第十一章 神霊の欠片

港町での出来事を、リーゼルに報告したのは、翌朝のことだった。


「『お化け』を、乗せたんですか!?」


 リーゼルが、目を丸くした。


「ああ。深夜に、声が聞こえてな。導かれるように行ったら、そこにいた」


「私には、何も聞こえませんでした……」


「俺だけに、聞こえたんだろう」


 道明は、手の甲を見た。


 紋章は、以前よりも明るく輝いている。二柱目の神霊の力が、加わった証拠だ。


「リーゼル、聞きたいことがある」


「何ですか?」


「『お化け』——神霊たちは、なぜ封印されたんだ」


 リーゼルの顔が、曇った。


「……それは」


「お前が、封印したんだろう。千年前に」


 リーゼルは、しばらく黙っていた。


 それから、ゆっくりと話し始めた。


「千年前、この世界は——戦争の只中にありました」


「戦争?」


「はい。人間同士の、大きな戦争です。国と国が争い、街が焼かれ、多くの人が死にました」


 リーゼルの声は、静かだった。


「神霊たちは、戦争を止めようとしました。彼らは、世界を守護する存在ですから。でも——」


「止められなかった」


「はい。人間の欲望は、神霊の力をも上回りました。そして、ついに——神霊たちを、武器として使おうとする者が現れたのです」


 道明は、黙って聞いていた。


「神霊の力を奪い、自分のものにしようとする者たち。彼らは——『闘争の御者』の始祖でした」


「闘争の御者……」


「はい。彼らは、神霊を捕らえ、その力を吸い取る術を編み出しました。神霊たちは、一柱また一柱と、囚われていきました。このままでは——世界そのものが、滅んでしまう」


 リーゼルの目に、涙が浮かんだ。


「だから私は——神霊たちを、封印しました」


「封印?」


「はい。彼らを、『闘争の御者』から守るために。そして、いつか——彼らを解放できる、本当の『御者』が現れるまで、眠らせておくために」


 道明は、リーゼルを見つめた。


「その『本当の御者』が、俺ってことか」


「はい。私は、千年間——ずっと、あなたのような人を待っていました」


「千年間……」


 道明は、その時間の重さを、想像しようとした。


 千年。


 自分の人生の、二十倍近い時間。


 その間、ずっと——一人で、待ち続けていた。


「……大変だったな」


 道明の言葉に、リーゼルが顔を上げた。


「え?」


「千年間、一人で。——寂しかっただろう」


 リーゼルの目から、涙が溢れた。


「道明さん……」


「泣くな。まだ、終わってない」


 道明は、立ち上がった。


「神霊たちを、全員解放する。それが、俺の仕事だ。——お前は、俺を助けてくれ」


「……はい」


 リーゼルが、涙を拭いた。


「はい、道明さん。私、最後まで——あなたの助手として、頑張ります」


「よし」


 道明は、窓の外を見た。


 朝日が、港町を照らしている。


「次は、どこだ」


「南の砂漠です。そこに、三柱目と四柱目の『お化け』がいるはずです」


「砂漠か……暑そうだな」


「大丈夫ですか?」


「大丈夫だ。タクシー運転手は、暑さにも寒さにも慣れてる」


 道明は、笑った。


「行くぞ、リーゼル。旅は、まだ始まったばかりだ」


         ◇


 港町を出発したのは、正午過ぎのことだった。


 天輪号は、南に向かって走り続けた。


 緑の草原が、やがて茶色の荒野に変わっていく。


 そして——砂漠が、姿を現した。


「……すごいな」


 道明は、馬車を停めて、周囲を見回した。


 見渡す限りの砂。どこまでも続く、黄金色の波。


 空は、痛いほど青い。太陽は、容赦なく照りつけている。


「暑い……」


 リーゼルが、額の汗を拭いた。


「水は、十分にあるか」


「はい。出発前に、たくさん積み込みました」


「よし。——アウルス、この砂漠を越えるのに、どのくらいかかる」


『直線で百里。馬車なら、三刻だ』


「三刻か……」


 道明は、空を見上げた。


 太陽は、まだ高い位置にある。


「休憩を挟みながら、行こう。無理はしない」


「はい」


 馬車が、再び動き出した。


 砂漠の中を、進んでいく。


 砂が、車輪の下でサラサラと流れる。


 熱風が、顔を撫でる。


 どこまでも——同じ景色が、続いている。


「道明さん、大丈夫ですか?」


 リーゼルが、心配そうに尋ねた。


「ああ、大丈夫だ」


 道明は、前を見つめていた。


 砂漠の運転は、慣れている。——いや、タクシーで砂漠を走ったことはない。だが、長距離の運転には慣れている。


 単調な景色。変わらない道。眠気との戦い。


 それは、深夜の高速道路と、よく似ている。


「リーゼル、話をしよう」


「え?」


「眠気防止だ。何か、話してくれ」


「何を話せば……」


「何でもいい。お前の好きなこと、嫌いなこと、思い出——何でもいい」


 リーゼルは、少し考えた。


 それから、話し始めた。


「私、封印される前は——お花が好きでした」


「花?」


「はい。野原に咲く、小さな花が。よく、摘んで帰って、部屋に飾っていました」


「千年前にも、花はあったんだな」


「はい。同じ花です。青い小さな花。名前は——忘れてしまいましたけど」


 リーゼルの声は、懐かしそうだった。


「あの頃は、平和でした。戦争が始まる前は。——毎日、花を摘んで、神殿でお祈りをして、夜は星を見て。そんな日々でした」


「いい日々だったんだな」


「はい。でも——」


「でも?」


「それは、私が守るべきものだった。人々の、平和な日々。神霊たちが、守ってくれていたもの。——私は、それを守るために、神霊たちを封印しました。でも、結果として——」


「結果として?」


「世界は、百年前に——また戦争になりました」


 リーゼルの声が、震えた。


「私が封印した神霊たちがいなくなって、世界の力が弱くなって。そして、黒鉄帝国が——」


「御者の一族を、滅ぼした」


「はい」


 道明は、黙っていた。


 リーゼルの罪悪感。千年間、ずっと抱えてきたもの。


 それは——重い。


 だが、道明にはわかる。


 彼女は、間違っていない。


「リーゼル」


「はい」


「お前は、正しいことをした」


「え……」


「神霊を封印しなかったら、千年前に世界は滅んでいた。お前がいたから、今、この世界がある。——それは、事実だ」


「でも——」


「百年前の戦争は、お前のせいじゃない。それは、人間が起こしたことだ。——お前は、世界を守った。その事実は、変わらない」


 リーゼルは、しばらく黙っていた。


 それから、小さな声で言った。


「……ありがとうございます、道明さん」


「礼はいらない。事実を言っただけだ」


 道明は、前を見つめ続けた。


 砂漠は、まだ続いている。


 だが、確実に——前に進んでいる。


 道明は、そう信じていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る