「これで、拭け」


「あ、ありがとうございます……」


 リーゼルが、涙を拭いた。


 道明は、窓の外を見た。


 夕日が、沈んでいく。


「リーゼル、俺は——神霊たちを、全員解放する」


「……はい」


「それが、お前の『罪』を——もし、それを罪と呼ぶなら——清算することになる」


「清算……」


「ああ。お前が千年前にやったことは、『保留』だったんだ。神霊たちを守るために、一時的に隠した。——そして今、俺が『解放』する。それで、完成だ」


 リーゼルは、しばらく道明を見つめていた。


 それから——小さく、笑った。


「……道明さんは、本当に——不思議な人ですね」


「よく言われる」


「私、千年間——ずっと、自分を責めていました。でも——」


「でも?」


「道明さんに会えて——よかったです」


 道明は、少しだけ照れくさそうに、視線を逸らした。


「……まあ、俺も——お前に会えて、よかったと思ってる」


「本当ですか?」


「本当だ。——お前がいなかったら、俺は——この世界で、一人で途方に暮れていただろうからな」


 二人は、しばらく黙っていた。


 夕日が、完全に沈んでいく。


 窓から、星が見え始めた。


「道明さん」


「何だ」


「明日から——帝国に、乗り込むんですよね」


「ああ」


「私も——一緒に、行きます」


「……危険だぞ」


「知ってます。でも——」


 リーゼルが、道明の目を見た。


「私の罪を、清算するためです。——最後まで、付き合わせてください」


 道明は、彼女を見つめた。


 その目には、決意が宿っている。


「……わかった」


 道明は、頷いた。


「一緒に、行こう」


         ◇


 翌朝。


 二人は、宿を出発した。


 天輪号は、南へ向かって走り始めた。


 黒鉄帝国へ。


 残り三柱の神霊を求めて。


「道明さん」


 リーゼルが、声をかけた。


「何だ」


「十柱目の神霊は——特別な存在です」


「特別?」


「はい。『審判の神霊』と呼ばれています。御者の資格を——試す存在です」


「試す?」


「はい。十柱目を乗せるためには——『試練』を、受けなければなりません」


 道明は、前を見つめていた。


「どんな試練だ」


「わかりません。神霊によって、違うそうです。——ただ、一つだけ言えることがあります」


「何だ」


「嘘は、通用しません」


 嘘は、通用しない。


 道明は、その言葉を、心の中で繰り返した。


「……いいだろう」


「え?」


「俺は、嘘をつくつもりはない。——二十五年間、客に嘘をついたことはない。これからも、そうだ」


 リーゼルは、道明を見つめた。


 それから、小さく笑った。


「……道明さんなら、大丈夫ですね」


「当然だ」


 馬車は、南へ向かって走り続けた。


 やがて——国境が、見えてきた。


 聖車国と、黒鉄帝国の境界。


 そこには——検問所があった。


「止まれ!」


 帝国の兵士たちが、道を塞いだ。


「ここから先は、黒鉄帝国の領土だ。許可証を見せろ」


 道明は、馬車を止めた。


「許可証は、ない」


「ないだと? なら、通すわけには——」


 兵士が、言葉を止めた。


 道明の手の甲が——金色に、輝いていたからだ。


「な、何だ、その光は……!?」


「俺は、神崎道明。神の御者だ」


 兵士たちの顔が、青ざめた。


「か、神の御者……!?」


「通してくれ。用があるんだ」


 兵士たちは、顔を見合わせた。


 そして——道を開けた。


「……ど、どうぞ」


「感謝する」


 道明は、馬車を進めた。


 検問所を抜け、帝国の領土へ。


 ——ここからが、本番だ。


 道明は、前を見つめていた。


 残り三柱。


 十柱目は——すぐそこに、いる。

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