第十三章 東の港町
西の森林に向かう途中、道明は立ち寄った港町で、新たな依頼を受けた。
「御者様、お願いがあります」
依頼者は、港の漁師組合の長老だった。白髪の老人で、日焼けした肌には、長年の海での労働の跡が刻まれている。
「何だ」
「沖合いで、船が遭難しています。嵐に巻き込まれて、動けなくなっている。——救援物資を届けていただけないでしょうか」
道明は、窓の外を見た。
空には、暗雲が立ち込めている。風も、強くなってきている。
「嵐の中を、行くのか」
「はい……危険なのは、承知しています。ですが、船には二十人以上の漁師が乗っています。このままでは——」
「わかった」
道明は、立ち上がった。
「物資は、どこにある」
「す、すぐに用意します!」
長老が、慌てて飛び出していった。
リーゼルが、心配そうな顔で道明を見た。
「道明さん、大丈夫ですか? 嵐の中を——」
「大丈夫だ」
道明は、窓の外を見つめていた。
「タクシー運転手は、天候に左右されない。雨でも、雪でも、台風でも——客がいれば、走る」
「でも、海の上を——」
「海の上?」
道明が、振り返った。
「何の話だ」
「え? 船が沖合いで遭難しているって——」
「ああ」
道明は、頷いた。
「つまり、海の上を走るってことだな」
リーゼルの顔が、青ざめた。
「む、無理です! 馬車は、海の上を——」
「アウルス」
『何だ』
「天輪号は、海の上を走れるか」
『……やったことはないが、理論上は可能だ』
「理論上?」
『神聖馬車は、功徳の力で動く。功徳が十分にあれば、どんな地形でも走行できる——はずだ』
「はずだ、か」
道明は、小さく笑った。
「やってみるか」
『本気か?』
「本気だ。——客がいるんだろ。なら、行くしかない」
アウルスは、しばらく黙っていた。
それから、低く笑った。
『……お前は、本当に変な男だ』
「よく言われる」
物資が、運び込まれてきた。
食料、水、医薬品、毛布——遭難者に必要なものが、すべて揃っている。
「積み込んでくれ」
「は、はい!」
漁師たちが、慌てて物資を馬車に積み込んでいく。
道明は、御者台に乗った。
「リーゼル、お前は——」
「一緒に行きます」
リーゼルが、きっぱりと言った。
「道明さんの助手ですから。——どこまでも、ついていきます」
道明は、彼女を見つめた。
その目には、決意が宿っている。
「……わかった。乗れ」
リーゼルが、隣に座った。
馬車が、港を出発した。
桟橋を抜け、海岸へ。
そして——
「行くぞ」
馬車が、海に向かって走り出した。
車輪が、砂浜を蹴る。
波打ち際に差し掛かる。
そして——
車輪が、海面に触れた瞬間。
馬車が、光った。
金色の光が、車輪を包み込む。
そして——馬車は、沈まなかった。
海面の上を、滑るように走っていく。
「……すごい」
リーゼルが、息を呑んだ。
「本当に、海の上を——」
「言っただろう」
道明は、前を見つめていた。
「タクシー運転手は、どこでも走る」
馬車は、嵐の中を進んでいった。
◇
遭難した船を見つけたのは、出発から二時間後だった。
大きな漁船だった。マストは折れ、帆は破れている。船体は、大きく傾いていた。
甲板には、二十人以上の漁師たちが、身を寄せ合っていた。
「おーい!」
道明が、声をかけた。
漁師たちが、顔を上げた。
そして——目を見開いた。
「な、何だ、あれは……!?」
「馬車が……海の上を……!?」
「夢じゃないのか……!?」
道明は、馬車を船に横付けした。
「物資を持ってきた。受け取ってくれ」
漁師たちは、呆然としていた。
だが、一人の若い漁師が、我に返った。
「お、おい、何をぼーっとしてるんだ! 物資を受け取れ!」
漁師たちが、慌てて動き始めた。
物資が、船に運び込まれていく。
食料、水、医薬品、毛布——全てが、手渡されていった。
「助かった……本当に、助かった……」
船長らしき男が、道明に頭を下げた。
「ありがとうございます、御者様。——あなたは、命の恩人です」
「礼はいい。仕事だ」
道明は、空を見上げた。
嵐は、まだ続いている。だが、峠は越えたようだ。
「この嵐、もう少しで収まる。それまで、持ちこたえられるか」
「はい。物資があれば、大丈夫です」
「よし。——じゃあ、俺たちは帰る」
「え、もう……?」
「ああ。他にも、やることがあるんでな」
道明は、御者台に戻った。
「リーゼル、行くぞ」
「はい」
馬車が、動き出した。
嵐の海を、港に向かって走っていく。
漁師たちは、その背中を見送っていた。
「……すごい人だ」
「ああ。——御者様って、本当にいたんだな」
「これで、この国も——希望が持てるかもしれない」
彼らの言葉は、風に乗って消えていった。
◇
港に戻った時、嵐は収まりつつあった。
道明は、馬車を降りて、空を見上げた。
雲の隙間から、日差しが差し込んでいる。
「道明さん、すごかったです」
リーゼルが、興奮気味に言った。
「海の上を走るなんて——私、初めて見ました」
「俺も初めてだ」
「え?」
「やってみたら、できた。それだけだ」
リーゼルは、しばらく道明を見つめていた。
それから、小さく笑った。
「道明さんは、本当に——すごい人ですね」
「すごくない。ただの運転手だ」
道明は、手の甲を見た。
紋章は、以前よりもさらに明るく輝いている。
「功徳が、増えたな」
『ああ』
アウルスの声が、響いた。
『二十人以上の命を救った。それは、大きな功徳だ』
「そうか」
道明は、西の空を見た。
そこには、山脈の影が見える。
西の森林は、その向こうにある。
「行くぞ、リーゼル。次の『お化け』が、待っている」
「はい!」
馬車が、再び動き出した。
港町を後にして、西へ。
神崎道明の旅は、続いていく。
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